2024年  4月 14日  復活節第3主日(白)

      聖書 :  使徒言行録           3章 12節~19節
            詩篇               4編
            ヨハネの手紙Ⅰ         3章 1節~7節
            ルカよる福音書         3章 1節~7節

      説教 : 『 からだの復活 』
                    信徒のための説教手引き 信徒代読

      教会讃美歌 :  95、 89、 105、 453

イエスが復活されたことを信じることは、決して容易ではありません。 聖書の数々の奇蹟の中でも、イエスの復活の
出来事ほど理解するのに困難なことはないでしょう。 イエスの弟子たちでさえ、最初は信じることができなかったほどで
す。

今日の聖書箇所は、イエスの復活の有無を直接問うだけでなく、その復活がどのようなものであったのか、を示すこと
にも重点があるように考えられます。

エマオ途上で、復活のイエスに出会った弟子たちの報告を聞いていたところに、《 イエス御自身が彼ら(弟子たち)の
真ん中に立ち、「あなたがたに平安があるように」
と言われ ました。

ところが、弟子たちは 《恐れおののき、亡霊を見ているのだと思った》 のです。

無理もない話です。 一体、死者がほんとうに復活するのか、またその姿はどのようなものであるか、様々な憶測や
推測がなさえたでしょう。

弟子たちにとってイエスの復活はまだ現実味を帯びていませんでした。 エマオ途上の弟子たちの報告も、現実味を
持って聞かれてはいなかったかもしれません。

しかし、イエスは復活して弟子たちの前に現れました。

自分たちの目の前にいるイエスを見て、弟子たちは混乱しました。 その弟子たちの混乱と動揺が、恐れとなり、おの
のきとなって、自分たちが今見ているイエスの姿が果たして現なのか、幻覚なのか、夢なのかも判断できないほどのもの
だったのです。

弟子たちが 《亡霊》 と考えたのは、イエスの復活が現のものではなく、幻覚や幻影を見ているのだと考えたのでしょ
う。

うろたえ、狼狽する弟子たちに、イエスは 《なぜ、うろたえているのか。 どうして心に疑いを起こすのか》 と言われま
した。
 

イエスは十字架にかけられ殺される前に、何度も弟子たちにご自身の復活について話しておられました。

しかし、弟子たちはそのことを真の意味で理解してはいませんでした。 イエスの復活のことを聞いても、それを疑う弟
子たちもいました。

ヨハネ福音書には、イエスの復活を疑ったトマスの話があります。

トマスは 《あの方の手に釘跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなけれ
ば、わたしは決して信じない》
(ヨハネ20章24節以下)と言いました。

そのトマスに現れて、イエスは 《あなたの指をここに当て、私の手を見なさい。 また、あなたの手を伸ばし、わたしの
わき腹に入れなさい》
と言われて、疑うトマスを信じる者にされました。

復活を信じることのできない弟子たちに、イエスは自ら 《わたしの手や足を見なさい。 まさしくわたしだ。 触ってよく
見なさい。 亡には肉も骨もないが、あなたがたに見えるとおり、わたしにはそれがある。》
と言われました。

亡霊だと思っている弟子たちに、イエスは今弟子たちが見ているイエス御自身が、肉体をもった復活の体であることを
示されたのです。

幻覚や幻によって見える亡霊には、その姿は見えても 《肉や骨》 はありません。 触ることができません。

《わたしの手や足を見なさい。 まさしく、わたしだ。》 今ここに弟子たちの前に現れたイエスは、十字架につけられ、
殺された、あのイエスそのものです。 手とわきにははっきりとした釘跡が残っているイエスです。 他の誰でもなく、また幻
覚や幻影による亡霊でもなく、肉体持った生前のイエスそのものなのです。

《彼らが喜びのあまりまだ信じられず、不思議がっているので》 という言葉は、弟子たちの複雑な心境を表している
言葉です。

確かに肉や骨もある。 釘跡もある。 足もある。 しかし、まだ半信半疑なのです。

イエスの復活の出来事はまさに一つの神秘です。 神秘を前にして、弟子たちはまだ現実と非現実の境をさまよって
いるかに見えます。 だれでもこのような出来事に出会うとき、現実と非現実の境が分からなくなるのです。

イエスはさらに、弟子たちを現実に戻されるために 《ここに何か食べ物があるか》 と言われました。

差し出された焼き魚を 《彼らの前で食べられた》 のは、エマオ途上の弟子たちがイエスと一緒に食事をし、イエスが
《パンを取り、讃美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。》
(ヨハネ24章3節以下)とき、《イエスだと分かった》
ように、ここでも
《まだ信じられず不思議がっている》 弟子たちを信じさせようとされるイエスの愛の配慮だったのです。

私たちは信仰告白の中で、「体のよみがえりを信じます。」 と告白します。

復活は単に霊魂だけが肉体を離れてよみがえるというものではなく、肉や骨(体全体) のよみがえりを信じています。
イエスの復活が
「からだ」 のよみがえりであったように、私たちの復活も同じように 「からだ」 全体が復活するのです。
 

私たちは 《主と同じ姿に造りかえられ》 (第2コリント3章18節) 永遠の命によみがえることを信じているのです。

このような希望を与えられていますので、私たちは苦難の多いこの時にあっても、忍耐をもって信仰生活を送ることが
できるのです。

お祈りいたします。

父なる神さま。復活し永遠の命が与えられる希望が与えられていることを感謝いたします。

苦難の多いこの世界の中で、この喜びと希望のメッセージを伝えていくことができるようにしてください。

私たちの主イエス・キリストの御名によってお祈ります。アーメ

                                            戻る