2024年  2月 18日  四旬節第1主日(紫)

      聖書 :  創世記               9章 8節~17節
            詩篇               25編 1節~10節
            ペトロの手紙Ⅰ          3章 18節~22節
            マルコよる福音書        1章 9節~15節

      説教 : 『 洗礼・誘惑・伝道するイエス 』
                         木下海龍牧師
      教会讃美歌 :  240、 388、 394、 454

イエスの公生涯への出発は、洗礼をバプテスマのヨハネから受けてからでありました。

その意味で洗礼にあずかる事は、キリスト者にとって、新たな人生の出発点であると言えます。

さらに、信仰者としては歩み始めて3年から10年の間に信仰・教会生活上のスランプに陥ることがし
ばしば経験します。結果的にはそれがその後に成長するための試練であり訓練の段階とも言えましょ
う。

その後に自分が生まれた意味や、主イエスに出会って導かれた意味、今の自分が担い果たすべき役
割などを意識的に、または外部から与えられた課題によって、取り組まざるを得ない事などがありまし
ょう。

 今年この時期の福音書はほぼ同じ個所が用いられていますので、最近の私の所感を話します。
 今年は、私にとっては、90歳を迎える年になりますが、隙間時間に読んでいる本があります。

    黒井千次著「老いのゆくえ」 <85歳を超えて、みえてくるもの> 中公新書
    山田風太郎編著「人間臨終図巻」Ⅰ―Ⅳ 徳間文庫 合計1,773
<古今東西923名の最期を切り取った稀代の名著> と文庫本の帯に、ありました。

 

    では、人は「自分らしく老いていく」をはじめ 全くそうだなあ!!と共感の個所が多々あり
ました。
    は初めにⅣ(77歳~百歳代)を読み終えて、Ⅲ(65歳~76歳)を、読み終えたところです。

断片的に振り返ると、わたしが国民小学校1年生の時に大東亜戦争が始まり、空襲と、縁故疎開状
況の中で母は「この子は小学校を無事に卒業できるのかしら」と、心配したそうです。その後、導かれ
るままに、途中いろいろとありましたが、神学校を卒業したのは32歳になる年でした。

 下関教会では、残り1年を前にした69歳で定年牧師になり、高蔵寺教会、修学院教会を含めて牧会
委嘱を3年間引き受けました。その後は説教応援牧師として、富士教会をはじめ、焼津教会、島田教
会、藤枝教会、そして再び富士教会では1年ごとの更新の務めが、今年で6年目に入りました。

 私はただ按手を受けた牧師の務めを真面目に果たしてゆこうと思って今日まで、歩んで参りました。

 最初の赴任地が富士教会でした。結婚して数年が経過した頃に、礼拝説教中に、気持ちが悪くなっ
て吐き気がし、意識が朦朧となり、説教を中断せざるを得ず、牧師館に引き上げて寝かされました。

 罹りつけの奥村先生が往診に来てくださって、手当を受けました。

 今年に入って、早川顕一牧師が90歳で亡くなり、大学同期の一人の友人も亡くなりました。

 今年2月8日には東京教会で森下真樹兄享年46歳の葬儀があって、和子と参列しました。

彼は2月2日㈮に仕事を終えて「ジャーね」と高橋睦常務理事に手を振って、自転車で帰宅の途に就い
た途中で、倒れて、医師たちの手当を受ける暇もなく、3日()午前1:22、突然の天召を受け、46歳
の地上の生涯を終え帰天されました。訃報を知って、今どきこんな状況で亡くなることがあるのだと大
きなショックを受けました。

「彼は健康で明るくスポーツが好きで、ガーデニングも趣味であり、穏やかで、クール、ひょうきん、優しくて子煩
悩、仕事が早く頼み事はすぐにしてくれ、勉強家で毎日資格試験等の勉強に余念がなかった」と奥様の沙世さん談
でした。施設会長の高橋睦氏曰く「誠実に仕事をこなし、東京老人ホームの将来を担う代表的な人材として期待して
おりました。」

11歳の娘と若い奥様と年老いた両親が遺されました。

 旧約聖書が語るこの世の三つの悲しみを目のあたりにする葬儀でありました。その状況の中で、遺
された方々は必死になって、この事実を受け入れて、前向きに立ち直ろうとされておられるお姿は、直
ちに泣き崩れてしまう相貌を内に堪えながら、弔問の挨拶に応えておられました。

