2024年 12月 1日 待降節第1主日(紫)
聖書 : エレミヤ書 33章 14節~16節
詩編 25編 1節~10節
テサロニケの信徒への手紙Ⅰ 3章 9節~13節
ルカによる福音書 21章 25節~36節
説教 : 『 物神崇拝からの解放 』
木下海龍牧師
教会讃美歌 : 9、 7、 5、 4
老後の生活不安と物価高の現実に当面して、収入は増えない。そうした中で、喧伝されているのが、
手持ちの金融資産を増やすための勧誘・勧め・宣伝が目につきます。近未来の為に老人であっても、
金融資産をある程度確保しなければ!!と焦る気分に駆られます。そうした雰囲気が取り囲んでいま
す。
本日の聖書から聞き取れた事ことなど・・・。
ルカ福音書21章は主イエスの受難直前に置かれた章です。
先ず神殿の崩壊が予告されています。続いて終末の徴が語られております。
戦争・自然災害・迫害を受け、捕らわれて、弁明を強いられる事、その最中で主イエスが言葉と智慧
を授けるから恐れることはないと語ります。裏切りと殺されることも起こる。「わたしの名のために、あな
たがたはすべての人に憎まれる。しかし、あなたがたの髪の毛一本も決してなくならない。忍耐によっ
て、命をかち取りなさい。」とイエスは宣いました。
今年も12月を迎えました。世間の事に疎い私ではありますが、それでも著名な方々の訃報をニュー
スで知ることになりました。
・谷川俊太郎(92)11月13日詩人
・北の富士勝昭(82)11月12日 元横綱、大相撲解説
・崇仁親王妃百合子た(かひとしんのうひ ゆりこ)(享年101歳2024年11月15日没
・火野正平(75)11月17日 俳優
・西田敏行(76)10月17日 俳優
虚血性心疾患
・アルベルト・フジモリ(Alberto Fujimori)(享年86歳2024年9月11日没
・松岡 正剛(まつおか・せいごう)享年80歳2024年8月12日没 編集者
・門倉 有希(かどくら・ゆき)(享年50歳2024年6月6日没
・小澤 征爾(おざわ・せいじ)(享年88歳2024年2月6日没 指揮者
・横山 知伸(よこやま・とものぶ)(享年38歳2024年1月4日没
・篠山 紀信(しのやま・きしん)(享年83歳2024年1月4日没 写真家
以上、大雑把に見たのですが、そうじて、皆さん長命だと思いました。30歳代で著名な人物になるの
は稀有な事だと思いました!!
別の視点から見るならば、この方々は、治療費が不足して、十分な治療が受けられずに、死を早め
たとは全く思われませんでした。おそらくもっと生きて世の移り変わりを見ておきたいと思っていたかも
しれません。私自身にはチョットそんなところがあります!
むしろ生活費と治療費に必要な蓄えは保有していたのだけれども、お亡くなりになられたと思います。
ところで、ルカ福音書21章の冒頭のところで「やもめの献金」が述べられています。なぜこの個所に「
やもめの献金」が挿入されているのでしょうか。他のカ所でも良かったのではないか、と思ったりします。
当時でも歩いて、神殿まで歩いて礼拝に行ける所に住んでいる寡婦であっても、すべてが自給できる
わけではありません。二千年前のエピソーであれ、社会の仕組みの中で生きて行くためには幾らかの
金銭は必要であったのです。この寡は乏しい中から、今ならば電車バスに乗れる数百円の生活費全
部を献金したのでした。
この個所に挿入されたエピソードは、イエスに倣い従う人はいつも生活費の全部を献金しなさい!!
