3月5日の説教で自分を構成している構造について(自分の内的な姿かたちを表す比喩としてモザイ
ク模様)語りましたが、同時に、私どもが生まれ、生きて来た期間に蓄積されて来た知識や体験はそ
の人なりにたくさんあると思います。そしてこれだけは確実に私は知っていると明言できるいくつかもあ
るのではないでしょうか。例えば、私は1954年4月1日イースターに、三ケ日町都築の礼拝所でラー
スイングルスルッド牧師から洗礼を受けました。これは体験的にもはっきりと知っている出来事です。
戸籍上の生年月日については、親の語りと、書類の上の戸籍謄本によって知ることになるのですが・・・。
自分の生まれる瞬間の体験を自分自身が認知したことではございません。その原点にまでは振り返り
が出来ていません。それでも、両親の言葉を聞いて信じているのです。
同級生からは遅れて高校を卒業したものの、胸に影が残っていたりして、就職先は決まりませんでし
た。再び空白の期間が自分に訪れようとした矢先に、洗礼を受けたばかりであった私に、中島誠先生
が東海ルーテル聖書学院への入学を勧めてくださいました。病みあがりで、行く先のない私はその勧
めは渡りに舟でありました。入学試験を受けて聖書学院生になりました。その導きがその後の私の生
き方と役割を決定づけることになりました。そして今日までもそれは続いているのであります。洗礼を受
けている事が入学の重要な条件であったのでした。そんなことは全く考えてはいませんでした。ただた
だ、洗礼の決意が出来たのは、イエスの受難と十字架は私に向けられた招きであったのだ、と納得し
て洗礼に臨んだのでした。ただその一つの事が、その後の人生と私の生き方を導いてきたのです。そ
のように受け止めて認識しております。
その後、牧師になるまでの11年間には、いろいろとありましたが、私にとっては、洗礼を受けて自分
の進む方向が明確に転回したことに比べれば、些細なことであったと言えるものばかりです。
25節 「あの方が罪人かどうか、私には分かりません。ただ一つ知っているのは、目の見えな
かったわたしが、今は見えるということです。」
その後すぐに、ユダヤ人に会堂を追い出された後にも、イエスが自分を探し出してくださる体験
を彼はしたのでした。
「イエスは、彼らがその者を追い出した、ということを聞いた。そしてその者を見つけて、言った。『あなたは人の子を信じます
か』。9:35 田川健三訳
7節「シロアムの池に行って洗いなさい」 ちなみに、アウグスチヌスは、シロアムで眼を洗った盲人
を洗礼志願者になぞらえております。イエスの言葉に従ってこの盲人は、シロアムの池まで出かけて、
眼を洗った。そこから彼の人生は、大きく転回していったのでした。
癒された盲人は、その後に、自分の人生を振り返って観て、どのように評価したでしょうか。その事を
彼が、ユダヤ人共同体からおいだされ、迎えられた初期原始教会の群れの中で、イエスによって癒さ
れ、本物の実物イエスに出会ったことの喜びを証しながら、生きて行ったのではないでしょうか。
本日の福音書からヨハネ福音書の成立年代を推定させる手掛かりがございます。それは22節です。
「両親がこう言ったのは、ユダヤ人たちを恐れていたからである。ユダヤ人たちは既に、イエス
をメシアであると公に言い表す者がいれば、会堂から追放すると決めていたのである。」この追
放は教育的な効果をねらった短期間の処分ではなく、生涯にわたる決定的な処分でありました。この
追放決定は85年ごろに、朝昼晩三回の祈りに使用されていた祈祷書であった「十八祈願」の改訂が
行われた際に、その十八祈願の第十二祈願に、キリスト教徒に向けた呪いがはっきりと述べられてい
るのです。
< ナザレ人らと異端どもはまたたく間に滅び失せ、生命の書から消し去れ、義人と共にその名を記されることがないように
。不義を避けたもう主よ、汝に栄光あれ。 >
