男性中心の社会では、夫、あるいは父親を持たない寡婦・孤児はどうしても不利な立場に立つもので
した。律法は彼らを擁護するようにと教えているのですが、人は誰でも自分の利益を優先させ、弱者の
擁護は後回しにしたに違いありません。
「相手を裁いて、わたしを守ってください」
「裁いて守る」と訳された言葉(エクディケオー)は、不当な扱いを受けている者の権利を守り正義をも
たらす」の意味であります。寡婦であるがゆえに不利益をこうむった女性が、権利の回復(おそらく土
地や金銭上の紛争)を求めて裁判官に訴えを起こした。規則に因れば、寡婦の訴えは優先されるべき
なのですが、「神を畏れず人を人とも思わぬ」「不正な」裁判官はそれを採り上げようとはしません。寡
婦の訴えた相手は金を持つ有力者であり、裁判官に手を回し、訴えを封じようとしていたのかもしれま
せん。「神を畏れず」とは「神の裁きを恐れない」ことでもありますから、この裁判官は賄賂を受け取
るぐらいはしていたのではないでしょうか。
それでも寡婦は裁判官のもとに足繫く通う。そうすることが寄る辺のない彼女に残された、唯一の手段
だからであります。
話は飛びますが、パウロは獄に収監されておりました。人殺しもせず、盗みをしたわけではありません
イエスの磔刑と復活を告げずにはいられなかっただけだったのです。「福音を告げないのであれば、わ
たしは呪われた者と同一である」と、聖霊に押し出されて、悔い改めと覚醒と信じて平安の人生へと招
いたのでした。パウロはそのためにこそ、前のめりになって、ひたすらに身体を伸ばして、進んでいた
だけだったのでしたのに・・・。
「わたし自身は、既にいけにえとして奉げられています。世を去るときが近づきました。わたしは、戦い
を立派に戦い抜き、決められた道を走り通し、信仰を守り抜きました。今や、義の栄冠を受けるばかり
です。正しい審判者である主が、かの日にそれをわたしに授けてくださるのです。しかし、わたしだけで
はなく、主が来られるのをひたすら待ち望む人には、だれでも授けてくださいます。」4:6-8
最初の捕縛された時にはほどなく放免されたのですが、今回は状況の成り行きから推し量って、自分
は処刑されるだろう、と覚悟をしている節がこの文書から感じ取れます。実際、この手紙を書いた2,3
か月後に処刑されたのでした。
仮に、パウロが生き続けたのであったならば、ローマでの十字架と復活の宣教は、はるかに早く拡大
した事でありましょう。しかしながら、パウロがおこした各地方の教会につながるキリスト者たちは生き
残ってパウロの熱のこもった書簡を受け取って読み、閲覧したり、書き写したりしました。ローマを始め
地中海周辺の教会信徒にとって、惜別の悲しみを受け止めながらも、これらの手紙が伝達した福音の
持つ力と熱いメッセージは、パウロが死んでも、何らの損傷をも受けずに、彼らの中で生きて、慰め、
励まし続けて行ったのです。彼の死はその後も書いたであろう書簡は途絶えましたが、既に受け取っ
た書簡の力は消滅しなかったのです。イエスの時代、ペテロ初代使徒の時代、そしてパウロの殉教は
パウロの時代へと進展してゆきました。パウロの死は、彼の書簡から力を受け取る信仰者が地球上に
存在する限り、為政者によってパウロを処刑して、イエスの福音宣教を阻止するはずの処刑であって
も、何ほどのものでもなかったのではないか。今日のキリスト教会の人類救済神学の根幹はパウロの
書簡に基礎づけられていると言ってよいでしょう。そうだとすれば、数世紀の時間軸でみるならば、イエ
スとパウロの熱い祈りは、主の裁きとして聞き摂られていったと言えましょう。コンスタンティヌス帝の時
代に、キリスト教を認めることに踏み切り、313年にミラノ勅令を発してキリスト教を公認するに至った
のでした。
パウロが行った当時の世界伝道と遺された書簡の甚大な重みを前にして、彼の死は何ほどのもので
もない不思議さを感じるのです。イエスがわれらの中で生きているように、またパウロの書簡はわれら
を充分に充たして、時が良くても、悪くても、わたしの人生を生かし押し出すのであります。
ここで個人的な話をしましょう。と言うのも、「励む」が、向けられている対象は、一律ではなく、時代区
分、政治経済体制、男女年齢など各自各様であってこそ、「励む」が生かされてくるのではないか、と思
えるからです。そうした中でも、もちろん普遍性はあるのだと思っております。
わたしは現在元気に過ごして居りますが、人生の終盤に差し掛かっております。
その時点にいる自分にとって、「折が良くても悪くても励みなさい」と言う聖書の言葉をどのように受け
取ればいいのでしょうか。
「もうそのお年では、遅すぎますよ。」と、言われる場面もございます。この年齢になった人は、もはや「
折が悪い」と摂るべきなのか。そうだとしても、「悪くても励みなさい」と今日の聖書からは読んでしまい
ます。
折が悪くても励みなさい。個人の事として考えれば確かに、身体は壮年のようにはゆかない。慎重に
かつ丁寧に己が身体を動かすようにしています。転んだり滑ったりして怪我をしないための心がけであ
ります。だが、つい忘れて、これまで出来ていたのだからと無意識に、乱暴に身体を動かしてしまって
います。体と脳の調整機能の誤作動には、まだ慣れておりません。わたしにとって、「励みなさい」とは
どういうことになるのでしょうか。もっと早く能率を上げて作業を進めることではないでしょう。わたしなり
に約束した仕事の内容を支障なく果たして行くためには、時間を確保して身体と精神と霊性をより丁寧
に整えてゆくほかはございません。そこで問題になるのは、個人的な興味や好奇心を許容範囲にとど
めることの難しさであります。それなりに身体がまだ動くものだから、自分の体力を超えて行動してしま
うことがありあります。そのために「ああ、心身の限界をこえたな!!?」と後悔することがございます。
「励みなさい」には他に「続けなさい=待機して、いつも良くできる用意をしていなさい」も含まれていま
す。
老人は体力の持続も、瞬発力も弱くなってきております。ですから、毎日少しずつ、続ける他はござい
ません。自分なりにではあるのだけれど、生きることを放棄・断念してならないと思っております。
その人なりの生き方、在り方があるのですから。身体の内からの促しにしたがって、休息したり、食べ
たり、排せつがあり、眠ったり、遊び心を楽しめばいいのです。
「楽しい心で年をとり、働きたいけれども休み、しゃべりたいけれども黙り、若者をねたまず。謙虚に人
の世話になり、役だたずとも、親切で柔和であること。おのれをこの世につなぐ鎖を少しずつはずして
いくのは、真にえらい仕事。手は何もできない。けれども最後まで合掌はできる。愛するすべての人の
うえに、神の恵みを求めるために。すべてをなし終えたら、臨終の床に神の声を聴くだろう。「来よ、わ
が友よ、われなんじをわが家に迎えん」と。(ベルマン・ホイヴェルス神父の言葉より)の抜粋
主よ、私どもを憐れんで受け入れてください。アーメン
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