2024年 11月 3日 全聖徒主日(白)
聖書 : イザヤ書 25章 6節~9節
詩編 24編
ヨハネの黙示録 21章 1節~6節
ヨハネによる福音書 11章 32節~44節
説教 : 『 ラザロを死から呼び出す 』
木下海龍牧師
教会讃美歌 : 238、 371、 331、 266
「死から呼び出す」とは、何処に??
「ラザロ、出て来なさい」と大声で叫ばれた。すると、死んでいた人が、手と足を布で巻かれたま
ま出てきた。顔は覆いで包まれていた。イエスは人々に、「ほどいてやって、行かせなさい」と言
われた。
ラザロは、まず初めに、生前から親しく交わりの在ったイエスの前に呼び出されたのです。
ラザロは、懐かしいイエスを目の前にして、驚きつつもどんなに懐かしく安堵した事でしょう。
私共の一人一人の目覚めも、また 懐かしくて安堵した一瞬であろうと信じております。
私共は、誰もが身近な人の死に直面せざるを得ません。
それは悲しく辛い状況に対面することであるのですが、見方を変えれば、逝く人が遺された我々への
大きな贈り物であるのではないのかとも思えます。
それは1枚の紙と言っても、表と裏とによって成り立っているように、近親者の死は表を支えていた裏
側の存在に気付かせる尊い出来事であるのだと捉えられるならば尊いことです。
あれ!!どこに逝ってしまったのだ!? 普段はまったく考えることの無かった次元の違う世界の存在
に意識が向く時であるからです。生活のために、この表の世の事柄に集中して表の世界の仕事に追
われている最中ても、身近な人の死は「この人は何処へ!?」と、この世の次元とは異なった領域につ
いて思いが飛びわたり、心の内で探し回る求道の時間が訪れるのです。
これは貴重で尊い体験です。
11月1日の全聖徒の日を経て、本日は全聖徒主日を迎えております。
この日は、私どもが亡くなったお方を覚える日ではありますが、それと同時に、既に亡くなった方々から
の強烈に働きかけのあることに気付く日でもあるのです。
私共の日毎の生活は紙の表側ばかりに気を取られているのですが実は、表の情報と出来事だけでは
なく、紙には裏面があって表の現象が成り立っているものなのです。仮に裏面がない紙は紙それ自体
が存在しないことになります。そもそも私自身がこの世的現象界の存在は成立いたしません。目に見
えない気付けない所で神様を始めとして、無数の相互依存関係によって私のこの現実は支えられてい
るのです。
ここに並べられた遺影の方々と、その外にも、少なからざるお方がこの教会と深い関係を結ばれてお
られました。そのお一人お一人には、主イエスと関わる「私の物語」がございました。今のこの年齢にな
って、その一人一人が語る「私の物語」を聴いておくべきだったなあ!!と思えてなりません。
杉沢とり姉は、教会にとって、私と妻にとっても大切なお方でござました。断片的に伺った事ですが。「
聖書を学び、イエス様の十字架のお話を聞いてゆくうちに、自分は勉強が良くできて手のかからない上
の息子を誇りにしている傍ら、お勉強もいまいちであって、いろいろと手のかかる下の息子を疎ましく
思っている自分の身勝手さに気付かせられました。私は罪深さを告白して洗礼を受けました。今では
下の息子に優しく支えられて生活が出来ております。」
清水勅彦・冨子夫妻は長い間、富士教会を支えてこられました。勅彦兄は長崎で、冨子夫人は広島
で被爆されたて居られます。それにも関わらず、アメリカからの宣教師から聖書を学び、洗礼を受けた
のです。私木下は被爆体験者ではありませんが、「クリスチャンの国だと言うアメリカが何故日本に原
爆を落としたのですか」と聖書の学びのおりに詰問したことがあります。ましてや、被爆されていた清水
夫妻ははるかに複雑で深刻な気持ちを抱きながらも、洗礼を受けるに至った物語があったはずです。
聞いては居りません。ただイエスの十字架は敵おも赦すメッセージですので、「ゆるす」ことによって平
和の内に共存する人類の選択肢として、ご自分の中でもなさったのかなあと思っております。この辺の
ところは修正しながら富士教会として「私の物語」が推敲できればいいなあ、と思っております。
植田金吾兄 私が神学校を卒業して最初に富士教会に赴任した1966年の代議員さんでした。とても
真面目に、教会の働きを支え、配慮されるお方でした。その課題が何であったかは忘れましたが、私
が「それでは、総会を開いて決めましょう。」と持ち掛けましたところ、「総会の開催は、簡単ではなく、
大変なんですよ。」と、わたしを柔らかく諌めてくださいましたので、私がひっこめたことがありました。
最晩年にお宅にお伺いして、お会いした時に感じたのは、植田さんは認知症を発症しておられました
。私を誰であるかは認識しておられるふうでしたが、どう対応したものか迷っておられて、すべての判
断を奥様にたよっておられるふうでした。その後の状況は分かりません。
望月胡江(ひさえ)姉の「私の物語」にはとても多くの内容が記載さることでしょう。今にしては遅くなっ
てしまいましたが、各自が記憶を持ち寄って胡江姉の「私の物語」を綴っておきたいですね。今でも忘
れられない胡江さんの言葉は「日曜日に教会に来るためには、金曜日の朝から準備をして、何とか自
転車で来れております。」彼女は毎週、お顔を紅潮させながら自転車を停めておられました。
井上澄子姉は、東京都内の救世軍病院で亡くなり、2022年6月16日に日本福音ルーテル東京教会
で私の司式で告別式が行われました。佐野三四子姉、大石靖彦兄 小谷由美子姉が参列されました
。井上澄子姉の「わたしの物語」も各自の記憶を綴ったものが持ち寄ると良いなあ、と思います。
杉山晴吉牧師の早世は、 わたくしの中では、とても、残念な気持ちが残ったままになっています。私
からコンタクトを積極的に取るべきであった事。彼の気持ちをそのままに聞き取れる機会を逸した事な
どが出来ずに悔やまれております。
さらに加えて、気になっておられるお方は菊池あい子姉、飯田とめ姉、 遠藤 馨兄、望月映江姉、トム・
テンジさん、小沢益子姉、渡辺なか姉、望月栄江姉、村野照子姉、鳥居 宏兄、杉澤 登さん、萩山照
雄兄、鈴木勇次兄の方々です。
土曜日の夜に、遺影室の扉を開けますと、皆さんから大歓迎されます。そこで、語り掛けます。「明日
の礼拝には一緒に参加しましょうね!!」と。
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