「主の洗礼」と聞くと、クリスマス直後の、この時期であるゆえに、幼子イエスの洗礼を一瞬思い浮か
べてしまう。だがイエスの時代には幼児洗礼式は行われていませんでした。
しかしながら、幼児洗礼はキリスト教の歴史の中では、比較的早い時期から存在していました。初期
のキリスト教共同体では、成人洗礼が主流でしたが、2世紀から3世紀にかけて、幼児や乳児への洗
礼が行われるようになりました。この変化は、子供たちも信仰の一員として共同体に取り込む意図が
ありました。さらに人間としての自己理解として、人は成長するにしたがって、自己中心的な生存欲望
の目覚めによって、他者を利用し、排斥する傾向のあることを認めざるを得ない人間観が認識されて
いって、そうしたエゴイズムの罪からの赦しと解放されるための手段としての洗礼理解が定着していっ
たからであったと言えましょう。
イエスがヨハネから洗礼を受けた理由は、いくつかの解釈が存在します。一つの見方では、イエスは
罪を犯していない純粋な存在であったため、罪からの浄化を必要としなかったとされています。しかし、
洗礼を受けることで、人間性と神聖性を結びつけ、神の計画を果たすために神からの使命を受け入れ
るという象徴的な行為と捉える解釈もあります。「今は、止めないでほしい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわ
しいことです。」(マタイ3:13-17)
また、イエスが洗礼を受けたことは、イエスが人間としての側面を強調し、人間としての道を歩むとい
う観点からも解釈されています。ヨハネの洗礼は、悔い改めや清めを象徴するものであり、イエスが人
間としての営みを開始する重要な出発点とされています。
牧師の私を含め、皆様方も洗礼を授けられた、いわゆるクリスチャンと言われています。
そのことを自覚していたり、忘れていたり、わざわざ言う必要もないので、黙って居たり、なんとなく隠
していたりすることもあります。私自身がそうです。
牧師としての自分の尊厳がひどく軽んじられていると受け取ったので、その教会を辞任したこともあり
ました。皆様方もクリスチャンとして軽んじられることがあるならば、その集団から離れるか、ズームア
ウトするのもいいでしょう。諏訪教会時代は町内活動に積極的に参加しました。教会の牧師も尊重され
て寺の住職さん並みにあつかわれていました。
本日の聖書から メッセージを聴き取りましょう。
マルコ1:1 神の子イエス・キリストの福音の初め。
1:2 「『見よ、わたし(神)はあなた(イエス)より先に使者(ヨハネ)を遣わし、
あなた(イエス)の道を準備させよう。
その(イエスが宣教する)道筋をまっすぐにせよ。』」
ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。
洗礼は罪と悔い改めとが、表裏一体の実態として表現されております。
人によって何が罪として認識され、何が悔い改めの表明になるかの表明には微妙な違いが
あるでしょうが、本質的な根っこは同じことを指していると言ってよいでしょう。
< 洗礼についての概説 >
①
クリスチャンになるために必要なことは、イエスを自分自身の救い主として心に受け入
れることなのです。その信仰の表明を神と会衆の前で受ける洗礼を典礼サクラメントです。
②
洗礼式は、イエス・キリストと一体となることを象徴する典礼サクラメントでございます。
③
洗礼式は、身体を御言葉と共に水の中に浸す儀式です。これはキリストと共に古い自
分が死に、キリストと共に復活して新しい命を生きることを表しています。
洗礼の形式 : 浸礼(しんれい)、潅水礼(かんすいれい)、滴礼(てきれい)
これは新約聖書マタイ福音書28章19節に由来しており、「それゆえに、あなたがたは行って、すべ
ての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し、(マタイによる福音書
28章19節)
< 教会では洗礼準備の学び会があります。>
条件や、資格などの必要はないとは言え、何の準備もなくいきなり洗礼を受けるわけではありません。
教会では、洗礼希望者に洗礼準備講座などを設けていて、学びを通して納得して、洗礼を受けること
が出来るように配慮がなされています。そして、再度、洗礼式の中での意思確認の上で進むことが出
来ます。逆に来たばかりの人に、信仰告白を強く勧めたり、意味がよく分からないのに洗礼を勧められ
たりするような教会には行かない方が良いでしょう。
