《メッセージの要旨》 2021年10月17日 聖霊降臨後第21主日   

       聖書 : イザヤ書       53章  4~12節  
             詩篇          91編  9~16節  
             へブライ人への手紙  5章  1~10節
             マルコによる福音書 10章 35~45節    
       説教 : 「 汝らは求むる所を知らず 」  木下 海龍 牧師
       教団讃美歌 : 516、 355、 298、 271下

 人は、さまざまなものを求めながら生きているのではないでしょうか。
最近は高橋源一郎のNHKラジオ「飛ぶ教室」をほぼ毎回聞いています。そこの秘密の本棚の部門で書物の紹介が面白く、刺激を受けて購入している本が多々あります。読み通す本もあれば、表紙と目次を見るだけのものもあります。積読になる傾向があります。コロナ禍で、渋谷、新宿、池袋、神田神保町の書店に出かけるのを控えておりますので、ネットのアマゾンで買っています。その時は読むつもりで注文するのですが、手にして、気乗りがしなくなったものもあります。一人の人間には時間の制約と差し迫った優先順位のこともありますね。直近では9月28日と10月18日の二回、ビジョンセンターで書物を紹介する番が回ってきました。書籍の紹介ですから何度も読み返すことになります。注文した別の数冊は積んだままになります。後で読もうとは思うのですが、後になると、また別の課題が課せられたり、別のものを読まざるを得なくなったりします。こんなことの繰り返しです。ほんとうに今、読むべき書物を読む、それがなかなか至難な事です。読みたい書物が本当に今読むべき書物であるのか。時間とお金と読む気力となどなど・・・。さらに自分で選べるのか、それとも出会いであるのか。読むべきだという書物ひとつとってもそうですから、ましてや、自分の人生の道を選び、真に自分にとってまた、人類にとっても益になることだとして望み選択することが本当の意味で人間に出来るのだろうか、と思ったりしています。
「求めよ、さらば与えられん」と聖書にありますが、考えてみれば、それを選ぶのは大変難しい課題であります。 あわせて、今の若者の仕事選びの大変さも考えさせられています。
「汝らは求むる所を知らず」
イエスに従ってきた二人の弟子は真剣でした。自分の仕事をなげうってイエスの「神の国」運動に参加してきているからです。何か見返りと言うか、手に入れる何らかの成果を夢見るというのももっともなことだと思います。しかも偉くなりたいのです。新しい「神の国」が建設された暁には、右大臣・左大臣を目指す大きな野心的志が起こっているのです。誰にでもありうることです。
 イエスは、二人の願いをただ否定はしていないと思います。ゼベダイの子ヤコブとヨハネはペテロを含めて初代教会の三人重鎮であり、顕著な働きを成しました。ヤコブはカソリック、世界ルーテル教会、および多くの教会教派で聖人としています。ヨハネの晩年は島に幽閉されて生涯を終えます。ヤコブはインド地方の伝道の最中で鋸の刑によって殉教しました。イエスの右と左に座らせてくださいと願い出た時点では、殉教に至るとは全く思い至らなかったのではないでしょうか。イエスの右と左に座るとは、十字架のイエスの左右に座るとはそういうことであることに思い至っていない二人をいとおしんでこの会話をしているように思えます。「確かに、あなた方はわたしが飲む杯を飲み、わたしが受けるバプテスマを受けることになる。」
 ヤコブは重要な場面にはイエスの傍らにいました。  1・イエスが光り輝く姿に変容した場面。
2・ヤイロの娘が生き返る奇跡を目撃  3・イエスのゲッセマネの祈りのときの同伴
12使徒の中での最初の殉教者であり、12使徒の中では、新約聖書に、殉教の記録が残されているのは、
このヤコブのみであります。使徒言行録12章1節~3節
<その後の 聖ヤコブの物語>
初期のエルサレム教会で、ヤコブは中心的な立場にいました。使徒としても活動しており、ユダヤとサマリアの地方を伝道して歩き、その後、スペインにも渡った。当時のスペインははるか彼方の辺境の地であったが、ヤコブは熱心にイエスの教えを説いてまわり、この地で9人の信者(弟子)を得た。
 エルサレムに戻ると、イエスの弟子たちへの迫害は激化していた。紀元44年の春の過越祭を目前に、ユダヤ教の巡礼者たちが各地からエルサレムに集まってきた。ヤコブは反ユダヤ教と見なされ、ユダの王ヘロデ・アグリッパ1世によって捕らえられた。そして、王は、ユダヤ人を満足させるためヤコブを血祭りに上げた。ヤコブは12使徒の中で最初の殉教者となった。
