≪メッセージの要旨≫  2021年   7月 11日   聖霊降臨後第7主日

        
聖書 : アモス書           7章  7〜15節
             詩篇             85編  9〜14節
             エフェソの信徒への手紙  1章  3〜14節
             マルコによる福音書     6章 14〜29節

        
説教 : 『 暗闇に届いている光 』  光延 博 牧師 (代読:小谷兄)
            
          教会讃美歌 :  300T、 298、 402、 461


 洗礼者ヨハネの悔い改めの洗礼運動は広く知られていました。
イエス様も多くの人々に混ざって、彼を通して洗礼を受けられました。
ヨハネは、今日の登場人物である領主ヘロデ・アンティパスが
兄弟の妻を略奪して自分の妻にしたということに対し、それは律法に反することだと指摘しました。
このヘロデは、イエス様誕生時のヘロデ大王の息子の一人で、大王の死後、分割領地を引継ぎました。
妻へロディアは、自分たちを批判するヨハネを恨んでいたので、
おそらくへロディアから背中を押され、ヘロデはヨハネを捕らえ牢に入れたと思われます。
そして、今日の箇所に書かれているような、ヨハネを惨殺する、恐ろしい出来事が起きたのです。

 ヘロデとヨハネはどういう関係だったのでしょうか。
20節にはこうあります、
 「なぜなら、ヘロデが、ヨハネは正しい聖なる人であることを知って、彼を恐れ、保護し、
   また、その教えを聞いて非常に当惑しながらも、なお喜んで耳を傾けていたからである。
」 と。
ヨハネは牢に入れられても、一貫して、心を込めて、糾弾するためではなく、
ヘロデが悔い改めて赦しの御父へ戻って行くことができるように語っていったと思います。
そして、ヘロデはその語りかけに耳を傾け、それを受け入れようとしていた関係であったと思います。
ヘロデの罪を激しく責め立てることがヨハネの語りかけであったならば、
ヘロデは妻へロディアと同じようにヨハネに対しては恨みしかなく、ヨハネの言葉に聴く耳を持たなかったと思います。
しかし、福音書にはヘロデがヨハネを恨んでいたとは書かれていません。
ふたりの関係は、敵対関係ではなかったのです。
ヨハネは愛なる神様に押し出されて、誰にでも「悔い改め」を促して行きました。
ヘロデはヨハネを投獄させましたが、
それは、へロディアの強い殺意を察し、命の危険が及ぶことから保護するためだったと読めます。

 救いなる神様の招きを告げる者と、その語りかけに耳を傾けようとする者の関係がここには書かれています。
ヘロデは、ヨハネの言葉によって神様に対して恐れ(畏れ)と聖なるものを感じ、喜んで耳を傾けていました。
ヘロデは、領主である自分に対して、利害関係からのお世辞でも、へつらいでもない、
一個の人間として自分の救いのために深い愛を持って語りかけてくる人に出会っていたのです。
そこでヘロデは、自分自身と、自分の罪と向き合っていたと思います。

 しかし、その関係は、複合的に重なってしまった罪とヘロデの優柔不断によって断ち切られてしまいました。
ヘロデはヨハネの語りかけに完全に心を開くまでには至っておらず、
躊躇している間に、その道が閉ざされてしまったのです。
希望は失われてしまいました。
このように、自分を含め周囲の者たちの言動が幾重にも重なって、
過ちや諍いなど起こってしまうことは、この私たちの世に形を変えてあるのではないでしょうか。
大切なヨハネの首をはねよという命令を、ヘロデは自分自身が出すに至ったのです。
ヘロデには、権力を持った自分に対し、
命の危険を承知で語ってくれた師を裏切ってしまったことを深く後悔したと思います。

 その彼の耳にナザレのイエスという人物のうわさが入ってきます。
ヨハネのように、ヨハネ以上に、人々を癒し、悪霊を追い出し、神様の救いを与えている者がいる。
人々は彼のことを「洗礼者ヨハネが生き返った」と言っています。
ヘロデはそれを聞いてどう思ったでしょう。
「ヨハネが生き返っただと。恐ろしい。
  首をはねた私をヨハネは責めに来るにちがいない。
  今度こそ私は完全に滅びを宣告されるのだろうか。」
などという思いはなかったと思います。
「洗礼者ヨハネが死者の中から生き返ったのだ」ということを聞いた時、
おそらくヘロデは、あの時感じ取った深い愛情、神様の救いに招いてくれた、
あの洗礼者ヨハネを通して語りかけられた言葉がよみがえってきたのではないでしょうか。
取り返しがつかないことをしてしまった自分の近くに、イエスという人が来ていて
 「神の国は近づいた。 悔い改めて、福音を信じなさい。」 と、神様の救いを明らかにしているという。
人々に、そしてこの自分にも再び救いの招きを与えようと近づいて来る人がいる。
人々と同様に、イエス様のことをヘロデ自身も
「わたしが首をはねたヨハネが、生き返ったのだ。」と捉えました。
ヘロデは希望を持ってこう言っているのです。

 ヘロデは、ヨハネを亡き者にしてしまい、彼が語り続けた神の愛を受け容れきれなかったかもしれません。
しかし、罪の人間が御言葉を止めても、神様の語りかけは止みません。
ヘロデの耳に届いていたように、あなたにも今日語りかけられています。
「御父(アッバ)のご支配があなたのもとに来ている。
  神様の守りの中にあなたはいる。
  神様の方へ向き直って(悔い改めて)、御父の福音を信じて生きて行きなさい」 と。
「そうだ。あなたが出会ったあの人が言っていたように、慈しみの父の元へ一緒に帰って行こう。
  あの人が愛の御父を、映していたことが分かるか。」
皆様はこれまで、神様を映してくれた人と出会ってこられたと思います。
救い主は、あなたがキリストの道備えとして出会って来た方々を愛でておられます。
あの人がいたから今日私は神様の救いに与っている。
日ごとの神様にある祝福にある。
永遠の生命なる神様の福音は、あの人も伝え、そして私たちが語り伝え、
永遠に語り継がれていく神様のご真実です。
福音の神様はあなたを包んでいます。

戻る