2022年  5月 8日  復活後第4主日(白)

      
聖書 :  使徒言行録           9章 36節~43節
            詩編               23編
            ヨハネの黙示録          7章 9節~17章
            ヨハネによる福音書      10章 22節~30節

      
説教 : 『 魂で受け取る 』
              信徒のための説教手引きより 谷川卓三牧師 信徒代読

      教団讃美歌 :  281、 291、 298、 314

  第一の日課の始めに「アブラハムの子孫」と書かれています。旧約聖書にこのようなことが書かれています。
アブラハムは、3人の見知らぬ旅人を神の使いとしてもたなしました。その子孫であるイスラエルの民はだから見
知らぬ旅人を心からもてなさねばなら、ということでした。「アブラハムの子ら」との呼びかけには、そのように高い
精神性へと人々を招く誇りに満ちたニュアンスが含まれています。アブラハムの子らは神と近い関係の中に置か
れているので、神にふさわしく歩むために、神がいつも配慮のもとに置いてくださっている。アブラハムの子らには
神の救いの約束が伴っている。神が救い主を送ってくださったのはこのアブラハムの子らに対してでした。

  私たちキリスト者も、神様を信じ、神を待ち望む同じアブラハムの子らです。だから聖書の言葉の声にいつ
も注意深くアンテナを向けていましょう。

  「あなたは神の子、私は今日あなたを産んだ」とのみことばは元来、主に向けられています。主の洗礼のとき
と、主の変容の時と、主の復活の時、という重大な局面で、この言葉が繰り返されます。「産んだ」とは霊的な
意味においてです。御父が御子を救い主として産んだ瞬間にこの言葉は天から響きます。

  その同じ言葉が私たちにも救いの言葉として今日与えられています。復活においてイエス様と私たちの関
係はすごく近くされました。主が私たちの内に今も生きておられるとはそのような圧倒的な近さを言っています。
そうであるので、神様がイエス様に送られた言葉は同時に将来の我々のためにも送られることとして読むように
語られたものとして受け取ることが必要です。イエス様が神の子であるように、私たちも神の子とされます。それ
が主のご復活においてもおこった出来事です。主の復活はイエス様と一つにされて、私たちも神の子とされる出
来事です。

  私たちは神の子とされます。イエス・キリストが共におられるなら、私たちは罪の赦しを得ており、義とされ、
朽ちぬ者に変えられている、と言われています。外面的にしか見られないなら、人は皆死んで朽ち果てるという
ことしか言えず、罪の赦しも義とされたことも、その死の前には無力な単なる飾りの言葉でしかありません。しか
し今や、内面性において、人はキリストと結ばれて復活の生命に与り、キリストと一つにされて、朽ちぬ生命、
神の子の生命、永遠の生命に与っている身として、罪の赦しも義とされたこともみな、真実性を帯びています。
内面性こそ真実の宿る基盤です。外面は滅びます。しかし内なるものは永遠です。信仰的視点において、内
なるものに対する感覚がさらに豊かに養われなければなりません。内面性の理解なしには、我々が神の子とさ
れることの尊さを理解することはできません。

  第二の日課を見ていきます。その内面とは私たちの心の奥底にある中核です。魂と呼ばれる部分です。そ
こにおいて復活礼拝がたえず取り行われているイメージが今日の日課に描かれています。有名な復活の大群
衆の絵があります。よく教会の壁にかかっています。白い衣を着た大群衆が天の玉座の周りで賛美しています。
これは単なる絵としてではなく、私たちの魂の中のイメージとして理解するとき、私たちの魂は勝利の賛美を歌
う大群衆に深い感動と慰めを与えられます。我々は独りではない。キリスト者は日本において1パーセントに満
たないかもしれませんが、私たちの個々の魂の中には勝利の大群衆が復活して主キリストと共に賛美している。
人には目に見える部分だけで判断して、結局は独りだと、思い込んではいませんか。しかし、キリスト教では、
人が独りであると思っていることは間違いであり、まだ成熟していない未熟な考え方でしかありません。私たちの
内面での復活の大群衆の大合唱を十分に聞き、私自身もその賛美の大合唱に加わりましょう。

  キリストの言葉である「わたしはアルファでありオメガである」という言葉の原点には、今日の「私と父とはひと
つである」の言葉に含まれています。この一致から導き出されるものはみな、永遠の命に与ります。逆に、このこ
とを知らない人たちは、内面が空虚にされ、それに応じて、さまざまな関係の距離が遠ざかります。「私の声を
聞き分ける羊」と「聞き分けない者たち」「信じない者たち」とに分かれます。魂という内なるみことばの受容器官
でみことばを聞き分けることができる者には、神様は私よりも私に近く、確かな方として、私たちの内におられま
す。そして、それこそ私たちの救いとなるものです。神様からの恵みはなにものにも勝って力強く、聖霊と一つに
される魂は、神様の力を帯び、他のどのような支配の力にも屈することのない、それらすべてに勝った神様の恵
みです。

  今日、内面性である魂の喪失と、延々と続く外的情報の中で、自己を見失った人々は、再び、神様を出
会うべき時を迎えています。内なる魂において神様がたえず近くにおられるなら、私たちの世界は創造性に富
み、喜びを分かち合う世界へと変容していくことができます。「彼らは決して滅びず、だれも彼らを私の手から奪
うことはできない」。イエス・キリストと共に、イエス・キリストの内で、彼らはイエス・キリストと一つとされ、神の子と
され、永遠の命にあずかり、神様のようにもはや滅びないものとされます。

<祈り>
  復活の主イエス・キリストによって私たちを救って下さった天の父なる神様、キリストが私たちの魂の中に聖
霊として宿り、私たちをあなたにいつも結び付けて近くに居らせてください。私たちの心の真中に復活の大群衆
の叫び声が響くように私たちの魂を整えてください。私たちの救い主、主イエス・キリストのみ名によって祈ります。
アーメン
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