85年のこの改訂は、キリスト告白そのものが危険視され始めたのでした。ですから、22節~2
3節に述べられている両親のおびえは85年以降の状況からのみ理解が出来るのです。このこ
とから、ヨハネ福音書の成立は85年以降になると判断されています。
ヨハネ福音書の記者は、イエス様が生存された時代の出来事を描きながら、イエスの出来事
を、ただ過去の思い出として語ったのではなくて、一世紀末を生きている自分たちの状況と絡め
て語っているのでした。そこにヨハネ福音書の特徴と魅力があるのであります。今日の福音書
の場面も、イエスが実際に行った癒しの奇跡を述べているのですが、それを一世紀末の状況に
合わせて語っているのであります。
「イエスは、彼らがその者を追い出した、ということを聞いた。そしてその者を見つけて、言った。
『あなたは人の子を信じますか』。9:35 田川健三訳
この盲人であった青年はイエスのお言葉「シロアムの池に行って洗いなさい」に従った。その
池に出かけて行って、目を洗ったのです。それで見えるようになった。それですから、幾度尋問
されても「今は見える。」と、はっきりと述べて前言を変えませんでした。何度尋問されても「今は
見える」と言い続けたのです。その何度も尋問を受けながら「今は見える」と証言し続ける中で、
最も大切な事柄に気付き始めたのです。「ああ、神の世界は厳然として存在するのだ、神から
遣わされたお方が自分の眼を見えるようにしてくださったのだ」と。気づくのです。
「見える」とは「気づく事」であり、理解することであるのです。ヨハネ福音書では、「信じ、知る」こ
とは密接に繋がっている事柄として、述べているのです。
「今は見える」は自分の肉眼で物が見える、ことの他に、「今ははっきりと神様をまのあたりにし
ている。」そうした状態へと彼は劇的に方向転回をしたのでした。
去る3月13日の三浦友夫牧師の告別式には、大勢の牧師信徒が参席されていました。富士
教会からは我々夫婦と代議員の小谷供兄が参列いたしました。三浦友夫牧師のお顔を拝見し
ながらお棺に生花を添えました。55歳の年齢でここまでにやせ細ったお顔の死者を拝見したの
は初めてでした。
大きなショックを受けました。このことの体験を何と表現したものか!? いまも尚、言葉探しを
続けております。キリスト教の初期・中世の死者の状態を表現した言葉には出会っていません
ので、キリスト教会としての適切な言葉が見つからずにいます。個人的な感想そしては、「息が
途絶える最後の最後まで戦ったのだなあ!! 決して諦めることなく、回復して、キリストと教会
に仕えるのだ!!と固い決意を持ち続けて、おられたのだなあ!!」と・・・。でもこれは私個人
の観想と感想であるのです。神学的に定義された表現ではありません。神学的に表現しうる言
葉があるはずだと期待して今も探し求めております。
仏教界では、おそらく「仏さまになられた」と表現されるのがふさわしいのかしれません。キリス
ト教界では「神様になられた」とは言い難いのです。
本日の聖書の言葉から推し量て言うならば、「神の現存を見た、神の世界を体得された、神の
あわれみに抱かれておられる、肉体への依拠から神の命へと解き放たれた。[木下1] 」・・・肉
体の寿命は尽きたのだけど、彼の命は神の領域へと移された・・・・そのことを三浦友夫牧師の
亡き骸は証言なさっておられるのです。
死後、四日が経過した昼過ぎに拝見した私の観想です。もしも亡くなられた翌日あたりにお目
罹っていたならば、はるかに鮮明なメッセージを故三浦友夫牧師の容貌から受けたはずでした。
本日のイエスによる癒しの奇跡によって「ただ一つ知っているのは、見えなかったわたしが、
今は見えるということです。」 癒されたこの人は、まさに、神様が見えたのでした。そして知った
のです。「神様は、まじかに居られるのだ。」と。 アーメン。
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