2022年  12月 18日  待降節第4主日

      
聖書 :  イザヤ書               7章 10節~16節
            詩篇                 80編2節~8節、18節~20節
            ローマの信徒への手紙      1章 1節~7節
            マタイによる福音書         1章 18節~25節

      
説教 : 『  命の選択 
                     信徒のための説教手引き 信徒代読
      教団讃美歌 :  1、 14、 30、 41

1.      見籠りの時

人間は命を与えられ、母親の体内で約9ヶ月経つとこの世に生まれてきます。予定日というものはあります
が、それを過ぎると羊水が汚れてくるので、何らかの処置、たとえば帝王切開などで、あまり遅くならないうちに
取り出すのが常です。つまり、決められた時があり、だいたいその時に生まれてくるようになっています。不思議
な自然の摂理ですね。では、動物はどうでしょう。調べてみますと、ウサギは1ヶ月、ハムスターは15日、猫と
犬はだいたい2ヶ月で生まれてくるということです。また、お腹にいる時間が長ければ長いほど、「自立」
や、「親
離れ」
が遅いとも書かれていて、興味深い思いにさせられました。

私たちのイエス様も私たちと同じように、人として、この世にやってこられました。本日の聖書の箇所は、そ
のイエス様の誕生の次第が書かれています。そして、まず何より先に、イエス様の母となったマリアと、父となった
ヨセフのことが書かれています。

2.      母になるマリア

母になるとは、どのようなことでしょうか。赤ちゃんを抱えれば、大きな責任が一挙にのしかかってきます。そ
れまで、自分のことだけを考えればよかった生活が一変します。オシッコをしてないか、お腹が空いてないか、熱
はないか、機嫌はどうか等々。24時間、それはひとときも休まず手を取られる営みです。自分の腕の中に眠り
、憩っているその幼子の命を与るという使命です。マリア様から、2000年たった今でも、この
「子産みと子育て
の営みは、基本的に変わっていません。命を育む営みは、機械では決して出来ません。 そうすれば死んで
しまいます。たとえば泣けばあやすという動作は、人間のふところと声でしかできないのです。今、多くの育児で
の問題が出てきていますが、「命」
「愛情」 で育む難しさが、どんな科学万能社会になっても、かえってあら
わになって出て来ている証拠でしょう。

本日の日課のマリア様は、大変ですね。 婚約者はいましたが、自分が身籠って男の子を産むなどとは、
身に覚えのないことだったのですから。びっくりですね。でも、マリアは天使からのお告げで自分の与えられた役割
を自分なりに受け入れてゆくのです。10代であった若い女性が、お腹に身籠った命を受け入れ、育む
「選択
をするのです。この件は、平行記事であるルカ伝1章の26節~38節も参考になさってください。

3.      父になるヨハネ

さて、マリアの婚約者だったヨセフ。 彼にとって恋人の懐妊の知らせはどんなだったでしょう。まさに、驚きそ
のものだったでしょう。マタイ1章19節を見てください。 《
夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざ
たにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。
とあります。正しい人と書かれたヨセフ。 その訳は、も
う一つの意味として
「優しい」 としても良いでしょう。それは、当時の時代背景からして、不倫を行った妻は石
打ちの刑にあうという状況。ヨセフにとっては、自分の子ではないと考えられるマリアの懐妊。 そのような状況の
中で、《
ひそかに縁を切ろうと とは、マリアが死罪に合わないための、究極の策であったのです。ヨセフの心は
疑問で渦が巻いていたでありましょう。身籠りについては、何が何だか解らないかもしれない。 けれどヨセフは、
マリアも赤ちゃんも、守られるにはどうしたらよいかという選択を熟慮したのです。

そして結果的に下した、 「縁を切る」 という決断は、他者から見れば、「ヨセフは婚約者を捨てた」 と言う
汚名を着せられても構わない覚悟だったのです。あまり表に出て来ないヨセフですが、愛情の深い優しい人で
ありました。

4.      天からの支え

そんな決心をしたヨセフの夢に、天使が現れて言います。《 「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎えいれ
なさい。 マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。 その子をイエスと名付けなさ
い。 この子は自分の民を罪から救うからである。」

 

   これで、ヨセフの疑問は解けた。行くべき道が見えた。と、言うことが出来ます。24節以下は、夢から目
覚めたヨセフが示された道を歩みだすところです。

このように、イエス様の母となったマリアと父となったヨセフは、小さな町の小さな存在でしかありませんが、愛
と信仰を通して、イエス様の命を育む尊い使命を歩み始めました。マリアの体に宿っている命・胎の子が生きて
いくことを心から願い、やるべきことを求めていったのです。そしてマリアもヨセフも、心の中には、あの時聞いた、
聞こえてきた天からの言葉に励まされ、それを信じ続けて行ったことでしょう。

「命」 と言うものは本当に不思議です。 勿論、誰もが 「産んでくれと頼んで」 生まれてきたのではありま
せん。「一体、人間とは何か」
などと考えれば解らないことが多すぎるのです。でも、誰もが生きる限り、命を謳
歌し幸せを望むのです。そこで、聖書がその問いの答えを導いてくれているのは、人として産まれ人間を生き、
まさに
「人の生き方」 を示してくださったイエス様です。そこには、罪と赦し、十字架と救い、愛と希望が隠され
ています。本当に心が温かくなる教えです。

本日は、そのイエス様の父と母となられた、ヨセフとマリアの最初のお話でした。イエス様を受け入れその役
割を担うのはとても大変だったことでしょう。しかし、素晴らしい人類への最高のプレゼントが育まれたことに感謝
いたしましょう。

お祈りいたします。

愛の神様。 私たち誰もが、命を与えられて、日々歩んでいます。この命の尊厳を、自分と他の人々との
間に学び続けることが出ますように。社会の中での苦しめる命と魂の救いを、なによりも優先することができます
ように。これから産まれてくる新しい命にとって、良い社会となりますよう、私たちを働かせてください。み子、イエ
ス・キリストによって祈ります。アーメン

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