≪メッセージの要旨≫ 2020年 8月 16日 聖霊降臨後第11主日
聖書 : イザヤ書 56章1節、6〜8節
詩篇 67編
ローマの信徒による手紙 11章1〜2a節、29〜32節
マタイによる福音書 15章 21〜28節
説教 : 『 本当のほんとうの宗教とは 』 木下 海龍 牧師
教会讃美歌 : 171、 375、 470、 382
このカナンの女性は、イエスとの鋭い対話を経て、娘の病が治癒に至ります。
彼女はクリスチャンになったのでしょうか。
その辺の事情には全くマタイは言及しておりません。
宗派の改宗と云った事にはイエスの関心はなかったのでマタイは記さなかったのでしょう。
他方この女性はイエスとその集団に深い尊敬の気持ちを生涯にわたって持ち続けたことは確かだと思います。
今の教会や、クリスチャンが考えているよりも
はるかに寛大で広い気持ちと視野を他の信仰者に抱いていたのではと感じられる癒しの場面です。
「わたしはイスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」と。
イエスはこの女性との立ち位置の違いを明確に告げながら、
同時にお互いの所属意識に囚われずに双方が解放されてゆく筋道の上でこの婦人と向き合っております。
無理にご自分の支配下に置こうとはせず、相手の固有性を認めながら、
同時に他者の前で自分も自由に振舞って相手を解放へと仕向けております。
此処のところで、宮沢賢治の死後に出版された
「銀河鉄道の夜」後半部分で男の子と青年とのやり取りを想いおこします。
「そんな神さまうその神さまだい」青年「あなたの神さまうその神さま」
男の子「そうじゃないよ」青年「あなたの神さまってどんな神さまですか」
男の子「ぼくはほんとうはよく知りません。 けれどもそんなんでなしに、ほんとうのたった一人の神さまです」
青年「ほんとうの神さまはもちろんたった一人です」
男の子「ああ、そんなんでなしに、たったひとりのほんとうのほんとうの神さまです」
青年「だからそうじゃありませんか。
わたくしはあなたが方がいまにそのほんとうの神さまの前に、わたくしたちとお会いになることを祈ります」
本当の宗教人とは教派的信仰集団とは別に、
しかも、本人は具体的なある特定の宗教団体に身を置きながら、そっちは偽物で、こちら側が本物だと言い争わない、
そうしたスタンスにいる信仰的姿勢にある人ではないでしょうか。
今はそう思うことにしております。
宗教の英語 Religion はラテン語のreligioから派生したものでして、
religioは「ふたたび」という意味の接頭辞reと「結びつける」という意味のligareの組み合わせであり、
「再び結びつける」という意味で、そこから、神と人を再び結びつけること、と理解されてきました。
今日のカナンの女とイエスとの間にはそうした交流が生じております。
双方に尊敬と信頼が醸し出されております。
「主よ、ごもっともです。しかし子犬も、主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」
「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように。」
この婦人は、ユダヤ教に改宗したとも、クリスチャンになったとも記されておりません。
彼女は生涯イエスを尊敬してやまなかったでしょうし、
娘の病を契機にしてイエスに出会ったことを稀有な恵みの出来事として心の内に抱いて生涯を送ったはずです。
私はこのエピソードの出来事に、ほんとの本当の宗教人の姿を見る思いがいたします。
宮澤賢治の本作とキリスト教との関連がしばしば指摘されます、
「雨にも負けず」の詩のモデルは当時花巻の街で伝道牧会していた牧師がモデルであったと言われております。
宗教学者は賢治と法華経との関連が指摘されてもいます。
賢治は、父親が浄土真宗の熱心な信者であったことから、幼少のころから仏教的な環境で育ったが、
18歳のときに『漢和対照、妙法蓮華経』を読み、法華経に興味を持つに至り、
国柱会の田中智学の講演会を聴いたことをきっかけに、家出をして上京し、国柱会に入会、
同会の講師から法華文学の創作を勧められたことから、
『銀河鉄道の夜』『注文の多い料理店』『風の又三郎』などの童話を執筆した。
後年、国柱会とは一定の距離を置いたものの、法華経への信仰は生涯続いた。
賢治は自分の立ち位置を法華経に置きながらも、
最晩年の作品である「銀河鉄道の夜」の後半に出てくるサザンクロスの停車場に到着するところで、
「あらゆる光でちりばめられた十字架」を極めて美しく感動的に描いています。
我が家の両親の葬儀は私が喪主でキリスト教式で執り行いました。
父の葬儀は当時浜名教会の牧師であられた星野幸一牧師に来ていただきました。
母の時には当時静岡教会の早川顕一牧師が来てくださいました。
木下家の墓は弟が浜松市北区雄踏に建てましたが、まあ普通に立派な墓です。
慈愛の「慈」が大きく刻まれ、家紋にあたる所には「愛」が彫られていました。
彼は一昨年81歳で亡くなりその墓に納まられました。
すでに父と母のお骨が納まっており、
弟の納骨に立ち会ったのですが、葬儀を執り行った神主さんが来てくれました。
墓石の裏面に以前にはなかった文字が刻まれてありました。
「万法帰一」に並べて「我青空にそまる」とありました。
弟らしいと思いましたね。
我が家は朝鮮王朝時代の中期に隆盛を極めた朱子学を背景にした儒教的な考えと信仰で、
死者の祭儀を大切にして参りました。
わたしが牧師になることについては、鷺宮の神学校時代に、親戚が集まり話し合われたようです。
叔父の後押しもあって、わたしの牧師になる志は親族から認められました。
その後帰省した私に、父は言いました。
「自分も若いころに教会に出入りしたことがあるのだが・・・。 お金を得る見込みは無いよ。」
「この家のことはわしの代で終えることにする。 お前は弟や妹たちも教会に導きなさい。」 と。
当時29歳で私は神学校に入学しましたが、父は70歳を超えておりました。
その言葉の意図はすぐには解かりませんでしたが、ずいぶん後になって父の気持ちがわかりました。
「お前は、お金持ちなれると思うな。 父親のわたしもお前からの援助を期待しない、お前は自分の道を進め」
と、言っておきたかったのでしょう。
二人の弟と妹二人は、私が浜名湖の郷里を遠く離れて自分自身が生き抜くことに精いっぱいだったこと、
近くには馴染む教会が見つからず、クリスチャンには導かれませんでしたが、今や、
お互いの立場を尊敬しあいながら両親を超える後期高齢者になって、
感ずるのは両親が居たこと、弟妹がいたこと、さらに私がキリスト教会の群れに導かれて来たことの感謝です。
その上で、今や世界はコロナ禍の中で混乱し、
コロナ禍の次の時代の変遷が目撃出来る経験と知見が人類史の中で与えられるのは有難いことです。
憐れみたまえ、主よ。 アーメン。