≪メッセージの要旨≫  2020年   8月 2日   平和の主日

        
聖書 : ミカ書            4章  1〜5節
              詩篇            85編
              エフェソの信徒への手紙 2章 13〜18節
              ヨハネによる福音書   15章  9〜13節

        
説教 :  『 イエスの志を生きる 』   木下 海龍 牧師 
              
          教団讃美歌 : 298、 514、 276、 217


 「父の我を愛し給ひしごとく、我も汝らを愛したり、汝らわが愛に居れ。」ヨハネ15:9

教会内にも細かな事を言えば、いろいろと面倒なこともあります。
現実は不完全な面が見えますが、基本的な所では、
みんながイエスの愛の内に留まって、お互いに愛し合うことを目指している集団であるのです。
持ち株を増やしたり、銀行預金や資産を増やすことを目指した集団ではなく、
また旅行をして健康と趣味を豊かにすることを目的にしてもおりません。
上手にできているかは別にして、神を愛して、お互いに愛し合ってゆきましょうとしている集団なのです。

この小さな群れから始まって、
全世界が愛による平和な地球であるようにと願い祈っている集団であると言えましょう。

「愛する」とは明らかな動的行為なのです。
具体的な場面は千差万別ですが、人間が生きている様々な状況の中で愛の行為が発動するのです。
しかも、罪赦された罪びととして、
ややもすると自己中心的であり自分のこだわりを抱えている人間でありながらも、
イエスの志を生きる」としたのは、問題性を孕んでいる私の志に寄らずに、
イエスの志を受けて、そのイエスの志に生きる人生を目座したいと願うからであります。

自分の前に横たわっている問題に満ちた課題を退けたり逃げたりせずに向き合って生きる生き方です。

ゲッセマネの園でイエスは祈られました。
マタイ26:39
  「うつ伏せになり、祈って言われた。
    『父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。
     しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに。』

つづいて44節には
 「三度も同じ言葉で祈られた」と。 イエスの大きな決断がうかがわれます。

十字架による贖罪と言う大きな神のご計画の場面ばかりではなくて、
日々の些細な事柄の真只中でこそ、イエスの志に生きるようにと私共は呼び出されているのです。
日常の些細な事もまた究極に至る道そのものなのです。
 「天国に至る道のすべて、それが天国です。
     なぜなら、キリストはこう言われました『私は道である』と」。(シスター・シエナのカタリナの言葉)

9節のイエスの言葉です「父がわたしを愛したように、わたしもあなたがたを愛してきた。

現実はいろいろあるとしても、なんであれ、私どもは愛されて来ているのです。
本人自身の気持ちはどうであれ、愛されて、愛の空気に包まれて、今、存在しているのです。
私個人のことですがお許しください。
普通の母子関係は長く続くものです。
母は私のことを心配していつも心にかけてくれておりました。
私は母のことを忘れて、自分の日々の仕事をしているものでした。
母は1991年5月12日に数え83歳で亡くなりました。
私が57歳のひかり教会時代です。
その後私は70歳になって高蔵寺教会の牧会委嘱だった時に、
母がある具体的な事を通して私にしてくれた大きな配慮と注がれた愛を知るに至ったのです。
私が今、あるのはその母の深い思慮に満ちた愛によるのだ!!と改めて受け留めざるを得ません。
すでに私は70歳になっていたその時に、その具体的な全貌を知るに至ったのでした。
人は誰かに真実に愛され、守られて、身に染みて学ぶのではないでしょうか。
(機会があれば詳細は口頭で話しましょう)

17節「互いに愛し合いなさい。 これがわたしの命令である。

イエスが仰る17節は、父である神から受けた願いであり命令であります、
子であるイエス自身も聴き従ってきたことなのだ、と。
それは天地宇宙の掟であるところの命令であります。
これが生命あるものの根本的原則のあり方なのだと、端的に語った言葉です。
一国の利益や人種にこだわった利益の専有や囲い込みを超えて、
本来的に「互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。」と主は言われます。 
此処から世界の問題解決へと足並みをそろえてゆくべきなのです。

コロナ禍の中ではありますが「愛と希望に向かって歩みだしましょう」
「互いに愛し合うことは強い希望へと導きゆきます」
暴力の引き金を自制する非暴力を生み出す愛の心を希求して深く考量して実践しましょう。
今はコロナ禍の中で身体的な衛生面を考量していますが、感情面における衛生概念として、
アガペーである愛の心を養って実践へと踏み出してみましょう。
踏み出すことによって、イエスが生きた愛・許し・寛容の豊かさに触れて感動することでしょう。

1959年12月25日に診察に訪れた日野原重明氏に感謝を込めて
賀川豊彦が書籍の扉に書いてその本と共に贈った言葉が日野原氏によって紹介されております。
 「----太陽は、世界の隅々を照らし行けど、之を覆う罪の黒幕、これをとりさる、愛と十字架――」 
                                 感謝の1959年クリスマス  賀川豊彦
             日野原重明博士殿
     
憐れみたまえ、主よ。アーメン。

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