と教えているのではありません。3百円のお金がないと、バスにも電車にも乗れません。そうした仕組
みの中で我々は生きているのです。そうすると社会的仕組みと便宜の為に貨幣があるのですが、その
貨幣を保持することが目的化されて、やがて貨幣に拘束され、貨幣の奴隷になりがちな意識状態に陥
りやすくなります。 殊に、金融資産を上手に運用することが喧伝されているこの5,6年は殊に金融資
産を如何にして増やすことができるか。それがあなたの将来を保証することになる!!と。
神を信じている生活をしていると自任しながらでも、お金に縛られ従属されがちになりやすいのです。
この寡婦は「物神崇拝からの解放」されている姿を表しているのではないでしょうか。
究極的に何に信頼を置き、心安らかな日々の生活を営めているのか。
神殿は南イスラエルに一カ所だけでした。そこはエルサレムの中心地に神の存在を顕し、象徴してい
る場所でした。この寡婦はその神殿に入って入ったのです。そして、明日の生活に必要であるはずの
レプトン銀貨二枚をささげたのでした。それこそが「物神崇拝」から解放されて、真の神様に、今ここで
、まみえている姿を顕しているのでした。そのことを、イエスは弟子たちに、そして聖書を読む私どもに
も気付かせようとしておられるのです。
これから弟子たちが遭遇する艱難・死の恐れ・迫害の中で、「物神崇拝」誘いに陥らずに、真(まこと)
の神にこそ目を注いで、神の手がこの世と来たるべき世を貫いて、導き、守ってくださっている原事実
の中を進みなさい!!と諭されたのです。十字架の真の意味と復活の新しい命の約束を与えられた
のです。
今回のルカ福音書21章の寡婦の献金の行為から、さらに気付いた一面がございました。それはこの
婦人が神との愛の関係を自分から自分なりに、今ここで創造して見せた事です。
ルカ10:25 ある律法の専門家が立ち上がり、イエスを試そうとして言った。
「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」
10:26 イエスが、「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか」と言われると、
10:27 彼は答えた。「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主
を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい』とあります。」
10:28 イエスは言われた。「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」
この寡婦である婦人は 『あなたの神である主を愛しなさい』と語る(申命記6:5)神の言葉を受
けて、自ら進んで神様への愛の関係を今この時に現成・創造する行為として「レプトン銅貨二枚
」を入れたのです。神への捧げもの・献金にはそうした力と意味があるのです。
卑近な例で言うならば、人によっては愛とは自然に起こってくるものであるから、それ生じるまで
待って、生じたら愛すればいいのだ。と受け取っている人もいて、それまでは何もしないでいるこ
とが多々ございます。それが自然なことだと思い込んでいます。本当にそうでしょうか。もしかし
たら性欲が生じた時にだけ自分の妻にスキンシップをするのでしょうか。夫婦の愛の関係を日
常の生活の中で自分から創っていく場面は幾らでもあるのではないでしょうか。
私たちは日々の労働と家庭の雑事などで疲れているものです。
ねぎらいといたわりの言葉、不安と恐怖に共感する言葉と仕草、助けになる手出しをする。日頃
の金銭と家計を共有している感覚と自覚・・・等々。そうした積み重ねの中で、二人の間に愛が
創造されてゆくのではないでしょうか。自然に生じて来る迄,待つとか、放置しておいては愛の関
係が創りだせると思い込んでいるのではないでしょうか。夫である男性がそうであるならば、妻
である女性はいつも待ちぼうけを強いられているのではないでしょうか。
この寡婦である方は、自らすすんで、その時に持っている生活費全部を入れたのです。それが
彼女の神さまへの愛の表現であり、創造する行為でもあったのです。イエスはそれをご覧になっ
ておられました。牧師である私なならば心配して「チョット大丈夫ですか?! 明日からどうされ
るんですか?!」と言ってしましそうですが・・・。
<参 考>
フェティシズムの類義語には、「物神崇拝」「呪物崇拝」「盲目的献身」「拝物愛」などがあります。
フェティシズムは、特定の事物に対する美的な感情移入の総称で、宗教学の用語としては呪物崇拝や
偶像崇拝を意味します。アニミズム(自然界の万物がもつ「アニマ=霊魂」への崇拝)と区別して、「持
ち運べる手ごろな物体」への崇拝を意味します。
また、経済学においては、マルクスの『資本論』第一巻第一章の第四節でフェティシズム論が展開され
ています。マルクスの理論によると、商品は本来、人間労働の産物であり、人間の労働によって価値
づけられるというものです。もともと人間労働の生産物である商品・貨幣・資本があたかも独自に運動
する力の有る神のようにみえ、それを当然とする意識が生みだされて人間が支配されること。
フィリ3:19「 彼らの行き着くところは滅びです。彼らは腹を神とし、恥ずべきものを誇りとし、この
世のことしか考えていません。」
既に、パウロが宣教していた時代に「物神崇拝・貨幣崇拝」への警告をフィリピの教会の人々に
諭されたのでした。
祈りましょう。
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