2024年 11月 17日 聖霊降臨後第26主日(緑)
聖書 : ダニエル書 12章 1節~3節
詩編 16編
ヘブライ人への手紙 10章 11節~25節
マルコによる福音書 13章 1節~8節
説教 : 『 愛と善行に励み 互に心配りを 』
木下海龍牧師
教会讃美歌 : 298、 332、 336、 322
へブル人への手紙は紀元60年前後にアポロによって書かれ、各教会で読まれたと言われています。
主イエスが十字架刑で死に、三日後に活後して、昇天されて30年が経過した時期です。
マルコ福音書がイエスの語録と主イエスに出会った人々の証言すなわち「わたしの物語」を各地の教
会から集めて、経典にふさわしい文体に統一する作業が完成まぎわに入った時期でもありました。
ペテロが64年に殉教し、パウロも67年ごろにローマで処刑されていた時期です。
このままでは主イエスの教えとその御業が忘れられる危機の中に教会は当面していたのでした。
そうした中で、キリスト者はどのような生き方をすべきであるのか、へブル書は主イエスに従って来た
信仰者の群れに向けて、熱く語ったのでした。
幾つかの点で、今の教会が置かれている状況と類似するところがあるのではないかと思わずにはおら
れません。
へブル書の言葉は、迷っている私たちに、確信が持てない私たちに、牧師を増やしてください、と。
教会員が増えて、教会財政の収入が多くあれば、力強く前進できるのだけれども、それらが今の我
々の手にはない。どうすればいいのだろうか?!
そう思って落ち込んでいる私たちに向かって、へブル書は諭し語り掛けているのです。
ヘブル書 真心から神に近づこうではありませんか。
10:23 約束してくださったのは真実な方なのですから、公に言い表した希望を揺るがぬようしっ
かり保ちましょう。
10:24 互いに愛と善行に励むように心がけ、
10:25 ある人たちの習慣に倣って集会を怠ったりせず、むしろ励まし合いましょう。
外見上の人数とか、教会財政とか、眼に見える事柄の弱弱しさに、落胆して、希望を失いかけている
かもしれません。しかしながら、聖書の言葉は、人を大勢集めよとか、教会の財政をもっと潤沢にしな
さいとか、と 叱咤激励してはおりません。大切なことは、
互いに愛し合いなさい。善行を行いなさい。集会を蔑ないがしろにせず、お互いに励まし会いま
しょう。
このことが何よりも大事なことであるのだと、諭し、励ましてくださっているのです。
キリスト者が生きるとは、この地上の現実の社会情勢の中で生きてゆくのです。同時にキリスト教徒
としての生活を営んでいるのです。
私は今回も、西武池袋線に乗り、池袋駅から地下鉄で東京駅に着き、弁当などを買い、新幹線に乗
り、富士教会に来ております。私にはそれが一番合理的であり慣れているからです。
そうした社会のインフラと仕組みを用いながら生き、生活を営みながら、皆さんと一緒に主日の礼拝
を守ろうといております。
この9月からは、第2と第4は東京池袋教会で礼拝を守っております。 妻和子は補聴器を使っている
のですが、現在の東京教会会堂の音響システム(マイクと拡声器)からは、説教の言葉が聞き取れず
、言葉が拾えないのです。対策をお願いしたのですが、改善実行しそうもないことがわかり、説教が聴
きとれる教会を探し始めました。礼拝に参加して、説教が聴きとれないことはとても辛いことです。
キリスト者はこの地上の社会の仕組みの中で生きながら、同時に聖書が語り教えている世界を生き
て行くものなのです。この二つの世界が微妙に重なり編みこまれた網目の中で生活していると言ってい
いでしょう。
人は肉体が終わりを迎えて、死ねばすべてが終わり空しくなってしまうのだと考えているこの地上の
仕組みと考え方の中で、聖書が語る御国はパラレルに存在しており、肉体が限界に達して終えても、
尚、主イエスが住み家を供えてくださっておられるのだ、と信じ受け止めております。
地上の社会仕組みの中で、介護の制度を利用しながら、今の地上の生活をキリスト者として誠実に
生きていこうとしているのです。主にある兄弟姉妹の皆様方もそうではないでしょうか。
地上の社会制度の仕組みの中で生き、かつ影響されながら、迷いもあり、失望もあり、無力感に陥っ
たりして、何をどうしたら良いのかわからない事も起こるでしょう。
そうした時に「人を愛する事、出会った人を大事にすること、親切にすること 互に励ましあいましょう。
」 難しく考えないで、主イエスが教えられた基礎的なその道に活き続けなさい、と。「へブル人への手
紙」は語ってくださっています。
もう一度言いますが、主イエスが教えられた「神を信じ愛し、隣人を己の如くに愛する」内容は分かり
切った道です。マルコ福音書がまだ手元にないこの時代に、キリスト教が未だに市民権を得てはいな
い、そうした中で、時には疲れ、迷い、自分だけが損な役割をしているのではないかとか?! そうした
思いに囚われている彼ら、また私どもに向かって、教会暦は主日の中で繰り返し、語り、励まして、私
どもを本心に立ち返らせているのです。
< 備考 >
「蝸牛(かたつむり) そろそろ登れ 富士の山」
現代ロシアを代表する作家 ミハイル・シーシキンの「日本」
『手紙』 ミハイル・シーシキン/著 奈倉有里/訳 新潮社
ダニエル 12:13終わりまでお前の道を行き、憩いに入りなさい。時の終わりにあたり、
お前に定められている運命に従って、お前は立ち上がるであろう。」
マルコ10:26「それでは、だれが救われるのだろうか」と互いに言った。
10:27 イエスは彼らを見つめて言われた。
「人間にできることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ。」
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