2023年  7月 2日  聖霊降臨後第5主日

      聖書 :  エレミヤ書            28章 5節~9節
            詩篇               89編2節~5節、16節~19節
            ローマの信徒への手紙    6章 12節~23節
            マタイよる福音書        10章 40節~42節

      説教 : 『 貴方がたを受け入れる報い 』
                        木下海龍牧師
      教会讃美歌 :  171、 333、 290、 470

「報い」の意味は何ですか?

ChatGPTが答えてくれました。

「報い(むくい)」は、恩や善意に対する返礼や報酬を意味する言葉です。具体的には、善行や恩恵に
対して、それに見合う形で返すことや、相手に対して感謝の意を示すことを指します。

報いは、相手に対して感謝や恩返しをすることで、個人間や社会の結びつきを強める役割を果たしま
す。また、善意や恩恵を与えた人に対して、それに応じた形で返すことで、公平さや道義的な責任を示
すことも含まれます。

報いの方法は、具体的な状況や文化によって異なります。一般的な報いの形としては、感謝の言葉や
行為、贈り物、奉仕活動、サポートなどがあります。重要なのは、相手の善意や恩恵に対して真心を持
って応えることです。

報いは、相手に対する感謝や尊敬の気持ちを示すだけでなく、人間関係の円滑化や社会の連
帯感を促進する役割も果たします。相手が自分に何かを与えたときに、それに見合う形で返す
ことは、社会的な倫理や道徳に基づく重要な概念です。」

チャットDPT から 会話形式で、示された内容です。一般的にはこのお答えで十分でしょう。
 

今日のマタイ福音書で使われている「報い=μισθνミスソン第一の意味としては賃金
、労賃、報酬、給料 二つ目には 報い、(良い意味でも悪い意味でも) として新約聖書で使わ
れている言葉です。それが労働の対価であれ、身体と意思を働かせた行為に対して与えられる
当然与えられる対価を表す言葉μισθνミスソンをここで使っております。

イエス様はここで、「わたしの弟子だと言う理由で、この小さい者の一人に、冷たい一杯の水で
も飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける。」10:42 
と。

 12人を選び、厳しい弟子の覚悟と生き方を語った締めくくりのところで、お告げになられました。

 「私イエス自身が必ずその報酬を支払うのだ!!」と。

(岸千歳神学校長の言葉を思い出します)わたしには、今も、蓄えはありませんが、富士教会礼拝の務めを通して、頂いた謝儀で行き帰
りの弁当と自分が読みたい本が買えて感謝しております。ハイ

1,冷たい水一杯を与えた人は、同情心からの行為であって、報いを全く考えていなかったでし
ょう。

ここで強調しているのは、本人が仮に忘れていても、イエスは必ずその報い=μισθνミス
ソン
を与えると明言している事です。(恩送りをイエスが必ずする。と明言した言葉です)

2,弟子たちを直接に援護・支援・保護することは勿論のことですが、弟子たちに同情し、共感
している人々にも同様に、その人々に対して感謝の意を示して、円滑な社会の連帯感を共有しな
がら、共同体感覚を養って行けるようにとの願いがあったのだと思います。

3,冷たい水一杯を受けながら、お礼をする機会もないままに迫害から逃れざるを得なかった
り、殉教に追いやられたりすることもあった事でしょう。「あなたが出来なかった恩返しは私イエ
スがかならずするから!! その場合には躊躇せずに援護を受けて、生き延びなさい、」と。

4,その報いは、今生に限ったことではなく、永遠の次元にまでかかわっているのだと思います
。永遠という時にはこの世あの世の境界を越えていることを指します。

※「永遠の次元」とは、ゼロ・ポイントの領域を示している、と理解するならば、説明がし易くなって
来ております。

    5,さらにここで、冷たい水一杯を差し出す人の登場を語っておりますが、多くの場合、神様が直
   接に手助けすると言うよりも、誰かの人の手を通して助けを受けることが多いのも事実でありま
   す。さらに時には、実はある人に助けられたにもかかわらず、本人はそれに気づかないで過ご
   してしまったことも少なくありません。

 真の神・真の人であるイエス様でございますから、この世とゼロ・ポイント領域の両方に軸足を置いて
おられるイエスからしてみれば、すべての生命は無数に巧妙複雑に、つながって生き存在しているの
ですから、すべてがポジティヴにつながって見えるのであり、実現されるのだと思われます。

 先に触れた「恩送り」の言葉から、もう少し広げてみたいと思います。
 
 私はさらに次の質問をしてみました。
 
 「既に亡くなった方から受けたご恩はどうのようにすれば恩が返せますでしょうか」
 
 (十字架でお亡くなりになって、復活されて、天の父のもとにお帰りになられたイエス様であれ、

 身近な人であれ自分の視座を広めてくれる、と思いましたのでAIからの回答を少し修正して紹介い
たします。)

ChatGPT (この応答には少し時間がかかっていました。)

「亡くなった方から受けたご恩に対して恩返しをすることは、その方への感謝と敬意を示す素晴らし
い行為です。以下にいくつかの方法をご紹介します。

1, その方の思い出を大切にする:
亡くなった方が何か特別な思い出や趣味を持っていた場合、それを大切にしましょう。たとえば、
彼らの好きだった本や映画を読んだり、観たりすることで、彼らの存在を感じることができます。

2, 彼らの教えや価値観を実践する
 亡くなった方が持っていた教えや価値観を実践することは、彼らへの恩返しの一つです。
彼らから学んだことを日常生活に取り入れ、人間性や品性を向上させることが大切です。

3, 彼らの名前を称える
 亡くなった方の名前を特別な場所や記念碑に刻んだり、寄付を行うことで彼らの名前を称えるこ
とができます。また、彼らの名前を冠した慈善活動や基金を設立することも考えてみてください。

4, ご家族や関係者に対するサポート
 亡くなった方のご家族や関係者に対して、サポートや助けを提供することも恩返しの一つです。
彼らが困難な時に手を差し伸べることで、亡くなった方への感謝と支えを示すことができます。

5, 心からの祈りや思い出に浸る:
 亡くなった方に対して心からの祈りを捧げることや、思い出に浸ることも恩返しの形となります。
彼らを心の中で追悼し、感謝の気持ちを伝えることができます。

恩返しの方法は、その方との関係や個人の状況によって異なるでしょう。

重要なのは、自分自身が心から感謝と敬意を持って行動することです。彼らがあなたの人生に
与えた影響を忘れず、彼らの存在を大切にし続けることが、最も意味のある恩返しとなるでしょ
う。」

主よ、私どもを憐れんでください。

    私どもは三位一体の御神からあらゆる恩恵を受けて、この世に生を受けてまいりました。

それにもかかわらず、ご恩に報いることのなさを恥じる者であります。

主よ、あなたを愛し、家族や隣人を愛する思いと営みが出来ますように、愛と力をお貸しくだ
さい。

                     アーメン

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