1.
見籠りの時
人間は命を与えられ、母親の体内で約9ヶ月経つとこの世に生まれてきます。予定日というものはあります
が、それを過ぎると羊水が汚れてくるので、何らかの処置、たとえば帝王切開などで、あまり遅くならないうちに
取り出すのが常です。つまり、決められた時があり、だいたいその時に生まれてくるようになっています。不思議
な自然の摂理ですね。では、動物はどうでしょう。調べてみますと、ウサギは1ヶ月、ハムスターは15日、猫と
犬はだいたい2ヶ月で生まれてくるということです。また、お腹にいる時間が長ければ長いほど、「自立」 や、「親
離れ」 が遅いとも書かれていて、興味深い思いにさせられました。
私たちのイエス様も私たちと同じように、人として、この世にやってこられました。本日の聖書の箇所は、そ
のイエス様の誕生の次第が書かれています。そして、まず何より先に、イエス様の母となったマリアと、父となった
ヨセフのことが書かれています。
2.
母になるマリア
母になるとは、どのようなことでしょうか。赤ちゃんを抱えれば、大きな責任が一挙にのしかかってきます。そ
れまで、自分のことだけを考えればよかった生活が一変します。オシッコをしてないか、お腹が空いてないか、熱
はないか、機嫌はどうか等々。24時間、それはひとときも休まず手を取られる営みです。自分の腕の中に眠り
、憩っているその幼子の命を与るという使命です。マリア様から、2000年たった今でも、この 「子産みと子育て
」 の営みは、基本的に変わっていません。命を育む営みは、機械では決して出来ません。 そうすれば死んで
しまいます。たとえば泣けばあやすという動作は、人間のふところと声でしかできないのです。今、多くの育児で
の問題が出てきていますが、「命」 を 「愛情」 で育む難しさが、どんな科学万能社会になっても、かえってあら
わになって出て来ている証拠でしょう。
本日の日課のマリア様は、大変ですね。 婚約者はいましたが、自分が身籠って男の子を産むなどとは、
身に覚えのないことだったのですから。びっくりですね。でも、マリアは天使からのお告げで自分の与えられた役割
を自分なりに受け入れてゆくのです。10代であった若い女性が、お腹に身籠った命を受け入れ、育む 「選択
」 をするのです。この件は、平行記事であるルカ伝1章の26節~38節も参考になさってください。
3.
父になるヨハネ
さて、マリアの婚約者だったヨセフ。 彼にとって恋人の懐妊の知らせはどんなだったでしょう。まさに、驚きそ
のものだったでしょう。マタイ1章19節を見てください。 《 夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざ
たにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。 》 とあります。正しい人と書かれたヨセフ。 その訳は、も
う一つの意味として 「優しい」 としても良いでしょう。それは、当時の時代背景からして、不倫を行った妻は石
打ちの刑にあうという状況。ヨセフにとっては、自分の子ではないと考えられるマリアの懐妊。 そのような状況の
中で、《 ひそかに縁を切ろうと 》 とは、マリアが死罪に合わないための、究極の策であったのです。ヨセフの心は
疑問で渦が巻いていたでありましょう。身籠りについては、何が何だか解らないかもしれない。 けれどヨセフは、
マリアも赤ちゃんも、守られるにはどうしたらよいかという選択を熟慮したのです。
そして結果的に下した、 「縁を切る」 という決断は、他者から見れば、「ヨセフは婚約者を捨てた」 と言う
汚名を着せられても構わない覚悟だったのです。あまり表に出て来ないヨセフですが、愛情の深い優しい人で
ありました。
4.
天からの支え
そんな決心をしたヨセフの夢に、天使が現れて言います。《 「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎えいれ
なさい。 マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。 その子をイエスと名付けなさ
い。 この子は自分の民を罪から救うからである。」 》
これで、ヨセフの疑問は解けた。行くべき道が見えた。と、言うことが出来ます。24節以下は、夢から目
覚めたヨセフが示された道を歩みだすところです。
このように、イエス様の母となったマリアと父となったヨセフは、小さな町の小さな存在でしかありませんが、愛
と信仰を通して、イエス様の命を育む尊い使命を歩み始めました。マリアの体に宿っている命・胎の子が生きて
いくことを心から願い、やるべきことを求めていったのです。そしてマリアもヨセフも、心の中には、あの時聞いた、
聞こえてきた天からの言葉に励まされ、それを信じ続けて行ったことでしょう。
「命」
と言うものは本当に不思議です。 勿論、誰もが 「産んでくれと頼んで」 生まれてきたのではありま
せん。「一体、人間とは何か」 などと考えれば解らないことが多すぎるのです。でも、誰もが生きる限り、命を謳
歌し幸せを望むのです。そこで、聖書がその問いの答えを導いてくれているのは、人として産まれ人間を生き、
まさに 「人の生き方」 を示してくださったイエス様です。そこには、罪と赦し、十字架と救い、愛と希望が隠され
ています。本当に心が温かくなる教えです。
本日は、そのイエス様の父と母となられた、ヨセフとマリアの最初のお話でした。イエス様を受け入れその役
割を担うのはとても大変だったことでしょう。しかし、素晴らしい人類への最高のプレゼントが育まれたことに感謝
いたしましょう。
お祈りいたします。
愛の神様。 私たち誰もが、命を与えられて、日々歩んでいます。この命の尊厳を、自分と他の人々との
間に学び続けることが出ますように。社会の中での苦しめる命と魂の救いを、なによりも優先することができます
ように。これから産まれてくる新しい命にとって、良い社会となりますよう、私たちを働かせてください。み子、イエ
ス・キリストによって祈ります。アーメン