洗礼は受けなおせるか? 誰もが経験する信仰のスランプ。洗礼を受ける前より悪くなっている
と感じることもしばしば。そんなとき思うことが「洗礼を受けたけれども、自分は本当には分かってい
なかった。あれは勢いで受けてしまった。出来ることならもう一度受け直したい」というもの。
洗礼は何度でも受けられるものなのでしょうか。答えはNoです。洗礼は一度きりのものですし、私たち
がどのような状況になったとしても「神の子」とされていることに変わりはなく、最初の一回で問題ない
のです。私たちの救いの拠り所は、私たち自身ではなく、あくまでイエス・キリストなのですから、喜んで
自分自身に確かさを見出すことを放棄しましょう。
スタートライン:洗礼は信仰の表明でもあり、また教会の一員になることを意味します。教会はキリスト
の体に例えられるので、あなたもキリストの体の大切な部分になると言えるのです。洗礼を受けるまで
の間も、牧師先生や先輩クリスチャンとの交流があったことと思います。その関係を益々大切にして励
ましあって成長することが求められているのです。信仰の歩みはそこからがスタートと言えます。
7節と8節に於いて、ヨハネは国の内外に緊張した状況の中で悔い改めの洗礼を宣べ伝えながら、同
時に聴いている者に来るべき方へと注目させております。自分ヨハネは来たるべき主イエスの道を
準備する「露払い」に過ぎないのだ、と。現実界的価値観の解体を宣べながら、同時に、来るべき方へ
と全身で振り向かせているのです。悔い改めは、自分の内側に暗く沈み込むことではなく、救い主へと
顔を向けて喜びを得る事であるからです。その喜びの中で、恵みの神に向かって生きる喜びの転換を
体験するのです。
< 私の場合 >
高校を休学していた療養中の1956年4月1日イースターに、三ケ日教会で、中島誠先生から一年間
ほど、導きを受けて、ラース・イングルスルド宣教師から洗礼を受けました。イエスの十字架への苦し
みと処刑は私のためであると受け止めたからです。その後すぐに、東海ルーテル聖書学院に入学。一
年課程を終了して、富士教会のH.アーズランド先生の助手を二年間務めました。その後に、ELCアメリ
カ福音ルーテル教会の奨学生になり、1959年明治学院大学文学部に入学。1963年4月に中野区
鷺宮にありました日本ルーテル神学校に入学。1966年3月神学校卒業、4月牧師按手式(教区総会
:浜松教会)。富士教会に派遣、モルク先生と共に働く。1969年和子と結婚(於:浜松教会)1070年
に長男明生が誕生。
1976年4月に半田教会へ転任する。一年ほどして隣の常滑教会のハッシュ先生が急遽米国へ帰国
されたので、兼牧となる。日曜日は、教会学校・主日礼拝 役員会があり。その後に、三時からの常滑
教会の礼拝に備えて車で常滑教会へ。教会学校・礼拝・役員会を終えて、夜になって半田に帰宅する
というルティーンが9年間ほど続きました。そうした中で、私の身体に疲れと変調が自覚されるようにな
ったのです。 ここに至って、私には新たな求道が始まりました。
イザヤ40:31 「主に望みをおく人は新たな力を得/鷲のように翼を張って上る。走っても弱ること
なく、歩いても疲れない。」
「主に望みを置いているはずの私が、なぜ疲れ、集中力が極端に落ちて、簡単な文章が書けないほ
どになるのだろうか。」 時には怒りぽくなる自分に気がつくのでした。
自分には何が欠けているのだろうか?!
斎藤幸次神学生の宣教実習の報告書が書けないのです。当時神学校の担当教師であった伊藤文
雄先生が心配なさって、半田教会まで来てくださいました。
やがて、こうした状況から、2年ほどして、立ち直るのですが、その要点はを挙げるならば・・・。
気付き: ①祈りには、必ず一定の時間を聖別して毎日実践することが欠かせない事
②
言語の祈りと沈黙の祈りとが相まって祈る者に休息と癒しをもたらす事
③
自分自身の身体への気遣い(休息と適当な鍛錬)が大切である事
④
人の集まりに(礼拝、勉強会、趣味などの会合に)無理のない程度に出席する事。
次の聖書の言葉が私を気付かせ、励ましてくれました。
マタ26:41 「誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い。」
一テサ5:23 「どうか、平和の神御自身が、あなたがたの霊も魂も体も何一つ欠けたところのないも
のとして守り・・・・」。 自分は祈られている。それに気づく私は何をどの様に実践すべきである
のか。
祈りましょう。
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