2022年 5月 1日 復活後第3主日(白)
聖書 :
使徒言行録 9章 1節~20節
詩編 30編
ヨハネの黙示録 5章 11節~14章
ヨハネによる福音書 21章 1節~19節
説教
: 『 さあ、朝の食事をしなさい 』
木下海龍牧師
教会讃美歌 : 181、 271、 402、 289
「シモン・ペテロが『わたしは漁に行く』と言うと、彼らは『わたしたちも一緒に行こう』と言った。彼ら
は出て行って、船に乗り込んだ。しかし、その夜は何もとれなかった。」
ヨハネ21:3
ここには人間の素の姿があるように読めます。
先が見えない苦労ばかりのような人生の中で、いったんは諦めて、その日暮らしを他の人とは競い
ながら、今日と明日の日々の営みを背負って生きていた。その最中で、ナザレのイエスに出会い、イエ
スの神の国運動に召し出された。これまで、よりどころにしていたこの世の営みを捨てて、イエスに従っ
て希望に燃えた熱い日々を過ごした。瞬く間にその三年間が過ぎて行った。ところが、すべてを賭けて
従ってきた師であるイエスは、処刑されてしまった。残された自分は明日からどう生きたらよいのか!
!??
何をよりどころにして生きればいいのだ!!?? プッツ!!と途切れた現実にペテロたちは立ち
尽くした。それでもとりあえず今日と明日を生きてゆかねばならない! 何を!? どうして行けばいい
のか!!当然行き着くところは、自分が出来る事、過ってしていたことから始めるのが自然な流れであ
ったでありましょう。
ただし、ここでは大きな人生のやり直しをするリスクが伴っていたのです。魚を捕る漁師から人を捕
る漁師(福音宣教者)に召し出された者が、元の魚を捕る漁師へと戻る人生の危機に当面したのです。
ペテロを始めとしてほかの「弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった。」マタイ26:56
このマタイ福音の記述からでも、ペテロたち弟子は人生の敗北者としての惨めな道があるだけに見
えたのではないでしょうか。
ここで、押さえておく重要な「信仰」をめぐる奥義としての真理性について理解しておきましょう。
信仰(ピステス)はイエスが差し出したピステス(真実)に寄って、あるいはイエスのピステスに共鳴し
て人の内側で生起するピステス(信仰)が存在するにいたる事です。神の愛の領域と接触するという人
の最も深い心層に於いて生起したピステス(信仰)はその後の人の行為とは関係なく、その人の内側
深くにピステス(信仰)は存在し続けている。それを理解しておくことです。仮に誤った行為をした行為そ
のものによっては、キリスト・イエスとのピステスの絆が消失することは無いのだ。と確信することです。
元々「神の前で信仰によって義とされた」のは我々の何らかの行為の結果、与えられたものではない
からです。復活後のイエスがイエスを見捨てて逃げてしまった弟子たちに向かって「子たちよ」と呼びか
け、彼らを再び立ち上がらせ、再度福音宣教の任務へと派遣されたのです。「弟子たちは皆イエスを
見捨てて逃げてしまった」 その弟子たちの内奥にはイエスから与えられたピステスの絆は、とっさに「
その人を知らない」と言って逃げた行為によってもな損なわれることは無いのです。「あなたはメシア、
生ける神の子です。」との告白は損なわれないで彼らの内奥に存在し続けていることをこの21章は語
っていると読めました。ただしそのままに放置するのではなく、自分に絶望し、虚しさに落ちいった彼ら
をイエスは復活姿を顕現して、喜びへと転回させ、最初に与えた役割へと目覚めさせ、再確認させる
儀式(祭儀)を行ったのです。
ここで、遠藤周作「沈黙」に登場するキチジローという人物が連想されます。ロドリゴが蔑んでみる
ような行動をする人間キチジロウーです。この人物は、どうしてもロドリゴ司祭の行く先々に現われる。
執拗に。苦難があっても現われる。離れずに最後まで共にいようとする姿が描かれています。
「
さあ、来て、朝の食事をしなさい」
・ 「何があっても、時間が来たら、まずは食事の支度をして、子供に食べさせるように。」
牧師夫人として、また四人の年子の育児に忙殺されていた妻が時々、実感を込めて言った言葉です。
それは大阪キリスト教短期大学時代に、婦人教師から言われた言葉が、今になって実感されてくる、と
言ったことでした。おそらくそれは、この先生御自身も、今から60年以上も前に、子育てをしながら専
任教師を続けることの大変さと、ご自分の体験から慕ってくる教え子に語った言葉だったのでしょう。
・ 夏休み中の「筑豊の子供を守る会」の奉仕活動を終えて帰途に就いた途中で、仲間の一人の家に
立ち寄りました。その友人は祖母に育てられた人でした。広い農家風の住居にその祖母にあたる方が
一人でお住みのようでした。携帯による連絡のできない時代ですから、孫息子が大学の友人数人を連
れて訪れるとは、急に知らされたのでしょう。我々がその家に着いてから、しばらくしてその祖母にあた
る方が帰宅されました。何か食材を工面しに出かけていた様子が感じられました。65年前のミカン畑
が広がる一角に高い背丈の細葉の生垣に囲まれた大きな農家風の住居、広く長い土間の向かいの
畳の部屋に私たちは招き上げられました。農村のこの一角には、コンビニやちょとっした店も見当たり
ませんでした。七輪から煙が立ち上がり、炊き立てのご飯とみそ汁と魚の一切れで私ども数人はもて
なされました。祖母になるそのお方は学生たちに食事を出すのに何か一生懸命な感じでした。彼女の
その時の焦っているような一生懸命な姿が思い出されて、今になって、私は申し訳ないような、痛まし
いような、そんな感情がこみあげて、切なく思い出され、その時の彼女のお心遣いに、切なさの混じっ
た有難さを感じております。ひと様に一食一飯を供することは、とても大切なことで、基本的な人のもて
なしの姿であったのだと、思い出される出来事でありました。
今の時代は、比較的気軽に食物が手に入りやすい時代だけに、家庭にお招きして、食事を共にす
ることは稀有なこととなりました。それだけに人間関係が薄くなる傾向があるような気もします。
ヨハネ12:2 「 イエスのためにそこで夕食が用意され、マルタは給仕をしていた。ラザロは、イエスと共に食事の席に着いた人々
の中にいた。」
イエスは、「
さあ、来て、朝の食事をしなさい」
ヨハネ21:12)と言われた。弟子たちはだれも、「
あなた
はどなたですか」と問いただそうとはしなかった。主であることを知っていたからである。
「
陸に上がってみると、炭火がおこしてあった。その上に魚がのせてあり、パンもあった。」
イエスから朝ご飯をもてなされながら、弟子たちは、イエスのもとから逃げ出したことを反芻していた
のではないでしょうか。だから主であることを知りながら、どんな最初の一声を出してらいいのかわから
ず黙っていたのではないでしょうか。
一方、イエスは「
子たちよ、何か食べるものがあるか」と親しさを込めて、彼らの食事の心配をし
ておられたのです。ここで使われた「子たちよ」=パイディアはヨハネ福音書ではここで初めて使われて
います。この言葉は「権威ある人」「権威ある先生」が愛情を込めて子供たち、教え子たちに言うときの
ことばです。私たちも、今日、「
子たちよ」と呼びかけるイエスの御声を聴くのです。 アーメン。