2023年  2月 19日  主の変容主日(白)

      
聖書 :  出エジプト記             24章 12節~18節
            詩篇                2編
            ペトロの手紙            1章 16節~21節
            マタイによる福音書        17章 1節~9節

      
説教 : 『 イエス、変容する 
                     木下海龍牧師
      教会讃美歌 :  171、 213、 333、 278


本日の「主の変容」について、正しい理解と信ずるに至る正しい道は、まず初めに、三つの視点から
把握することが大切です。

イエスが洗礼を受けた時の証言、変容の時の証言、復活後のイエスの所作と言葉です。
イエスの洗礼:①見よ、天が開けて・・・・。
          ②見よ、天から声があった、
          ③「これはわが愛する子、わが心にかなう者」。
イエスの変容:①見よ、光り輝く雲が彼らを覆った。
          ②見よ、その雲から声があった、
          ③「これはわが愛する子、わが心にかなう者、彼に聞け」。
          ④イエスは近づき、彼らに手を触れて言われた。「起きなさい。恐れることはない。」

前者は洗礼の、また後者は変容の描写であります。神の介入が両者に同様に語られているのがよく
わかります。①は視覚的に、②は聴覚的に神の介入が述べられています。③ではイエスの本性が神
のよって示されております。この神の示しは、洗礼の時は洗礼者ヨハネに向かってであり、変容の時に
は弟子たちにたいしてでありました。

さらに7-8節では、神の臨在を知って、恐れて身を伏せた弟子たちにイエスが近づきます。この「近づ
(プロセルコマイ)」は弟子や民衆がイエスに畏敬の念を抱きながら近づくことを表している場合がほ
とんでありますが、ただ二回だけはイエスに用いられています。今日の個所と28章18-20節です。  

 イエスの復活 イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。

 だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によっ
て洗礼を授け、 あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりま
で、いつもあなたがたと共にいる。」28:18-20


マタイはイエスの変容の場面で使った言葉(プロセルコマイ<近寄る>)をイエスが復活後の宣教派遣
の場面でも使ったのは、変容の出来事を復活の出来事と直結した出来事であるのだと結んでいる事
です。そもそも復活は神の側の介入として起こされたことであるのだ、と証言していることであります。
その弟子を派遣するにあたって、「わたしは世の終わりまで、あなたがたと共にいる」と約束されたので
す。即ちよみがえったイエスは、いつも弟子たちと共にいるのです。イエスの変容はイエスの神秘を垣
間見せました。その上で、宣教活動に従事する弟子たちと、その教会の群を力づけるためにイエスは「
今も共におられて」と、励まされたのです。

 その励ましの顕著な一つがイエスご自身によって、設定された聖餐式であります。
「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい
。」ここでイエスが与えるのはイエス体である。と、宣言なさいました。さらに、わたしの記念としてこのよ
うに行いなさい。」と命令的に指示されました。

ここで「記念」と訳された文言μν νάμνησιν. は、単なる記念日を憶えなさいというだけで
はなく、日本語的には「わたしの記念として、行いなさい。」は素直な訳文ではありますが、本来この
νάμνησιν.
アナムネシス は「思い起こす・心に刻む」と言った明確な意味合いが強いのです。
さらに、μνは、命令系の強調であって、「イエスをこころに刻み続けよ、そして生き永らえ!!!」

こんなふうに読める文言であると捉えてよいでしょう。

ここには神による神秘の流れが語られております。

「神の身分に固守せずに、肉体を持って生きる人間になられた。」そして、十字架の贖罪の業によって
その肉体は死に至り、そして三日目に復活され、昇天されました。

パンと葡萄酒による聖餐式を設定されたのは、イエスのお体と御血を受けて、地の塩、世の光として、
イエスの地上を歩かれた時の御体に代わって、弟子たちの身体がこの地上を生きてゆくための設定
辞でもあるのです。

