2022年  5月 29日  主の昇天主日(白)

      
聖書 :  使徒言行録           1章 1節~11節
            詩編               47編
            エフェソの信徒への手紙    1章 15節~23節
            ルカによる福音書       24章 44節~53節

      
説教 : 『 キリストの昇天 』
              信徒のための説教手引きより 齋藤幸二牧師 信徒代読

      教団讃美歌 :  169、 158、 162、 243

  今日はイエス・キリストの昇天を記念する日曜日です。十字架に死んで三日目に復活されたイエス・キリス
トは、それから40日間弟子達に、神の国について教えられた、と聖書に書かれています。そして、よみがえっ
てから40日目に天に昇られました。全世界に、罪の赦しの福音を伝えるようにと命じてから、弟子達の見て
いる前で天に昇ってゆかれたのです。

  このように、イエス・キリストが昇天された、ということはイエス・キリストが父なる神のおられるところ、永遠の天
の御国に行かれた、ということです。

  イエス・キリストが昇られた 「天」 とは、いったいどこのことでしょうか。
  現在、毎日のニュースを賑わしているロシアで、旧ソビエトという国がなくなった時に、それまでソビエトの英
雄だったレーニンの銅像がクレーンで取り除かれました。でも人類はじめての宇宙飛行士となったガガーリン少
佐の銅像はいまでもモスクワに残っています。

  そのガガーリンが宇宙に出た時に、「地球は青かった。」 と言って有名になったのですが、同時に彼は、「宇
宙には神はいなかった。」 とも言ったとされています。きっと神が天におられる、ということを聞いていたので、そう
言ったのだと思います。 でも今日、イエス・キリストが天に昇られた、という、その天はどこかの場所ということでは
ありません。「天」 という言葉は人間をはるかに超えた神聖な世界を意味しています。

  確かにイエス・キリストは実際に弟子達の見ている前で天に昇られました。 しかし、その姿はやがて雲に包
まれて見えなくなってしまったのです。この雲は神様の臨在のしるしです。 雲が特別にあらわれると、その中に
神様がおられることのしるしとなるのです。ですからイエス・キリストが雲に包まれてそのお姿が見えなくなったとい
うことは、イエス・キリストが聖なる神様の次元に戻られたということです。

  イエス様がこのように天に昇られたのはイエス様おひとりのためではありませんでした。イエス・キリストはわたし
たちを愛してくださり、わたしたちのために天から下り、わたしたちの罪のために苦しみと死を引き受けてくださり、
そして復活して天に昇られました。 それによってわたしたちに神の祝福の道が開かれ、天の門が開かれたので
す。

  弟子達が最後に見たイエス・キリストの姿は弟子達を祝福しておられる姿です。 イエス・キリストは弟子達
を祝福し、祝福したまま天に昇られました。

  わたしたちはこの地上にある限りは、不完全で罪と汚れをもっています。 自分の弱さや罪に苦しみます。
でもイエス・キリストを信じる人が天を見上げるとき、そこには今も十字架の傷痕のある手を広げてわたしたちを
祝福しておられるイエス・キリストがおられます。わたしたちはどんな時でもこの主を仰ぎ見ることが許されているの
です。地上ではつまずきや失敗があるでしょう。 でも天からは変わることのない祝福が注がれているのです。で
すからわたしたちはすべてのことについて気落ちしないで、いつもこのキリストを見上げて喜びと感謝をもって生き
ることができます。

  イエス・キリストが天に昇られた、ということのもう一つの意味は、イエス・キリストがこの世にあるすべての力、
位(くらい)、権威の上に立つ支配者となられた、ということです。

  マタイ福音書には、イエス様の昇天のことは書いて無いのですが、そのかわりに 「わたしは地においても一
切の権威を授かっている。」 と語っています。イエス・キリストは天という永遠の世界におられ、歴史を支配して
おられる方でもあるのです。

  この地上でイエス・キリストに従って生きることには、困難や苦しみ、闘いがあります。 ですから、このキリスト
の支配に従うことが一番安全で確かな道なのです。

  以前、名古屋で中学生の恐喝事件がありました。同級生を脅した中学生たちも、また他の人から脅され
て恐喝を働いたようです。もし彼らが本当の力をもつ、このイエス・キリストを知っていて、このキリストに従うことが
できたら、人を苦しめることはなかったでしょう。

  また、もし自分の働いている会社が悪いことをするとき、会社の力が一番だと思っている人は、イエス・キリス
トに従うことはできません。 それで自分も巻き込まれて悪いことをしてしまいます。 その人にとって会社が神様
のようなものだからです。

  私たちがこの地上に生きるとき、いろんな力、支配がわたしたちを動かし、従わせようとします。でもわたした
ちは天におられるイエス・キリストの力と支配を信じているのです。わたしたちは一番強い本当の支配者を知ら
なければなりません。

  第二次世界大戦の時のことですが、ルーテル教会の牧師で渡辺潔という人がいました。この人は戦時中、
香港の捕虜収容所でイギリス軍捕虜の通訳として働いていました。ところが、日本は捕虜の人権を守るという
ジュネーブ条約に加盟していなかったので、捕虜を大事に扱いませんでした。病気にかかっても十分な手当を
受けられないで死んで行く捕虜が香港にもたくさんいました。それで、渡辺牧師は軍に内緒で薬を捕虜に渡し
たのです。

  その結果、大勢の捕虜が命を救われたのです。 戦後になって、もとイギリス軍の捕虜たちは渡辺牧師を
訪ねて、涙を流して感謝したということです。

  戦争が終わって行われた軍事裁判で、戦争で敵を殺した、という理由で裁かれた人はいませんでした。 
しかし、人道に反することをした、ということで多くの人が裁かれたのです。 ことに捕虜収容所の人が多く処刑
されました。

  あの時代の人々にとって、一番強い力は日本の軍隊の力だったのでしょう。でも渡辺牧師にとって、もっと
強い力は、イエス・キリストの力だったのです。だから軍隊の考えよりも 「あなたの敵を愛しなさい。」 というキリス
トの言葉に従ったのです。

  この世の力は目に見えるものだけではありません。わたしたちの知恵や力に勝る、強い悪の霊的な力がわ
たしたちを脅かしています。でもイエス・キリストは天から聖霊を送ってくださり、罪の力から守ってくださいます。

  イエス・キリストの昇天を見た弟子達は、大喜びでエルサレムへ帰り、絶えず神殿の境内にいて、神をほめ
たたえていた、と書かれています。彼らが帰って行ったエルサレムは、イエス・キリストが十字架につけられたところ
です。ですから、このエルサレムでは、弟子達に対する敵意がありました。でも弟子達はそのエルサレムの中心
である神殿で、喜びをもっておおやけに神をたたえていたのです。

  キリストの弟子達は家に閉じこもって周りの人々を恐れていた、聖霊を受けてからはじめて勇気を与えられ
た、と考える人もいますが、本当はイエス・キリストの復活と昇天によって弟子達は喜びと勇気を与えられていた
のです。

  わたしたちも、昇天されたイエス・キリストを見上げて喜びと勇気をもって生きていきたいと思います。
お祈りいたします。
  神様。地上を歩んでいるわたしたちは自分の罪や弱さのために失敗し、また傷つくことがあります。でもそん
な時、天で祝福しておられるイエス・キリストを見上げさせてください。またいろんな力がわたしたちを恐れさせる
時、すべての力に勝って強い力で支配されている主イエス・キリストを仰がせてください。イエス・キリストの御名
によって祈ります。アーメン

                                              

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