 ヤコブの殉教後、ヤコブの亡骸をエルサレムに埋葬することは困難であった。反キリスト勢力が強かったためであった。 弟子たちはユダヤ人を怖れて、夜にこっそりとヤコブの亡骸を持ち出し、舟に積んで地中海に出た。埋葬の場所は神にゆだねることとし、風や潮の流れにまかせて航海した末、わずか7日間でイベリア半島に漂流した。そして、ヤコブの亡骸は無事にスペインの地に葬られたが、墓の場所は忘れ去られてしまった。
 9世紀に入った813年に、ヤコブの亡骸が埋葬されたといわれるガリシア地方の野原の夜空に星が現れ、地面に一条の光が降り注いだ。その光景を羊飼いが目撃し、星に導かれるように行ったところ、遺骨と墓が見つかり、これこそが聖ヤコブの墓に違いない、大発見だと、一大ニュースとなった。この知らせを聞いた国王アルフォンソ2世は、大変感激し、ヤコブの墓の上に立派な聖堂を建てた。
 ヤコブの遺骨が発見されたときは、スペイン人とサラセン人との戦いの真っ最中であった。スペインの戦士たちは「聖ヤコブとスペインのために、命がけで戦うぞ!!」と士気が高まり、勝利を手にすることができたといわれている。そして、聖ヤコブは、スペイン、そして戦いの守護聖人となった。
 こうして聖ヤコブを祀って建立された「サンティアゴ・デ・コンポステラ大聖堂」は、現代でも巡礼者が絶え間なく訪れるキリスト教の聖地の一つとなっている。
 最近、次の書籍を読む機会を得ましたので一部を紹介します。
 末木文美士編「『死者と聖性』--近代を問い直す」 岩波新書 2021年8月20日 第1刷発行
末木文美士の基本的な見方を見てみましょう。1980年代で近代は終わり、90年代以降は終わった近代の後で、新しい方向を見出せないままの混乱と停滞が続く時代と考えている。コロナ禍は、その過渡的状態を終わらせ、否応なく近代以降、どのような方向を目指すかを決めざるを得ない状況に追い込んだということが出来る。
近代を簡単に定義するならば・・・人類は合理的思考によって進歩し、それによって万人の幸福度が増加する方向へ向かうという楽観論が共通の前提なっていた時代と言うことであろう。・・・そこではGDPの増加が国家目標とされた。
90年代に入ると、90年に東西ドイツが統一された後、91年にはソビエト連邦が崩壊して、連鎖的に大部分のマルクス主義国家が消滅した。そのことは民主主義の勝利と冷戦の終結として、当時プラス方向で受け止められた。しかし、その同じ年に湾岸戦争が起こり、その後の混乱の序曲となった。
マルクス主義国家の失敗と解体は、近代の終焉の大きな画期となる出来事であった。マルクス主義は、近代を徹底することで近代を超克しようという運動であった。即ち、人間社会も自然科学と同じように科学によって解明されると考え、唯物史観は科学的法則による歴史の必然性によって人類が進歩して幸福に至ると考えた。その点で、近代的な科学的合理性を徹底させている。しかし、暴力革命によるプロレタリア独裁体制を取る点で、近代的民主主義を超えていた。ところが、マルクス主義国家の崩壊は、一方では科学的合理主義性の徹底により人類が進歩して幸福に至るという近代の「大きな物語」の最終的な破綻であるとともに、他方でそれと対抗するところに存在根拠を持っていた反マルクス主義の側もまた、その必然性を失い、消滅解体することになる。そして、それぞれの国家が正当性なきエゴを主張し、理想も目標もないままに、強さを競う覇権主義が対抗し合う無秩序状態となった。それが近代の終焉した状態である。
 国内的には、東西の冷戦体制によって維持されてきた五五年体制は、戦後復興から高度成長を経て、国際社会の中で一人前の国家として認められるという目標が八十年に達成したことは、同時に目標の喪失であった。そして一九九三年に日本新党の細川護熙を首相とする連立内閣が成立して、五五年体制は終焉を迎えた。その頃から近代の負の遺産が噴出するようになった。
その最後のとどめが、2010年の東日本大震災と福島原発事故で始まった。今度は新型コロナのパンデミックが世界と日本を襲った。生活の変化や経済の停滞は容易には回復しない。その上に、地球の温暖化による世界中の気候を狂わせている。地球環境の変化を加速させている現状にある。
 これらは、一言で言うならば、人類全体が幸福を目指して、競って、無計画に地球の資源を人間中心に乱開発して来た結果である、と言っていいでしょう。
「汝らはその望むところを知らず」と見抜いたイエスの言葉の重みを痛感するばかりあります。
憐れみたまえ、主よ。アーメン。

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