2022年  9月 4日  聖霊降臨後第14主日(緑)

      
聖書 :  申命記              30章 15節~20節
            詩編                1編
            フィレモンへの手紙       1章 1節~21節
            ルカによる福音書        14章 25節~33節

      
説教 : 『 誰が弟子になれるだろうか 』
                               木下海龍牧師

      教会讃美歌 :  132、 386、 395、 476

参照:ルカ福音書9:51-62
  神の国の福音宣教のために、12使徒とは別に、派遣する弟子集団を募った時期があったようです。
そして、イエスご自身が神の国を告げるために訪れるつもりであった町や村に二人ひと組みにして72
人を先に派遣されました。
  その時の弟子の募集に際して、いろいろな方が応募したようですが、自発的に志願して来た人もい
たようですし、イエスの方から特定の人に声をかけることもあったようです。 その辺のいきさつが推察
される箇所がルカ福音書だけでもいくつか散見されます。ルカ9:1-610:1-1114:25-3322:35-38
  こうした弟子集団を募ったことを含めて、イエスのご生涯:生育期、洗礼者ヨハネの弟子時期、伝道、
受難、十字架刑、埋葬、復活、昇天と言う一連のイエスのご生涯を大きく分けて見ますと、宣教活動だ
と言われる最後の三年間ほどは、もっぱら、自分が居なくなった後の地中海諸国への福音宣教や、様
々な人々が集められて支持者が増えて、次第に信仰集団としての教会形成を視野に入れたうえでの、
弟子教育期間であったのではないか。弟子たちの面前で奇跡や癒し、福音説教の内容も含めて、そ
れらを本当に弟子たちが理解して、イエス亡き後に自ら実践に向かう道へと弟子たち旅発たせる備え
であったのです。
  その時期とは大きな歴史の変換期に地中海世界全体が当面した時代でありました。
  イエス昇天後のペンテコステ体験以降と重なったのでありました。
それまでは、弟子 民衆の前で行われたイエスがなさる奇跡や癒しは、弟子たちの実地訓練であった
と、これらの一連の聖書個所を読みながら、私は受け取っております。
  昨年の初めころから、月一回のZoomによる聖書を読む会に出席しています。以前からある集いな
のですが、誘われて、皆さんの発言を聞いております。今年の取り上げられている聖書個所は、たま
たま今年の教会暦のルカ福音書の聖書個所と重なっております。参加者は比較的若い方々で、学歴
も高い方々です。その人たちからは、その日の聖書個所への率直な疑問や反応が聞けて、老人牧師
の私には、新鮮に聞こえてまいります。
  「自分の持ち物を一切すてないならば、あなたがたの誰一人として、わたしの弟子ではありえない。」
「旅には何も持って行ってはならない。杖も袋もパンも金も持ってはならない。下着も二枚はもってはな
らない。」これらの言葉に強い反応がありました。「パンツは一枚なの!!?それじゃ困るは!!」「お
金がなくて、泊まるところや、パンはどうするの!??」
  それに反して、「神の国を宣べ伝え、病人をいやすために遣わす」この言葉と癒しの行為への
彼らの反応はほとんど聞けませんでした

  「神の国を宣べ伝える」宣教活動は、言葉で語れば理解されるものだと思っているのかもしれませ
んね!? だから全く疑問や意見が出なかったでしょうか。
  「神の国を宣べ伝える」とは、今日では、もっぱら言葉によってなされております。「説教を語る」こと
なのです。イエス本人ではない弟子である未熟者が神の国を語る苦悩についての反応は、彼らからは
殆ど聞けませんでした。
  ここで誤解を恐れずに、自分の感慨を語るならば、人間イエスは「神の国宣教は説教によって行わ
れた。燃える程の熱さと命がけのメッセージを伝えたのだ!!」と言う感想が私の中で起って参ります。
それは必要なことであったのですが、今の、私からすると30歳のパッションと一途さが痛々しく感じて
なりません。
  その痛々しさが読んでいて辛くなります。それは、いま、始めたばかりの神の国宣教の途上に於い
て、この世における余命二年であることの予感から、必死であったのではかったのか!!? さらに、
弟子たちの未熟さもあり、イエスのその熱意なしには前に進めなかったでしょうけれど・・・・。
  吉増剛造著「詩とは何か」20211120 第一刷発行  今年の2月に、教文館で手にしました。
  そのp136に紹介されていた、谷川俊太郎の初期の詩「鳥羽」を読みました。 
「何ひとつ書くことはない
私の肉体は陽にさらされている
私の妻は美しい
私の子供たちは健康だ
         本当の事を言おうか
詩人のふりはしているが
私は詩人ではない
私は造られそしてここに放置されている   以下省略>
  谷川俊太郎は詩を書く事だけで、生計を立てて来た、日本では稀有な方です。私の好きな詩人の
石垣りん、は日本興業銀行に14歳で見習いとして採用され、その後本採用となり、55歳の定年まで
働いて家計を支えながら、詩を書き続けて84歳で亡くなりました。
  その石垣りんとは対照的に、詩を書く事だけで生計を立てざるを得なかった谷川のこの詩に驚き感
動しました。
  「何ひとつ書くことはない  本当の事を言おうか 詩人のふりはしているが 私は詩人では
ない
 私は造られそしてここに放置されている」
  谷川は1952年の21歳時に 処女詩集『二十億光年の孤独』を刊行するや一躍脚光を浴
びて、詩作の依頼が各雑誌編集部から谷川に押し寄せた時期が到来したのです。普通は詩の
着想や感性が無尽層に生まれて来るものではありません。まして、詩を依頼してくる場合には、
その雑誌の設立の趣旨や伝統もあり、枠組みがあるものです。だから自分の外側から求められ
てくる依頼に対して「何ひとつ書くことはない」と、書きだしたのです。詩を書く事の他には、収入
を得る手立てがない谷川ですから、それであっても彼は原稿用紙に向かったのです。

