2023年  9月 24日  聖霊降臨後第17主日

      聖書 :  ヨナ書                3章10節~4章11節
            詩篇                145編 1節~18節
            ローマの信徒への手紙     14章 4節~12節
            マタイよる福音書        18章 1節~20節

      説教 : 『 天の気前のよさ 』
                      光延 博牧師 (静岡教会)
      教会讃美歌 :  170、 375、 382、 402

今日の福音書は「天の国」(神様の愛のご支配)のたとえです。神様が天地一切おいて支配
者であり、私たちにいのちを与えてくださった創造者・救済者です。目には見えない神様は慈
しみに満ちた愛なる方であるとイエス・キリストは現してくださいました。このたとえを通し
ても神様が私たち一人ひとりを愛する子として見ておられ、分け隔てのない約束を与えておら
れることを教えられます。私たちはそこに生かされています。

このたとえはこの世の考え方からすれば不思議なお話です。働いた時間が様々違っているの
に、主人から渡されたのは同じ1デナリオン(1日に必要な分)だったというのです。朝早くか
ら汗水たらして働いた人から不平が出るのも分かります。世の中で仕事をする場合には時間に
見合った報酬を受け取るのが一般的だからです。

けれども神様の救いと祝福は分け隔てがありません。この絶対に揺れ動かないいのちの岩(
マタイ725)に、人類共通の土台に支えられていることが天の国の真実です。いのちの主体
なる神様の中に私たちは一つです。ここが天の国の要です。

全被造物は同じいのちの神様という土台に存在することを私たちは忘れてしまうことが多い
と思います。私たちキリスト教会の歴史を考えれば、この根基から離れて大量殺人をも犯すに
至ったことを覚えます。私たちは今も止まない戦争が一日も早く終結することを祈ると共に、
私たちのいのちの根基に立ち還りつつ歩んでゆきたいと思います。

今日のたとえで強調されているのは、何度も何度も天の国に招き続けてくださる神様です。
主イエスもそう生き抜かれました。創世記が神話的に私たちの現実を表現するように、己を神
とする私たちが闇のほうへと向かうことをそのままにしてはおかない神様の愛、私たちの苦し
みに対するはらわたを痛めるほどの神様の悲しみがあります。この世の中で私たちは能力の高
低、効率の良し悪し、業績の多少によって自他を判断することがあります。しかし神様はそう
ではありません。どの人もかけがえない神様の子どもです。朝早くから働いた人も、日が暮れ
ようとする中から見出され働いた人も、すべて同様にです。

五時に招かれた人は夕闇が迫る一日がまさに終わろうとする時に見出されました。やりとり
67節に記されています。「何もしないで」は文語訳では「空しく」と訳されています。そ
の状態が「一日中」でした。何か空しさを感じたり、何かを深く考えこんでいたり、表現でき
ないような孤立感を感じていたような、そういう人のこととして捉えていいのではないかと思
います。「だれも雇ってくれないのです」という言葉には深い哀しみを感じさせます。誰も自
分を必要としてくれない、私がいる意味が分からない、私がいる意味はないのではないか、と
感じる生きる辛さがあったと思います。その彼らに主人は、「あなたたちもぶどう園に行きな
さい」と招き、一歩を出す力を引き出されるのです。今のあなたのままで
私のもとで生きなさ
い、私はそれを望み、あなたを求めている、と。

教団讃美歌3913節にこうあります。“1.日くれて四方はくらく/わがたまはいとさび
し/よるべなき身のたよる/主よともに宿りませ 3.世の闇おしせまりて/いざないの声し
げし/時のまも去りまさで/主よともに宿りませ”今日の一日が空しく終わろうとしているか
に感じてしまう想いに囚われることがあります。そこに立ちすくんでいる人に主人は近づき語
りかけられたのです。

「夜回り先生」と言われている水谷修さんという方がおられます。夜になると周りからの愛
を感じられない寂しさや苦しさを強く感じてしまう若者たちが、シンナーや覚醒剤・ドラッグ
に心身をむしばまれています。そのことにはらわたを痛めるほど悲しみ、水谷さんは自身重い
病を抱えながらも寝る間を惜しんで彼らを救う働きを29年間してこられました。ご自身が幼少
期より体験していた孤独感や寂しさが若者たちに寄り添って生きる働きの原点であったとのこ
とです。一生懸命働きかけたけれども助けられた子、助けられなかった子があり、多くの涙を
流されながら歩んでこられました。

長い引用になりますが水谷さんの言葉に耳を傾けたいと思います。「生きていてくれてあり
がとう」。「彼らは非行に走るが、非行に走りたくて走るんじゃない。望んでもいないのに孤
独を強いられ、その孤独に耐える方法を知らないだけだ」。「どんな子どもに対しても、まず
は彼らの過去と今を認めた上で、しっかり褒めてあげてほしい。よくここまで生きてきたね、
と」。「悩みは見せるものです。苦しみは叫ぶものです。それを隠して抱え込めば、さらに苦
しみ、悩みます」。「寂しさは、戦うものではありません。寄り添って生き抜くものです」。
「大きなことを考えるのはやめましょう。人は、今自分の手に余ることはできません。可能性
は、ただ生きていく中で、結果として生まれるものです」。「自分のことを、くよくよ考え悩
む暇があったら、外に出よう。そして、多くの人たちと、自然と関わろう。できる限り、人の
ために、自然のために、何かをしながら。そうすれば、必ず、明日の君が拓かれてきます」。

神様は私たち一人ひとりのことを慮っておられます。ご自身が共におられることを伝えたい
と何度でも呼んでくださいます(創39)。「あなたはどこにいるのか。わたしと一緒にいる
ことを忘れてはいないか」と、独りぼっちではないこと、周りと助け合って生きてほしいと願
い呼びかけられます。

神様は水谷さんには水谷さんなりの働きを、それぞれ私には私なりの働きを与えられ祝福し
てくださっています。分け隔てない絶対平等の救いの中で、特別で無二のそれぞれ違う個性、
賜物、働きを与えられた私たちには上も下もありません。特別で無二で違うのですから自他の
間での比較は不可能ですし、そうする必要が全くありません。そして、最も低く深いところか
ら神様は支えていてくださいます。だからすべての者が救いから漏れることがないのです。そ
れぞれの状態は絶えず変化します。縁によって強い時もあれば弱い時もあります。神様は弱さ
の奥底から下支え、一切を包み込んでおられるのです。

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