≪メッセージの要旨≫  2020年  12月 6日   待降節第2主日

        
聖書 : イザヤ書       40章  1〜11節
             詩篇          85編 2〜3節、9〜14節
             ペトロの手紙U     3章  8〜15節a
             マルコによる福音書  1章  1〜 8節

        
説教 :  『 水と聖霊のイニシエイション 』   木下 海龍 牧師 
             
          教団讃美歌 :  7、 1、 294、 391


 神の子イエス・キリストの福音の初め。天地の間の幕が切り落とされた!!
緊張に満ちた幕開けです!! 
天から神がイエスに向かって宣言されておられます!!

 イニシエイション とは人類学用語である。
「成年式」「入社式」とも訳される。
社会的に一人前の成人として認知、編入されるための一連の手続きのこと。
広義には、ある社会的カテゴリーから他の社会的カテゴリーへの、
集団的あるいは個人的加入を認可するための一連の行為体系をさし、
宗教団体への加入やシャーマンなど宗教職能者の地位の取得なども含まれる。
通過儀礼を伴うことが多い。
成年式の場合,女性は初潮を契機として個別に行われることがほとんどであるのに対し、
男性ではさまざまな段階をもち、より大規模で集団的に行われる。
A.ファン・ヘネップは、このようなイニシエイションの過程を、
それまでの地位からの「分離」、中間的な「移行 (境界)」の時期、そして新たな地位を与えられる「再統合」の
3つの段階に分けて体系化した。
バプテスマもまたイニシエイションのひとつであります。

 私は1956年4月1日(イースター)に
宣教師ラース・イングルスルード牧師から幾人かの友人と一緒にバプテスマを受けた。
その後長い移行時期を経て1967年4月29日教職授任按手式を受けて今日に至る。
その間に多くの教師方の導きがあり、友人達の支えが在った。
都築三ケ日・聖書学院・富士教会・明治学院大学・日本ルーテル神学校・富士教会→
以下に引用する文書は日本福音ルーテル教会も参加構成している日本キリスト教協議会職委員会と
日本カトリック教会エキュメズム委員会が共同して、教会の一致を求めて、
1985年7月に発行された文書から引用したものです。
各教派の教会の一致のためには、
各教派教会で執行された洗礼式の正当性を相互に認め尊重するところに一致がありうるからです。

1 キリスト教のバプテスマは、ナザレ人イエスの宣教のみわざ、その死と甦りに根ざしているものである。
バプテスマは、十字架につけられそして甦られた主なるキリストと一体になるということである。
それはまた、神と民の間にむすばれた新しい契約の関係のなかに加入することである。
バプテスマは神があたえられる賜物であって、父と子と聖霊のみ名において執行される。
甦られた主がその弟子たちを世に遣わされるとき彼らに命じて、バプテスマを施しなさいといわれた。
今日の教会も、主の民を恵まれる主への献身の儀式としてこのならわしをうけつぎ、執行しているのである。

2 バプテスマの意味
  バプテスマは、イエス・キリストによる新生のしるしである。
バプテスマは、それを受ける人物をキリストにむすびあわせ、またキリストの民にむすびあわせる。
こうしてバプテスマは、キリストの死と復活への参与、罪を洗いきよめること、あらたに生まれること、
キリストによって明るい光へと導きいれられること、
ふるい衣をぬぎすててキリストによる新しい衣を着ること、霊による更新、洪水からの救い、
奴隷の縄目からの脱出、さらに、性差別、人種差別あるいは社会的階層による差別などの
障壁がのりこえられる新しい人間性への解放である。
このような多様なイメージによって表現されているが、バプテスマはという現実はひとつなのである。

3 キリストの死と復活への参与
 バプテスマは、イエス・キリストの生と死、ならびにその復活への参与を意味する。
 このバプテスマによってキリスト者たちは、
キリストの死のなかに沈められその死によるキリストの解放をあたえられる。
こうして彼らの罪は葬りさられ、罪の力はうちくだかれるのである。
こうしてバプテスマをあたえられた人々はもはや罪の奴隷ではなく、自由な存在となるのである。
今ここで、イエス・キリストの復活のみ力によって甦らされて、
キリストの復活のさまにおいてキリストとひとつとされるという希望を確認するのである。

4 悔改め、赦しおよびきよめ
  バプテスマはキリスト者を、キリストの死と甦りの秘儀に参与させるものであるが、
それはまた罪を告白することと心を転換することをも意味するものである。

5 聖霊の賜物
  イエスを御子として人々にあらわされるのも聖霊の働きによるのである。
その聖霊はペンテコステに弟子たちに力をそそぎ、彼らを一つとされる同じ聖霊である。
神はバプテスマうける人びとに聖霊によって油をそそがれ、約束を与えられる。
聖霊は彼らの心のうちに信仰のいのちを育て養われ、
こうしてついに彼らがそれを完全にみずからのものとなして、神の栄光をほめたたえるにいたるのである。

6 キリストのからだへの入会
  バプテスマは主にたいする服従のうちに執行されることによって、
キリストの弟子たることの共通のしるしあるいはその保証の封印となる。
バプテスマによってキリスト者たちは、
キリストとの一致、また時と所をこえて普遍的である教会の一致へとみちびかれる。
私たちに共通するバプテスマは、信仰に於いて私たちをキリストと一つに結び合わせるのであるが、
この意味においてバプテスマは一致をもたらす根本的な結び目なのです。
こうして私たちはひとつの民であり、
世界のあらゆる所で、またそれぞれが置かれているその場で、同じ一人の主を告白し、
彼に仕えるようにと召し出されている者なのである。
バプテスマをつうじて私たちはそれぞれキリストとの一致に参与するのであるが、
このようにしてバプテスマはキリスト者の一致にとって重要な意味をもっているのである。

 「バプテスマは一つ、われらすべての父、神は一つである」(エペソ4:4−6)。

こうしてバプテスマの一致がひとつなる聖なる公同の使徒的教会のなかで現実となるとき、
それが、癒しと和解をもたらす神の愛の真にキリスト教的な証しとなるであろう。
それゆえに、キリストとの一致をもたらす共通したひとつのバプテスマは、諸教会にとって
その分立の現状を克服してその交わりを見えるかたちであらわすべきであるという課題をも意味するのである。

主よ、この地上を旅する教会が、見える姿においても、分立から一つの群れの姿へと成長させてください。
われらの主の御名によって祈ります。
   アーメン

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