  わたしはしばしば、本日の説教が終わると、もはや、自分には何も語るものは残されていない!!
 と感じています。それで次の説教の着想が与えられることを願って、若いころは、街なかをうろついた
り、映画館に入ってみたりすることもありました。時には書棚から書物が手元に偶然に落ちてきて、めく
ったところから着想が与えられたりします。これは時々ございました。
  聞くところによると説教原稿が出来上がらなくて、書斎から出れずに、礼拝時間が過ぎてしまった話
も聞きます。或いは、礼拝が終わると、定年の老練な牧師の助言や感想が怖くなり休職なさった牧師
さんもおられます。
  実は「誰が弟子になれるだろうか」この説教題は、今日の聖書個所を読んで、すぐに感じたままを、
大石さんに半月ほど前に知らせた題です。聖書を読み、説教題を決め、讃美歌を決めます。勿論、こ
の段階では説教が出来上がっては居りません。前の週の28日は、東京教会主任牧師さんはドイツの
ブラウンシュヴァイク教区との伝道会議に大柴議長との主張が入ったので、8月28日の礼拝の依頼
があったのでした。
  久しぶりであったことや、この聖書個所に一つ縄では済まない意識があって、それに集中しました。
  28日夕刻に帰宅して、いささかの不安と心配もあって、富士教会の説教に取り掛かったのですが、
すぐに、何かが湧き上がって来ませんでした。
  今週に入って、A4二枚の前後を仕上げなくては!!と焦せりが起こってまいりました。実状を白状
すればこんな実態が私にはしばしばあるのです。長く勤めている職務だからと言っても、自分には説教
は簡単には出来上がらないのです。仮に、桶作りの職人であれば、80歳を過ぎて健康であれば、水
漏れのしない木の桶を作るのは、何ということもなく作り上げることでしょう。人に因るかもしれません
が、私は毎回大変です。全力勝負です。それでも、しばしば水が漏れする木桶のような説教になってし
まっていることに愕然とすることがあります。そうであっても、書くことがなくても頼まれた詩を書くために
原稿に向かった詩人のように、私も説教準備の作業に取り掛かるほかはないのであります。時には、
自分では不出来だったと思う説教が、私の元から離れて、聴き手の心の中で完成されることもあるよう
です。詩が出来上がる過程はどうであれ、その詩を読む人の中で詩の命が働きだすことがあるように、
説教も、そんなことがしばしばおこるのだと信じ、聴き手の力量を信頼し、慰められ、励まされて、さら
に神の言葉を語る資質や力量不足をこぼしながら、聖書を読み、見つめ、黙想しながら、作業を継続
しているのが私の実情であります。
  「お前は偽牧師だ」と内心の声に告発されながら、88歳の今も説教者として立たされています。私
は不思議に思っております。自分自身が采配する領域を超えているからです。何か神様の領域からの
通路としてのチャンネルがつながっていて、それが背後で導いておられるのでしょうか。と。
  そんなことを思っているこの頃でございます。
  最終的には聖霊の助けによって、いつの日にか、私が語った説教の言葉が、一人一人の心を経て、
神様からの返信のように、自分自身に帰ってくるのではないか。と信じて受け止めております。
  主よ、私を憐れんでください。アーメン。

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