2022年  7月 31日  聖霊降臨後第8主日(緑)

      
聖書 :  コヘレトの言葉         1章2節、12節~14節、2章18節~23節
            詩編                49編 2節~13節
            コロサイの信徒への手紙   3章 1節~11節
            ルカによる福音書        12章 13節~21節

      
説教 : 『 神の前に豊かになる 』
             信徒のための説教手引きより 藤井邦昭牧師 信徒代読

      教会讃美歌 :  182、 317、 423、 331

  現代でも、遺産相続は家族や親せき関係の間で深刻な問題を引き起こします。それまで仲の良かった兄
弟などが遺産の問題で反目し、関係が破綻するのは実にばかげたことです。相続争いの時ほど、人間の欲望
や本音がむき出しになることはありません。

  ひとりの人が遺産相続のことでイエス様に相談を持ちかけました。「先生、わたしにも遺産を分けてくれるよ
うに兄弟に言ってください」。彼のある兄弟が遺産を独り占めしようとしていたのでしょうか。それはかなり深刻な
問題を引き起こしていたのでしょう。

  しかし、イエス様はその相談にのることをきっぱりと拒否されました。「だれがわたしを、裁判官や調停人に任
命したのか」。遺産相続の争いを裁くのは、裁判官や調停人です。イエス様はこのような世俗的な問題に関
わることを避けられました。

  しかし、イエス様はこの問題に秘められている人間の欲望について、注意を促されました。それは、この問
題を持ちかけた人自身の中になる「欲望」をあらわにされるためでもありました。「どんな貪欲にも注意を払い、
用心しなさい。有り余るほど物を持っていても、人の命は財産によってどうすることもできないからである」と。その
教えを分かりやすく教えられるために、一つの譬え話をされました。

  ひとりの金持ちが登場します。彼の畑が豊作でした。金持ちは、「どうしよう。作物がしまっておく場所がない
」と思いを巡らします。彼の得た結論は、「こうしよう。倉を壊して、もっと大きいのを建て、そこに穀物や財産を
みなしまい、こう自分に言ってやるのだ。「さあ、これから何年先も生きていくだけの蓄えができたぞ。ひと休みし
て、食べたり飲んだりして楽しめ」と。ところが、神様はこの金持ちにこう宣言されたのです。「愚かな者よ、今夜
、お前の命は取り上げられる。(そうしたら)お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか」と・・・。

  なぜ、金持ちは「愚か者」と言われたのでしょうか。
  まず、「畑が豊作であった」ことを考えましょう。豊作は天の恵み、地の恵みです。人間は日照りのときには
水をやり、虫をとり、草を抜くなどの手を入れるかもしれません。しかし、それだけでは豊作にはなりません。太陽
の恵み、雨の恵み、地の恵みが備わらなければ豊作は望めません。この金持ちには天の恵み、地の恵みを与
えてくださる神様に対する感謝の心がありません。ここに、金持ちの傲慢さがあります。

  それから金持ちは豊作を自分で独り占めにしようとしました。彼の周りには貧しい人々はいなかったのでしょ
うか。飢えている人々はいなかったのでしょうか。いたのに、それらの人々を無視したのでしょうか。金持ちは、彼
の周りのことを全く考えていないのです。彼が考えたのは、自分のために蓄えをすることだけでした。健全な蓄え
は必要なことです。しかし、この金持ちの蓄えは彼の「貪欲」さから生じているものでした。

  その「貪欲」さは、さらに大きな過ちを起こすことになります。それはこのお金持ちが、これらの蓄えが「自分の
命」を保証すると考えたことです。「これから先何年も生きて行くだけの蓄えができたぞ」。人が生きて行くために
は、「蓄え」だけではありません。「人はパンだけで生きるものでない」という有名なみ言葉を思い出すことは、ここ
でも有益なことです。人の命を保証するものは、パンや蓄えではありません。

  「今夜、お前は命を取り上げられる」という神様の宣告は、「命」の創造者がだれであるかを問うているので
す。「これから先何年も生きて行く」ことができるかどうかは、財産や有り余るほどの物が決めるのではありません
。命の創造者であり、生と死をつかさどられる方だけが、存在するすべてのものの生死を与えたり奪ったりする権
利を持っておられるのです。金持ちの誤りは、そのことに思いが至らなかったことです。

  ヨブ記の中で、「主は与え、主は奪う」(ヨブ1:21)という言葉があります。すべてのものを奪われたヨブが、そ
の苦難の中で神を賛美した言葉です。ヨブはすべてのものを失いましたが、しかしその生死を与えたり奪ったり
する権利を主なる神様が持たれていることを告白したのです。また、テモテへの第一の手紙にも同じようなみ言
葉があります。「わたしたちは、何も持たずに世に生まれ、世を去るときは何も持っていくことが出来ない」(6:7)

  これは、事実です。「お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか」と言われた神様のみ言葉は、
私たちに余分なものは必要がないことと、必要なものは必要なだけ神様が与えてくださるという信仰への促しで
す。

  人間の心にある「貪欲」は、わたしたちの心を虜にします。物に対する極度の執着や蓄えへの間違ったこだ
わりは、すべて「貪欲」がなせる業です。そのような執着やこだわりが、この金持ちのような過ちを犯せます。「人
の命は財産によらない」と言われたイエス様のみ言葉をしっかりと心に刻んでおきたいものです。

  「神の前に豊かになる」とは、物に心を奪われるのではなく、また者に頼るのでもなく、あらゆる必要な物を
備えてくださる神様に感謝し、その神様に頼って生きる生き方なのです。

<祈り>
  神様、私たちをあらゆる貪欲から解放してください。そして、あなたにのみ信頼できますように、また、従って
信じて歩んで行くことができるように力を与えてください。イエス様の御名によってお祈りいたします。アーメン


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