人は中学生から大学を終える年齢になる時を経る中で、自分の将来像を求め、探ります。
将来は何になりたいか?と聞かれたり、社会貢献するには、どの道が良いだろうか、と考えたりします。
今日の貨幣社会は、勤め人であれ、自営業であれ、何らかの収入を得ることによって、日々の生活
を営むのが主流でありますが、大学生の孫が三人いますが、何をどうしたらいいのか、落ち着くまでが
大変ですネ。
今日のマタイ福音書における「タラント」の 「たとえ」 では、それぞれの力に応じて、五タラントを預
けた人もおれば、一タラント預けた人もいて、主人が相手を深く信頼して、干渉することなく長い旅に出
たのでした。
五タラントの人は、それで商売をして他に五タラント儲けました。同じように、二タラントの人も他に2タラ
ント儲けました。1タラントの人は、それを掘った穴に隠しておいたのでした。
かなりの日がたってから、主人が帰って来て、彼らと清算を始めました。五タラントの人は、別に儲け
た五タラントを差し出した。2タラント与かった人も同じようにして儲けた2タラントを差し出した。
1タラントの人は、そのタラントを地の中に隠しておきました。そして「これがあなたのお金です」と、差し
出しました。(1タラントは、今の日本では大よそ¥6,000万円程になります)
今回のたとえのヤマ場は、預けられた1タラントを長い期間にわたって、穴に隠しておいた人への主
人の怒りであります。「怠け者の悪い僕だ。・・・・この役に立たない僕を外の暗闇に追い出せ・・・」
この聖書個所をスッキリと読み解くには、自分にとっても難しい個所です。
これは「天の国」の たとえ として語られている箇所なのですが・・・。
使われている言葉から見てみましょう。
「預けた」という言葉が8回使われています。これは「託した(パラディドーミ)=あるものを他の者の処
理にゆだねる」を意味します。この個所は「信頼してゆだねる」を8回も使って強調しています。
僕が託されたタラントを、主人に監視されることなく、全く自由に運用できることを示している言葉です。
ですから、与かったものを僕が自由に活用して運用することを期待して信頼しされていたのでした。
ところが一方、
第三の僕は信頼されて託されたことが…恐ろしくなり、6,000万円が無くならないように、運用せずに
、長い間穴に隠して置いたのでした。
「あなたは蒔かない所から刈り取る・・・」をどの様に受け取るか。信頼の言葉として受け取るか、そ
れとも、主人を「厳しい方」だとして思い込むか。第三の僕は「蒔かない所から刈り取る」を脅迫の言
葉として受け取り、「恐ろしくなって」タラントを地に埋めたのでした。
「ご主人様、ほかに5タラント儲けました。」=(儲け:宣教の成果として教会は解釈して参りました。)
確かにそうした面もありましょう。人の伝道活動によって何らかの成果が上がることがあるでしょう。
私の体験から言えば、自分が蒔かなかった所からの受洗者の多くを神様と教会に導く事が出来た、と
思えることがほとんどでございました。
信頼する者にとっては、「蒔かない所から刈り取る」言葉は、遣わした神を頼って行く言葉でございま
す。
さらにここで、私どもが気づくべきことは、この譬えを語られた時が、過ぎ越しの祭りの二日前であった
事です。弟子たちとの最後の晩餐が二日後に控えておりました。
その日、過ぎ越しの食事を済ませて、夕刻から日付が替わった時刻に弟子たちは詩編を歌いながら
オリーブの園に向かったのでした。そこでイエスは捕縛され、最終的にはピラトの判決によって、ゴルゴ
だの丘で、見物する衆人の眼前で、十字架に処せられました。
しかしながら次の日曜日の朝早くに主イエスは復活されたのでした。十字架と復活の出来事をまじか
に控え、それと繋がって、マタイ福音書はこの「たとえ」をここに遺した意図を受け止めましょう。その上
で、この「たとえ」を読むならば、鮮やかなイメージが湧いてくるのではないでしょうか。
この譬えを語り終えた直後に主イエスは、次の言葉で行動を起こされました。
「人の子は、十字架につけられるために引き渡される。」26:2 と。
この「引き渡される」は「パラディドーミ(預ける・託す)」を日本語に翻訳しているのです。
十字架による処刑にご自身を託されたのです。
この出来事は、躊躇して恐れた第三の男のように、あなたを怖がらせるかもしれません。
大丈夫です! 男の弟子たちは主イエスの十字架の処刑を眼前にして、十字架の神秘と福音を託せ
られていながら、怖くなって皆が逃げた、と聖書は記しているのです。しかしながら、復活の主イエスは
、恐怖の中で隠れていた弟子たちの中に立ち現れて、「平安あれ」と再生の力を与えたのです。
私どもを闇の力から救うために、御身を十字架に託された出来事として、信頼と感謝の内に押し頂くほ
かはございません。私どもが受けた洗礼は、三位の神様が我々を深く信頼し、主イエスの真実が現成
する中で授かった贈与でございました。
< 注釈 >
「儲けました」は宣教による数の成果として解釈されてきましたが、第二次世界大戦後の、今日
の世界状況に生きるキリスト者にとっては、本日の使徒書の言葉が、今日から明日へ押し出し
てくれます。
「励ましあい、お互いの向上に心がけなさい。」1テサロニケ5:11
このみ言葉から、以下の例話を紹介して終わりましょう。
≪ 例話1 ≫
人類がこれほどまでに長い間、生き延びてきた秘密は何なのか?