イエスの肉体はもはやこの地上には存在しませんが、聖餐式で頂くパンと葡萄酒を通して、イエスのお
体、イエス御血が私の体の中で生きてゆくのです。この神秘によって、一旦はイエスの肉体は地上か
らはなくなったのですが、聖餐の恵みの神秘によって、信仰者自身がイエスの体を生きてゆくのであり
ます。個体としての信仰者は肉体が内包する限界ゆえに、個体としての信仰者は地上の寿命は終わ
るのですが、教会の体である信仰者の群れ・教会としての体は綿々と続いてゆくのであります。それが
聖餐式のパンと葡萄酒に与かって世の終わりまで教会は存続する、ことの意味であり、三位一体であ
る神の神秘の働きなのでございます。

キリスト者の兄弟姉妹が聖餐式に与かって「キリストの御体・キリストの御血」を頂きながら、この地で
生きて行く限り、イエスの肉体的存在はこのわたしたちの身体に於いて「世の終わりまで、わたしどもと
共におられる」と言うコミニュオン・聖餐の神秘を生きるのであります。

イエスの変容は一連のこうした射程の中で捉え、信じられてゆく神秘的な出来事なのでございます。

主よ私どもを憐れんで、私どもがあなたを この地上で生きてゆくものとしてください。アーメン。

< 個人的見聞の紹介 >
 イエスは父であられる神様のみ心によって、地上の人間が自らに抱えている罪による滅びから救済
する使命を帯びて、人間に受肉されました。地上においては、伝道の喜びと苦難と十字架の死を経て
、復活され、死ぬべき人間の(さが)から、神の本来的存在へと回復されました。

昇天後には、聖霊を遣わされて、地上の教会を助けられました。今もそれは続いております。

こうしたイエス様の変容の出来事とは次元が異なりますが、我々人間は、この世を生きてゆく上で、い
くつかの変容?的なことをする場合があるのではないでしょうか。

一例:主婦・スーパーのレジ係・美容師の資格を取って、その後にホームヘルパ二級の資格を取って、
老人ホームで美容師の技術を生かす。さらに写真を撮るために専門家に師事して写真を学ぶ。美容と
写真撮影を生かした老人ホームでの仕事を続けた後に、退職して、現在はもっぱら独りで美容と写真
撮影の仕事をして、お客さんからはとても喜ばれている某女性の紹介がありました。 (北川逸英牧師
とお母さまが一緒に撮れていた写真を見せていただきました。)

 これなどは、この世界を専門職の仕事をもって働く上で、いくつかの資格を取得して、変容してゆく女
性の姿と存在感を興味深く聞いたのですが、これはこの世的ではあって、イエスの変容とは厳格に区
別されるべきなのです。が、少し、どこかで通ずるところがあるのではないか。と、感じましたので紹介
いたします。

< 参考文献 >

私の書架にありました一冊「身体変容のワザ~技法と伝承」<身体と心の状態を変容させる技法と伝
承の諸相> これは「心身変容技法研究第1号」の発行が2012年3月30日京都大学こころの未来
研究センター 心身変容技術研究会が発行して、第6号が2017年3月31日までの発行が確認でき
ます。それらを纏めて書籍にして発行した二冊目が私の手元にある書籍 心身変容技法シリーズ②で
あります。
鎌田東二編 サンガ出版 2018年3月1日 第一刷り発行 Pp428 \3600

執筆者は14名、その内で、三名の著者 内田樹、鎌田東二、鎌田繁の著作を読んだり、会ったりした
ことがあります。鎌田繁氏は今、金曜日に一緒に坐禅をしている元東大の教授です。
序章―心身変容のワザ  鎌田東二

第1章    キリスト教神秘主義の身体変容  鶴岡賀雄<東京大学大学院教授>

 今回、改めてこの書籍を手にしましたが、全体を精読した形跡はありませんが、第1章の「キリスト教
神秘主義の身体変容」p5298には赤線を引いた箇所が処々にありました。本日の説教にはこの書
籍からの引用はございませんが、本日の説教準備の思索においては第1章からの影響が背景に無か
ったとは言えません。

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