2022年  2月 27日  主の変容

      
聖書 :  出エジプト記          34章 29節~35節
            詩編               99編
            コリントの信徒への手紙Ⅱ  3章 12節~4章 2節
            ルカによる福音書       9章 28節~36節

      
説教 : 『 じっとこらえていると 』
                信徒のための説教手引きより 田島靖則牧師
           
      教会讃美歌 :  186、 322、 198、 361

 「1月は行く、2月は逃げる、3月は去る」と言いますが、もう2月の最終の日曜日となりました。そして今
週の水曜日から、主日である日曜日を除いた40日間が、教会暦で定められた「四旬節」ということになります。
この週の水曜日は、通常「Ash-Wednesday=灰の水曜日」と呼ばれ、特にヨーロッパやアメリカの教会では、
棕櫚(シュロ)の葉を燃やした灰で、額に十字の印をつけるという習慣を守っているところがまだ多くあるようです。
この「灰で十字の印をつける」ということの意味は、「悔い改めの気持ちを表す」ということにあります。つまり、今
週の水曜日から始まる教会の季節は「悔い改めの季節」であるということになります。冬の終わりのこの季節、
春が来る前のこの時期に、深く自分の内面を見つめ、神様の前に真実の自分を問う時を持つことが求められます。
ごまかしはごまかしを生み、いつまでも本当のことにはたどりつかない。ちょうど、狂ってしまった時計の時間を直すよ
うに、私たちにも「悔い改めの季節」が必要です。四旬節とはそういう季節なのです。

 さて、本日私たちに与えられました福音書の日課は、ある夜、キリストが3人の弟子を連れて、祈るために山に登
られたときの出来事を伝えております。福音書を読む限りでは、キリストはしばしば祈るために、夜、山に登られたと
いうことが分かります。ルカによる福音書ならば6:12には「そのころ、イエスは祈るために山に行き、神に祈って夜を
明かされた」とありますし、有名な「ゲッセマネの祈り」は「最後の晩餐」の後、つまり暗闇の中での祈りであったことが
知られています。そして、いつもイエス様のお供をして山に登り、祈り始めた弟子たちが睡魔におそわれ、ついに眠り
こけてしまうという構図も、ここから生まれてくるのです。

 さて、キリストの変容、つまり「姿が変わる」という出来事は、その「祈りの最中」に起こったと聖書は伝えています。
「祈っておられるうちに、イエスの顔の様子が変わり、服は真っ白に輝いた。」そして弟子たちは、そこにイエス様のほ
かに二人の人物の姿を認めます。それは、弟子たちが旧約聖書の中でだけ知っていた人物、偉大な預言者モーセ
とエリヤでした。モーセは言うまでもなくイスラエルを「エジプトの奴隷生活」から導き出し、「十戒」を授かり、律法の基
礎をつくった人であり、エリヤは「不正や政治的腐敗を糾すために立ち上がった北王国イスラエルの預言者」でした。
「律法」は人々に進むべき道を教え、「預言」は道をそれた人々を連れ戻します。その「律法」を代表するモーセと、
「預言」を代表するエリヤに、「私たちを愛し、悔い改める者を赦すキリスト」が加わり、ここに「救い」と言われる出来
事が完成するのです。この三人が語り合っていたことは、イエス様がこれから遂げようとされている最期、つまり「十字
架の苦しみ」と、そして約束される「赦しと救い」についてであります。

 イエス様の顔の様子が変わり、服は真っ白に輝いた。そこには伝説の預言者であるモーセとエリヤの姿も見える。
すぐそこで起こっているこの尋常ならざる出来事にもかかわらず、弟子たちは睡魔におそわれ、迫り来る誘惑に飲み
込まれそうな有様なのです。

 しかしここで福音記者ルカは、この時の三人の弟子の様子をこう記しています「ペトロと仲間は、ひどく眠たかったが、
じっとこらえていると・・・。」彼らは、じっとこらえていた。かれらは、眠りこける寸前のところで、じっとこらえていた。そし
て、彼らは雲の中から声を聞きます「これはわたしの子、選ばれた者、これに聞け。」ここで「眠り」によって象徴され
ているのは、私たちを取り巻き、私たちを飲み込もうとしている様々な試練、様々な心配事や苦しみでしょう。しか
し、その渦巻く混沌の中にあっても「じっとこらえていると」希望の言葉を聞くことが出来る。じっとこらえている人には「
神の言葉」が与えられる。じっとこらえていれば。じっと目覚めている人には、真っ白に輝くキリストの姿が見える。じっ
と目覚めていれば・・・。

 「灰の水曜日」からはじまる、この冬の終わりの季節。やがて来る春を笑顔で迎えるためにも、じっとこらえて「神様」
と「自分」に向き合って「悔い改め」をなす時としようではありませんか。

 <祈り>神様、悔い改めの季節を迎え、静かに自分を省みる時をもてますことを感謝いたします。私たちを愛し、
悔い改める者を赦すキリストの言葉を胸に刻み、悔い改めの後に私たちが全く新しくされ、新しい一日を歩み出すこ
とが許されることを信じます。

 どうか私たちの歩みを守ってください。主イエス・キリストのみ名によって。アーメン
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