学生が人類学者のマーガレット・ミード に、ある文化における文明の最初の兆候は何だと思うか?
と尋ねたことがあります。その学生は、人類学者が釣り針や土器や研いだ石について話すと思ったの
ですが、違いました。
ミード教授は、古代文化における文明の最初の兆候は、大腿骨が折れて治った人の証拠にある
と言ったのです。
ミード教授は、他の動物界では、足を折ったら死ぬのだと説明しました。危険から逃げることも、川で水を飲むことも、狩
りで食料を調達することもできない。あなたは肉食獣の新鮮な肉になるのです。
足が骨折して、骨が治癒するまで生き残る動物はいません。
折れた大腿骨が治ったということは、誰かが時間をかけて倒れたものに寄り添い、怪我を治し、
安全な場所まで連れて行き、回復するまで面倒を見たという証拠なのです。
「誰かの苦難を助けることは、文明の原点です」とミード先生は説明しています。
文明とは、共同体の助け合いなのです。
≪ 例話2 ≫
生き残るための最大の秘密は何ですか?
ドイツで最も有名なパン屋の一つを経営するユダヤ人は言っていました。
「私が今日生きている理由を知っていますか?
私はまだ10代の少年だった頃、ドイツのナチスは非情にもユダヤ人を虐殺しました。ナチスによって私
たちは列車でアウシュビッツに連れて行かれました。昨夜、看護所にいるときは極寒でした。私たちは
数日間、食べ物もなく、ベッドもなく、つまりどのような方法で暖を取ることもできない状態で車の中にい
ました。どこも雪が降っていました。
冷たい風が私たちの頬を毎秒冷たくしました。あの寒くて恐ろしい夜には何百人もの人たちがいまし
た。食べ物も水もなく、隠れる場所もありませんでした。血液は静脈中で凍ってしまいました。私の隣に
は私の町で非常に愛されていた高齢のユダヤ人がいました。彼は震えてとてもひどく見えました。私は
彼を温めるために手で彼を包み込みました。私は彼を温かくするために力強く抱きしめました。手や足
、顔、首をこすりました。彼に生き残るように懇願しました。私は元気づけました。それが私がその男性
を一晩中暖かく保ち続けた方法でした。私自身も疲れて凍えていましたが、指を組み合わせながらも
彼の体をマッサージし続けました。
数時間が経ちました。ついに朝がやってきて、太陽が輝き始めました。周りを見回して他の人を見る
と、私の恐怖に、凍りついた死体しか見えませんでした。聞こえるのは死の静寂だけでした。寒い夜が
みんなを殺してしまったのです。彼らは寒さで死にました。ただ2人だけが生き残りました:その老人と
私です。老人は私が彼を凍らせなかったから生き残り、私は彼を暖めたから生き残りました。
この世で生き残る秘訣をお話ししましょう。他人の心を温めるとき、自分自身も温まるのです。他人を
支え、力強く励ますと、あなたも支えられ、力強さと励ましを受け取るのです。」
祈りましょう
主よ、私どもを導いてください。私どもが主を信頼して、
励ましあいながら、お互いの向上に心がけてゆけますように教え導いてください。
私どもの主イエスの御名によって、祈ります。アーメン。
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