自分の人生で一番大事なものは何でしょうか、 皆さんは何と答えられますか。
イエス様ご自身、マルコによる福音書8章でこう語られています。「たとえ全世界を手に入れても、自分
の命を失ったら、何の得があろうか」この世の中で自分にとって一番大事なのは自分の命ではないか、その
命はどんな代価を払っても買い戻せないのだ。」と言われています。
現代では人間の命は臓器移植によって、今までは決して助からなかった命を救うことのできる時代になって
います。
中村先生はかつて友人とマルコによる福音書8章のこの箇所のことで話したことがあったそうです。その人は
人の命はお金で買うことができるという意見を持っていました。それは臓器移植にも関連しますが、「お金が無
かったら医療を受けられない、お金で命を延ばすことができる。」ということは、別の側面からすると、「お金で命を
買うことなのだ。」と言いました。それに対して、中村先生は、「それは延命であって、命が買える、お金で命を
作り出すことはできないことだ。」と反論したそうですが、これからもこのような論議がなされていくのではないでしょうか。
命、それは誰もが一番大事なもののはずではありますが、私たちの周りで頻繁に起きている問題、事件を
見るとき、一番大事なはずの命が大切にされていないことに気付かされます。無差別殺人、保険金目当ての
殺害、暴走行為、虐待、援助交際、堕胎、中学生、高校生による殺人など、痛ましい事件が後を絶ちませ
ん。
目先のことにばかり気をとられていて、人の命がどういうものであるか、命とは何なのか、と言う基本的なことを
考えることが、現代では少なくなってきているようです。このような世の中で生活している私たちだからこそ、「自
分の命」 について深く見つめなければならないと思います。
「神は、その独り子をお与えになったほどに、この世を愛された。 独り子を信じる者が一人も滅びな
いで、永遠の命を得るためである。」ルターはこのヨハネによる福音書3章16節を 「小福音書」 と呼んで
います。聖書の中で最も重要な言葉です。
人間は滅んではならない存在である、と、そのために神様の独り子をこの世に送ってくださったのだと言われ
ております。子供を手放す、子供が自分の手元から去っていく、このようなことは親としては非常に悲しく、苦し
いことです。親としては子供のためなら何でもする、そんな思いがあります。子供が死に瀕しているときなど、代
われるものなら代わってやりたい、そう思うのが親心でしょう。
全ての親がそのように思うか、と言うと、そうではないことも私たちは知らされています。けれども、そのような親
は例外と考えてよいのではないか、とも思いますが、愛する、と言うことを考えていくとき、ここが大きなポイントに
なっているように思えるのです。
愛、それは人間だけではなく、生きるもの全てに欠かすことのできないものでしょう。そして、人間が求めてや
まないものでもあります。神様の示された愛と、私たちの愛とは根本的に異なることが人間の親子関係の中で
も明らかにされているのではないでしょうか。
神様の愛は、私たち人間のためにご自身の独り子を犠牲にする愛です。それも、人間の身代わりとして十
字架という辱めを受ける死をもって示された愛です。それは私たちには想像もできない人間を滅びから救い出そ
うとする人間に対する激しい愛です。私たちの愛は、その存在を大切に思う、その範囲に留まっていることが多
いのではないでしょうか。
自分の命を犠牲にして人を助けた人々がいることも確かです。その人の存在を大切に思う愛の極致が身
代わりと言えるでしょう。 しかし、そこまでは出来ないでいる人がほとんどではないでしょうか。
また、人間の愛には自己中心的な思いが込められていることも確かなことです。人間は愛するより愛された
い、そのような気持ちが心のどこかに潜んでいます。神様の愛をみるとき、そこには人間から愛されたい、と言う
思いは全くないことを知らされます。人間は愛を期待するけれども、神様は人間の愛は期待してはおられない
のです。愛することに徹底されておられるのです。
人間が滅びの道を歩まないためには、独り子を犠牲にしても悔いは無いとまで言い切るのです。言葉だけで
はなく、事実そのように私たちに示されたのです。人間が真実の愛を知るためにかけがえのない命を投げ出され
たのです。
この事実を受け止めることができるようになるには、霊によって新しく生まれ変わるしか道はないのだ、と語ら
れるのです。霊の導き、つまり信仰によってのみ、このことが分かり得るのです。
神様の愛は、私たちが受けるにふさわしい者であるから受けられるのではありません。私たちと同じ人間とな
って私たちの元にこられたイエス・キリストを信じる信仰によってのみ、知ることができるのです。この事実を受け
留めるか、否定するかを私たちに問われているのです。神様の愛を心の内に思い浮かべながら四旬節を過ごし
ましょう。
<お祈り>
天の父なる神様、神様は私たちのためにイエス様をこの世に遣わしてくださいました。私たちがイエス様の十
字架、復活を信じて歩むの者とされるように力を与え、見守ってください。
私たちの救い主、主イエス・キリストによって祈ります。 アーメン
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