≪メッセージの要旨≫  2020年   5月 31日   聖霊降臨 (ペンテコステ)     

        
聖書 : 使徒言行録         2章  1〜21節
              詩篇           104編 24〜34、35b節   
             コリントの信徒への手紙T 12章  3b〜13節
             ヨハネによる福音書     20章 19〜23節

        
説教 :  『 平安汝らに在れ 』  木下 海龍 牧師 (代読説教:小谷兄)
              
          教会讃美歌 : 119、 132、 262、 501

 「 五旬節主にまみえるや歓喜の日 」 海龍

主の十字架と復活の大事件に遭遇した弟子たちにとっては、
主に見えたのだという確信と自分の人生に於いて、復活の主を目撃したのは決定的な事件であったのです。
この大きな感動と張りつめた高揚感を抱いて主の復活後の日々を過ごした、と言えましょう。

ペンテコステに於ける重要な主題は、
弟子たちをイスラエルの地で導いたイエス、弟子たちが従ったナザレのイエスは
 「主であったのだ!」 というゆるぎない確信と希望を体験的に得たことなのです。

 今日の教会御歴でヨハネ福音書20章19節以下が選ばれた意図もそこにあるのです。
 「弟子たちは主を見て喜んだ。
「生き返ったイエスを見て」とは記さずに、「主を見て」と聖書は語っています。
20章は全体では31節を数えるのですが、その中で「イエス」との表記が16回もあります。
「主」と言う表記は「4回」です。
この四回ともにイエス向かって「主」と告白している場面です。

最初はマグダラのマリアが弟子たちのところへ行って「我は主を見たり」と告げた場面です。
次は復活のイエスが「平安汝らに在れ」と言って、手と脇腹とをお見せになった時に、
弟子たちは「主を見て喜べり。」と記述しております。
三番目は弟子たちがトマスに向かって「我ら主を見たり」という場面であり。
四番目はイエスが疑っているトマスに向かって
「信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」と言われて
「私の手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。」
と言われたときに、トマスが告白したのです。
 「わが主よ、わが神よ」と。

ここのところで弟子たちにとって、先生であるイエスから、
 「イエスは主である。
即ち、天地創造をなさった主ヤッハウエと一体のお方であると信じ、理解したのです。
ユダヤ人をはじめ異邦の人々がイエスをなんと評価しようとも
弟子たち一同は、そしてその後の教会は「イエスは主なり」と今日まで告白して、証しして参りました。

 さらに注目すべき今日の聖書個所では、イエスが
 「彼らに息を吹きかけて言われた。
   『聖霊をうけよ。
     汝ら誰の罪を赦すとも其の罪ゆるされ、誰の罪を留むるとも其の罪とどめらるべし』
」と。
復活のイエスが 「彼らに息を吹きかけて・・・」
使徒たちへの聖霊の普遍的な贈与は復活のイエスからの息を吹きかける行為によって行われました。
それは三位一体である神からの霊が与えられることの先例がここで示されております。
これは五旬節に起こった聖霊降臨へと続く布石が置かれたと言ってよいでしょう。
それは
この世に遺して行く弟子たちへの力強い助け主・パラクレートスの派遣の実証の第一歩であったのです。
主なる神が人を創造された時に
 「土の塵で人を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。
       人はこうして生きる者となった。
」 
この場面と重なります。

イエスが息を吹きかける行為は、弟子たちに向かっての再創造であったのです。
その内容は、
人が生まれた時から持たされてきた価値観や世界観や人生への理解の前提から脱皮した
新たな復活の視座から世界と物事を見ることのできる弟子づくりであったのです。
このことは、
この世に生きながら同時に、この世の向こうにある世界を視野に入れながら生きる姿であったのです。
ペンテコステの出来事の前に
聖霊の賜物を使徒たちはこの場面ですでに与えられていたと見て良いでありましょう。

五旬節における聖霊体験は、非常に顕著な事件としての聖霊降臨であったのです。
主の昇天を目撃した後に、弟子集団はエルサレムに戻ってきて、
それまで宿泊していた二階の部屋に上がりました。
120人ほどが心を合わせて熱心に祈っていました。
ペテロが発議をしてユダの後任を選ぶことになって、マティアが選ばれました。
この場面は実質的には今の教会で言う教会総会であったと言えましょう。
欠員した重要な使徒の一人を選ぶのですから大事な会議です。
使徒の選出と今後の方策を話し合う会議であったはずです。
その会合が数日間続いている中で、
五旬節の朝が来て、突如としてその部屋にいた全員に聖霊が降ったのです。
新約聖書の中では唯一顕著な出来事でした。

 この出来事に引き続いてすぐにペテロが立ち上がって説教したのです。
どんな話をしたら皆に分かってもらえるかと相談したり協議する暇もなかったのです。
 「あの人たちは、新しいぶどう酒によっているのだ」
とのあざけりを耳にすると、すぐさまペテロと十一人は共に立って説教したのです。
これが聖霊の働きの最初の顕著な徴だったのです。
ルカは記しております。
 「ペトロの言葉を受け入れた人々は洗礼を受け、その日に三千人ほどが仲間に加わった。
     彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった
」と。    

憐れみ給え、主よ。 アーメン。

戻る