2023年  2月 12日  顕現後第6主日(緑)

      
聖書 :  申命記                30章 15節~20節
            詩篇                119編 1節~8節
            コリントの信徒への手紙Ⅰ    3章 1節~9節
            マタイによる福音書        5章 21節~37節

      
説教 : 『 和解 
                信徒のための説教手引き 信徒代読
      教会讃美歌 :  371、 119、 391、 372


マタイによる福音書、5章21節~37節には、

 1. 殺してはならない
 2. 姦淫してはならない

 3. 離縁してはならない

 4. 誓いをしてはならない
以上、律法に関する四つの戒めが示されています。

これらの戒めは出エジプト記、20章13節~16節と、申命記5章17節~20節、及び、24章1節~4節な
どからの引用です。

イエスはこれら旧約の律法の戒めを引き合いに出し、マタイによる福音書、5章17節で、「わたしが来たのは
律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。 廃止するためではなく、完成するためである。」
と述
べています。

この視点に立って、昔の人は、殺すな、殺した者は裁判を受けなければならないと命じています。

しかし、イエスは言います。 殺すことはもとより、心の中で兄弟に腹を立てたり、バカと言ったり、愚か者と言うこ
とさえ禁じ、実際、殺人と言った実行行為がなくとも、人の心の思いが充分に殺人の動機となることを告げられ
ました。

幸せな家庭形成に関するこれら四つの戒めは人間の社会生活上、決して軽んじられてはならない基本的な
ルールと言えます。

翻って、自分を顧みる時、一体だれが、イエスのこのような厳しい戒めに堪えうる者がいるでしょうか。

日々の家庭生活の中、妻に、夫に、子供に、お互い、このバカ、死んでしまえ、このアホー、バカと言った言葉
を機関銃を撃つごとく発していないでしょうか。

また、通勤・通学電車の中で、自分の前に座する美男美女に対し、少なからず情欲を抱かない人がいるでし
ょうか。

商取引において神を引き合いに出し自己の正当性を主張しない人がいるでしょうか!

聖パウロはこのような、わたしたちの本性をさして、生まれ付きの人間には不可能なことだと語っています。 ロ
ーマの信徒への手紙、3章20節で、「律法によっては、罪の自覚しか生じない。」、「こうして律法は、わたした
ちをキリストのもとへ導く養育係となったのです。」 と述べています。


マタイによる福音書、5章23節に記載されている、「あなたがたが祭壇に供え物を捧げようとし。」 と言う言葉
、あるいは、申命記16章16節~17節に記載された、 「あなたの神、主より受けた祝福に応じて、それぞれ
、捧げ物を携えなさい。」
という言葉、これらの言葉はキリストにある礼拝行為を指し示しているといえます。

わたしたちが律法から解放され、自由とされ、救いに至らせていただくために、この礼拝行為に対する戒めが2
4節以降に語られています。

礼拝に出席しようとしても、もし兄弟、あるいは自分の親しくしていた人等との間に何か解決しない心のわだか
まりがあったとしたなら、先ず礼拝を守る前にその人の所へ行き、仲直りをしてから帰って来て、供え物をしなさい。

今日、教会の交わりの中、同信の友との間にすきま風が吹いていないか、言い合いしたことが心の傷となって
残っていないか。

もしあるとするなら、イエスの言葉を忠実に実践してみようではありませんか。

礼拝こそは私たちを真実の和解へと導くもの。 その前に心の準備をすることが大切なのです。

お祈りいたします。

恵みの神さま。 わたしたちの思いと行いはいつもあなたのみ前に罪深いものです。

礼拝においてみ言葉を通して悔い改め、慰めをいただき、励まされ、再び、新しい歩みへと旅立つことができる
よう私たちを整えてください。救い主、イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。  アーメン



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