2019年   5月 19日   復活後第4主日     


      
聖書 : ヨハネによる福音書  13章 31〜35節

      
説教 :  『 互いに愛し合いなさい 』   木下 海龍 牧師


 「愛は、体験においてはいかにも自明であり、具体的であるにもかかわらず、
     その概念は極めて多義的・曖昧であり、矛盾と秘密に満ちている。
     最も広い意味での愛は、すべてにむかい得る。
     自然の山河に、草木に、動物に、そして親子兄弟に、隣人に、祖国に、人類に、
     またすべてを司る運命に、神に、愛はむけられ、その向け方もさまざまである。」
  『現代哲学辞典』講談社現代新書p19

 ・「もし君の愛が愛として相手の愛を生み出さなければ、
      もし君が愛しつつある人間としての君の生命発現を通して、自分を愛されている人間としないならば、
      その時君の愛は無力であり、一つの不幸である」
   マルクス『経済学・哲学草稿』

 ・「愛とは何か、本当は私には分かりません。
      愛と言うのは、執着と言う醜いものにつけた仮りの、美しい嘘の呼び名かと、私はよく思います。」
   伊藤整『変容』

 「だから愛は神の本体を捕捉する力であり、最も深き知識となるのです。」
   (K・リーゼンフーバー著作参照)


 「わたしは、あんたたちに新しいおきてを与える。
     お互いを大切にしなさい。
     私があなたたちを大切にしたように、あなたたちもおたがいに大切にしなさい。
」35節
 「あなたたちがお互いを大切にするなら、
     そのことによってあなたたちがわたしの弟子であることを、みな、なっとくするようになるだろう。

   本田哲郎神父訳13:34〜35
愛と言う言葉が持っている広い意味から今の人にわかる言葉に置き換えて「大切にする」と表現しております。
この訳は翻訳者にとっては、一つの決断であると言えましょう。 ※


 「もし世の中の人の苦しみに一々足を停めていた日には、人は生きて行かれない。
     どんな幸福も、他の人間の苦悩を食って生きているのだ。」
   ロマン・ロラン『魅せられたる魂』

わたしたちの心の内には、
あの時に十分に親切でなかった、自分は冷たかった、事情を知らずに判断して冷たい言葉を言ってしまった・・・
と言ったような負い目を持って生きている時もあるのではないでしょうか。
それはそうなんだけれども
教会は完全に実践されているかどうかは別にして、
お互いに愛し合いなさい。」と言うイエス様からの掟であり遺訓を受け取った集団でありますので、
愛することを目指しているのです。
イエス様から自分は愛されている実感を感じ取っており、愛され赦されて来た思いがあります。
時には教会の兄弟姉妹を通して・・・神の愛を受けてまいりました。
愛し合うことによってイエスの弟子になるのです。
別の言葉でいえばイエスを頭とした教会を形成してきているのです。
新共同訳聖書:「愛を」35回    「愛は」16回   「愛である」1回   「愛だからです」1回
          「愛する」157回   「愛せよ」4回   小計 214回
命令形を含めると行動を促す動詞は161回 
われわれの人間的な現実: ある限られた期間であれば身近な人を愛し大切に扱うことは出来ますが、
           体力やもろもろの制約の中では愛し続けられない自分自身に絶望することがあるのです。
自分の愛の不純性、エゴイズム、その時々の感情的な不安定浮遊性などなどによって・・・。
頭では分かっていても、
続けているうちに心の内に、感情面に辛抱するストレスが溜まって行くのを感じるときがあうのではなでしょうか。

 ・20180411  松山與志雄牧師の講演からの連想的メモ
   イエスの仰った「愛しなさい」は我々凡人には、悩みと困難を与えているのではないか。
   「ほんとうにどんなつらいことでも、それがただしいみちを進む中でのできごとなら、
     峠の上りも下りもみんなほんとうの幸福に近づく一あしずつです。」 宮沢賢治『銀河鉄道の夜』
   我らが師イエスの戒めであると心に明示してお互いに幸福へと歩んでまいりましょう。
   「愛」は抽象的な言葉です。
   何かに置き換えないとその内実は捕えがたいことがありましょう。
   1、ヘレンケアの愛についての応え 「あの時の涙のことではありませんか」
   2、 あなたの額から血が流れた時に、私の心に血が流れだしました」
   3、「人生 離別無くんば  誰か恩愛の重きを知らん」 『蘇東坡詩選』

今の時代は、支援する側と支援を受ける側との明確に二つのクループに分けられるのではなくて、
今は支援していてもいつ自分が支援を必要になる側になるのか分からない時代状況にあると言われております。
イエスは弟子たちに向かって「互いに愛し合いなさい」と仰っておられます。
誰かが誰かにいつも一方的にではなく、互いに支援を必要としている人を支援しなさい。
自分の助けを必要としている人に気が付いたら自分が今持っている何かで助け合いなさい、と。
今は元気なのですが、
高齢化に向かっている時代状況の中では、ある時期に必ず人の助けを必要になるのは必ず訪れるものなのです。
気軽に助けを求めやすくするためにまだ不完全ではありますが様々な手立てが講じられております。
それを気軽に上手に使ってゆきたいと思います。


さて、一方、我々は小さくてもイエスを信ずる群れである富士教会では何ができるのか。
例の一つ、いつ何時、安心して一晩でも二晩でも泊まれる場所の提供はできるのではないか。
簡易ベットと清潔な夜具 洗面所とシャワルーム、があるのですから、
突発的に教会員やその子弟を保護することはできるのではないでしょうか。
一晩、二晩を凌げれば助かる場合があるものなのです。
知らない誰かが不法に侵入して寝泊まりすることは危険で警戒すべきですが、
まずは教会の兄弟姉妹とその子弟が必要とする場合にはそれを提供する用意はすぐにでもできるのではないでしょうか。
先ずは簡単に何ができるか、そうしたことから始めるのも
お互いを大切にして愛し合いなさい」とのイエスの遺訓に生きることになるのではないでしょうか。
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