≪メッセージの要旨≫ 2019年 9月 22日 聖霊降臨後第15主日
聖書 : コリントの信徒への手紙U 12章 7b〜10節
説教 : 『 弱さをさらけ出して生きる人は強い 』 富島 裕史 牧師
パウロは
「弱さ以外には誇るつもりはありません」(5節) と言い、
また「キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう」(9節)
と言っています。
どうしてパウロは自分の弱さを誇ると言っているのでしょうか。
パウロにはどんな弱さがあったのでしょうか。
パウロは、このことについて次のように語っています。
「それで、そのために思い上がることのないようにと、わたしの身に一つのとげが与えられました。
それは、思い上がらないように、わたしを痛めつけるために、サタンから送られた使いです。
この使いについて、離れ去らせてくださるように、わたしは三度主に願いました」。(7節、8節)
この言葉からわかるのは
パウロの弱さは自分の身に一つの「とげ」、病気や障害のようなものであったということです。
パウロは、この病気や障がいがなくなるように熱心に主に祈り願ったと言うのです。
これがなければもっと素晴らしい人生を送れると思えるような病気や障がいがパウロの体にあったと考えることができます。
パウロにとって素晴らしい人生とは、キリストの福音を宣べ伝えることでしたから、
その働きに不都合な病気や障がいがパウロの体にあったのです。
しかし、自分のとげを取り除いてくださいというパウロの祈りに対する主の答えは次のようなものだったと言うのです。
「わたしの恵みはあなたに十分である。
力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」(9節)。
ここでパウロが注目しようとしているのは自分の力ではなく、
自分を通して働かれるイエス・キリストの力であったことが分かります。
そして、パウロは自分の弱さについて次のように結論づけています。
「それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、
キリストのために満足しています。
なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです」(10節)。
「侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態」とは、
わたしたちがもっとも自分の弱さを痛感させられる状況のことです。
私たちはこのようなことに出会うと、どうして、自分はこんなに弱いのだろうと考えてしまうのです。
しかし、パウロはこんなことになっても 「自分はキリストのために満足している」 と語ります。
なぜなら、パウロにとって大切だったのは、
自分の力が明らかになることではなく、キリストの力が人々の前で明らかにされることだったからです。
昨年と今年の静岡教会の年間主題を 「キリストの力をわたしの内に」。
そして主題聖句は
「私の恵みはあなたに十分である。
力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」12章9節 としました。
なぜなら、私たちも私たちを通してキリストの力が表されることを望んでいるからです。
教会に集う私たちも弱さを持っています。
また、私たちの教会にも弱さがあります。
しかし、主イエス・キリストは私たちの弱さを通して働いてくださるのです。
私たちは自分の抱える弱さのゆえに卑屈になる必要はありません。
なぜなら、キリストの力は弱さの中で働くからです。
私たちは現在、聖書に親しみ祈る会で、コリントの信徒への手紙(一)、(二)の学びを続けています。
初代教会は決して完璧な人間だけが集まったエリート集団ではなく、
様々な弱さを抱える人々の集まりであり、
キリストの力がその人たちを通して働かれることを学ぶことができました。
私たちの教会の「弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態」の中で、
どのようにキリストの力が現れるかに関心を向け、
またそこで豊かに現れるキリストのみ業を見逃すことがないようにしたいと願っています。
そして、
キリストの力が私たちの弱さを通して豊かに現れるように祈りたいと思います。