 電話で正確な語彙は聴きとれませんでしたが「心臓動脈瘤乖離」による急死であったようであります
。父君も「自分とも全く話が出来ずに逝ってしまった」と私におっしゃっておられました。

 さらに、彼が直前に受けた健康診断では全く異常は見つかってはいなかったとのことでした。

 今回の葬儀に参列した私の気づきは、人は何らかの病を己の身の内に抱えながら生きて、仕事をし
ているのだ!!と。診断されることもあれば、まだ発見されない病を抱えながら、人は生きているのだ
、と。

 40年ほど前に、東海教区の婦人会連盟の役員さんが選出されて間もない時期に、就任したばかり
の婦人会会長さんに心臓に或る疾患が見つかりました。彼女が検査入院をしている間に、緊急に婦人
会役員会が開かれ、心臓病の彼女のことを慮って、会長職から放して、残りの役員で新たな東海教区
婦人会役員会を発足いたしました。

その後、私は心臓に疾患が見つかった彼女と話す機会がございました。彼女は、会長職の解かれた
ことがとても不満で、さびしく受け取っておられました。

 私どもは、何らかの疾患を抱えながらでも、自分が出来ることをしながら生活を続けています。周り
の人を支え支えられながら過ごしているのではないでしょうか。その関係性から外されることは望んで
はいないのです。  何を、どこを補佐すれば会長の役割が無理なく果たせるか、本人を交えて話し合
うことがあればよかったのではないだろうか、と学びました。

 このことは後期高齢期の親御さんとご一緒に過ごしておられる方々は既に経験済みでありましょう。

 今年の灰の水曜日は2月14日でした。その日から始まる46日間の四旬節が始まりました。

 人類の滅亡と地球の危機を救い出す筋道を示す十字架の死と復活の希望へと向かう一大事業への
道を主イエスは身をもって示された受難へと向かって行かれました。

 四旬節の意味をそれぞれが、おのが身をもって黙想しながら日々を過ごしてまいりましょう。

祈りましょう。

< 参照 >
TS・エリオット『灰の水曜日』 岩崎宗治訳『四つの四十奏』(岩波文庫)<部分引用>

わたしは〈神〉に祈る、われらに慈悲を垂れたまえと
また、わたしは祈る、自分の心の中でくどくどしく論じ
くどくどしく説明してきた諸々の事柄を
忘れさせたまえと わたしは振り返ろうとは望まぬから
これらの言葉をすでになされたことの
償いたらしめ、同じことを繰り返さぬようにさせたまえと
願わくは、われらの上に裁きのあまりに重からざらむことを

この翼はもはや天翔る翼ではなく
ただ空しく虚空を打つ唐箕にすぎぬから
その虚空も今では果てしなく小さく乾燥し
石よりもっと小さく乾燥しているから
心しつつ心せざる術を教えたまえ
心静かに坐す術を教えたまえ

祈りたまえ、われら罪人のために、今も、死のときも
祈りたまえ、われらのために、今も、われらの死のときも

沈黙の〈聖女〉よ
心静かに悲しみに耐え  引き裂かれてなお無傷で  記憶の薔薇 忘却の薔薇
困憊しつつも命を与え  悩みつつも安らぎに満ち  ただ一輪の〈薔薇〉 今、〈庭〉となり
すべての愛ここに終わる 満たされぬ愛の  苦悩は終わり 満たされし愛の
さらに大いなる苦悩も  終わり定めぬ  終わりなき旅の終わり 結論の出ない
すべてのものの結論   言葉なき語らいと  語らいなき〈言葉〉
〈母〉への祈り     愛のすべてが終わる 〈庭〉を求めて

だが、泉の水は湧き上がり、そして小鳥の声は降り注いだ
購え時間を、購え夢を  聞かれず語られぬ言葉のしるしを
風が水松の樹から    千もの囁きをふるい落とすまで
そして、われらのこの流謫の後までも

ほっそりした水松と水松のあいだに立つヴェールを着けた修道女は
祈ってくれるだろうかーー彼女の心を傷つけ
怖れながらも従うことができず
世間の前では肯じながら、岩と岩のあいだで否認する者たちのために
祈ってくれるだろうか、 最後の青い岩と岩のあいだの最後の荒野で
庭の中の荒野、乾き切った荒野の中の庭で
萎びた林檎の種を吐き出す者たちのために

おお、わが民よ
                          以上
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