2024年  10月 20日  聖霊降臨後第22主日(緑)

      聖書 :  イザヤ書             53章 4節~12節
            詩篇               91編 9節~16節
            ヘブライ人への手紙      5章 1節~10節
            マルコによる福音書      10章 35節~45節

      説教 : 『 一人前の大人になる とは 』
                             木下海龍牧師

      教団讃美歌 :  2516、 355、 298、 271

 5:14の「一人前の大人のためのものです」の御言葉に刺激されて「一人前の大人になる とは 」
どうゆうことなのだろうか。と考えた次第です。この年齢になっても、自分の幼さ、未熟さを痛感すること
が少なくございません。さらに、礼拝式文を通して、主日の礼拝ごとに「懺悔の告白」を唱え、「赦しの宣
言を必ず聴いております。そうした中で、あえて「一人前の大人」とは!?と思った次第です。ご一緒に
、各自が自分なりの応答を求めて参りましょう。

 14節の「一人前の大人」の聖書ギリシャ語は「γεγυμνασ ゲグムバス」ですが別の聖書訳
には「成熟した人」「完全な人々」「完全に成人した大人」等の訳が見られます。

 世間には多種多様な大人がいますよね!?幼稚だなあ!とその人の言動から感じることもあるでし
ょう。

 或る心理学派の概論書の中で印象深く記憶に残っているフレーズがありました。
 成人して活躍している弁護士が「あなたは、何歳の私に向かって話しかけているのですか?」と問う
ている箇所だったと思います。成人して立派に仕事をしている専門職の人であっても、自分の幼児期
を内側に抱いて、年齢の層を樹木の年輪のように重ねながら大きな樹木に成ってきているのであって
、忘れていても遺棄されていない幼いころの自分を年輪のように、内側に抱えて、人は生きているのだ
、と言う事実の導入として論述された箇所であったと思います。何かの拍子に、幼児であった自分がふ
っと顔を出してきます。

(私の幼児期の記憶を修正した事例おひとつを紹介する)

 その幼児性とは、何度も検証してきた分別の後に、記憶を修正しながら認識した事実を受容する道
筋があり、またそれとは別に、直観的・肌間隔から相手を信頼して受容する領域も存在する、と言われ
ています。

 へブル書が言っている領域はそうした幼児性とは異にして、基礎的な学びを経た後にもなお己中
心性と、己の好き嫌いや損得の判断から抜けきらない状態にとどまって、判断をしたり、それに基づい
て行動してしまっている人々に対して語っているのだと言えましょう。人には好き嫌い・ウマが合う、会
わない、自然体で居れない、緊張して肩がこる等々が在るものです。問題はそれによって判断と行動
を起すことなく、「主イエスの教え」に従って選択と行動を自然に行えることを目指して「一人前の大人」
へと歩みだすことを諭しておられるのです。
 人間にはもともと太陽系内の地球の大きな気候変動の中で、生き残ってゆくために厳しい生存の中
で生き抜いてきた遺伝子の核のところに自己保存第一優先的に行動するところがあります。

ところが現実は皆がその集団が生き残れる状況でなければ、わが身一つでは生存が難しいもの
にもかかわらず、われ一人が最優先して行動する傾向があるようです。

その種のような核に向かって「主イエスの教え」を朝夕の祈りのデボー―ションを継続して注ぎ込
むことをによって、自然に「主の教え」に向かって「アーメン」と、聴従と賛同の行動が起こしやすくなる
のです。それが大切です。

 例えば、毎日「主の祈り」と「使徒信条」を唱え続けて行く習慣を持つならば、遺伝子の核に「自己中
心的な優先性」があるとしても、子供が生まれて次第に親心が成熟して、我が子のためには自己抑制
と自己犠牲が起こしやすくなるようになるのですが、ましてや、わが身のために主イエスは死んでくださ
ったのだ、と言う「標準文法」がしみ込んでゆく中で、自然に人は磨かれて隣人と、わが家族のために
時間を聖別して祈り続けてゆく中で、自他共に一つになった領域で生きて行き易くなるのです。

 世の中の皆が住みやすくなってゆくためには、選挙権の一票を正しく行使すること、そして、身近で手
の届く一隅に目を注いで、身体を寄せて支える事、のほかには無いように思うのです。

 あなたがたは自分が住んでいる一隅を照らし出す一本の灯であるのだ、と主イエスは仰っておられ
ます。
 御言葉から尽きない火種を頂きながら、そこから尽きない炎を輝かせましょう。
 さらに、次に続くみ言葉の学びをお薦めします。

5:11     ①「耳が鈍くなっているので」「聞くことに対して鈍くなってしまっている」
            「霊的洞察を得るのに怠惰にさえなっている」
          ②「堅い食物」「固形物」「しっかりした食べ物」

6:1-2   「キリストの教えの初歩を離れて、成熟を目指して進みましょう。」
          「それゆえキリストについての初歩的なことばはあとに残して、私たちは完成へと
            進もう。」

6:11     「 わたしたちは、あなたがたおのおのが最後まで希望を持ち続けるために、同じ
           熱心さを示してもらいたいと思います。

 6:12   あなたがたが怠け者とならず、信仰と忍耐とによって、約束されたものを受け継ぐ
          人たちを見倣う者となってほしいのです。」

引用した上記の御言葉から、その趣旨を、私の言葉で述べてみましょう

 読み、且つ拝聴した教えを理性的に受容した上で、さらに言葉の文字を理解して認識するグノ
ーシスの領域を超えた霊的洞察を受ける修練を積みなさい。そのためには、置かれた現状の中
で、自分でしっかりと御言葉を咀嚼するための時間を毎日聖別しなさい。自分の現実と御言葉
が嚙み合わない固形物をしっかりと嚙み砕けば必ず心身へと消化します。キリスト者がそうした
道筋を経る中で、あなたがたは成熟した信仰者へと招かれてゆくのです。主イエスは、大祭司と
して、それを期待し、取り成して、その道筋のあなたがたを助け給います。アーメン。

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