2024年  4月 21日  復活節第4主日(白)

      聖書 :  使徒言行録           4章 6節~12節
            詩篇               23編
            ヨハネの手紙Ⅰ         3章 16節~24節
            ヨハネよる福音書        10章 11節~18節

      説教 : 『 羊飼いの使命 』
                     木下海龍牧師

      教会讃美歌 :  131、 308、 105、 456

復活なさった主イエスは、恐怖の中で扉に鍵をかけて潜んでいた弟子たちに、「シャローム」と平和
のあいさつをされました。そして「聖霊を受けよ」と息を吹きかけて、罪の赦しの宣教へと遣わされまし
た。
教会が今日までに存続しているのは、聖霊を付与されて、福音宣教へと使命を果たすためでございま
す。
ペンテコステ後の初期教会はその宣教活動の対象にしたのは、実は、ヘレニズム化したエルサレム
から地中海沿岸方面へと移住してきた離散ユダヤ人(ディアスポラ)でした。少なくとも4世紀まではユ
ダヤ人が大きな源としてキリスト教への改宗者を供給し、ユダヤ人キリスト教が5世紀に至っても影響
力があったと、今日の社会学の研究成果のもとに言われております。

    ヘレニズム化した離散ユダヤの人の人口は、パレスチナに住むユダヤ人よりもはるかに
多かった事。 パレスチナに百万人、そこ以外に6百万人が居たと推論する研究者もいます。

    ヘレニズム化したユダヤ人が、パレスチナ以外のキリスト教徒と同様に、主に都市住民
であった事

    彼らは決して貧しい少数派ではなく、経済的なチャンスを求めて過去何百年かのあいだ
にパレスチナを出てきた人々でありました。一世紀末には、アレクサンドリアの大きな中心地の
ユダヤ人街区は、豊かな富で知られていました。離散先での生活様式はエルサレムのユダヤ教
からはかなり周縁化せざるを得ませんでした。紀元三世紀にはトーラーをギリシャ語に翻訳しな
ければならないほど、彼らのヘブライ語はダメになっていました。

    改宗者に律法を強制しないと決めた使徒会議によって、民族性に縛られない宗教が生ま
れました。伝承によると、律法とのこの決別がまず異邦人宣教の急激な伸びとして実を結んだと
言われています。

恐怖の中で扉に鍵をかけて潜んでいた弟子たちに、「シャローム」と平和のあいさつをされた。そ
して「聖霊を受けよ」と息を吹きかけて、罪の赦しの宣教へと遣わされました。

このイエスの言葉は、単に気持ちを落ち着かせるためではなく、神様のご計画の中では、すで
に準備が進められており、身体と心と信仰に平安の準備ができている見通しを担保した上で、
弟子たち(おそらく60人から120人)を宣教へと派遣されたのだと受け止められないか!!

然り!! そのように受け止めることが、今の信仰者にとっても、大きな祝福となりましょう。

    ヘレニズム化したユダヤ人にとって、キリスト教に対して、異邦人(アテネ人等々)が感じ
るよりも何倍かの文化的継続性があったのですから、キリスト教が両方の文化の宗教的内容を
保持するにも、二つの間の矛盾を解くにも、いかに有効だったか!!!

    タイセンは言う「パウロ的キリスト教は『順応ユダヤ教』」と呼んだほどであります。今
日のキリスト教がユダヤ教との文化的継続性を大いに持っていることを認めざるを得ません。

実際、新約聖書のかなりの部分は、キリスト教が旧約の延長であり成就であると示すために費
やされております。
そして学者たちが今世紀を通じて強調したのは、キリスト教には、意外にも非ユダヤ的であるギ
リシャ・ローマの文化に馴染みやすい面もまた随所にあるということを論述したことだったのです。

    こうした初期キリスト教がもつ「文化に二つの顔」に着目すれば、どちらの面とも切るに切
れない関係にあった離散ユダヤ人こそ、それが最もアッピールした事はたやすく想像できるので
す。

「弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが
来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。

同じ民族であるユダヤ人をイエスの直弟子である12使徒たちは恐れていた。ところが神の備えは既
に開始されていたのでした。その同じ民族である離散ユダヤ人との接触により「十字架と復活」の良
き訪れの宣教
によって、彼らを救いへと導き、彼らを初期教会の有力な構成員にしていく準備と用意
と心づもりが主イエスには見通せていたのでした。そのうえで「平安、汝らにあれ!!」と宣ったので
す。
 ペンテコステ後に、パレスチナ(エルサレムを含む)を離れて「良き訪れを」を宣べ伝えるべく外に向
かったときに、先ずどこに行けばよかったのでしょうか。帝国の主要な中心都市には、離散ユダヤ人
の大きな居留地があり、さらに宣教者にはふつう彼らの離散ユダヤ人コミュニティの少なくとも数カ所
に家族又は友人の知り合いがいたと考えられています。
 パウロを典型的な例とすると、宣教者は彼ら自身がヘレニズム化したユダヤ人だったのです。

 加えて、ヘレニズム化したユダヤ人こそキリスト教を受け入れるのに最も備えができたグルー
プだったと言えるのでした。
彼らのユダヤ教的側面とヘレニズム化した側面の両方にキリスト教がい
かにアピールしたかは明白でした。キリスト教は、ユダヤ教的基盤のうえに明らかにヘレニズム的な部
分を載せたのです。だだし、キリスト教は強い帰依を促す極めて活発なあの世「ゼロ・ポイント・フ
ィールド」への信仰を生んだのでした。

こうした理由から、初期の宣教者はヘレニズム化したユダヤ人を対象にして急速に拡張した、と社
会学の立場から著者は述べております。

 ここで纏めれば、主イエスの羊飼いとしての使命は、イエスの死と復活を信じてこの世を旅する一人
一人に必要な助けを惜しまない。それが己の命を死が危機にさらすことになるとしても辞さなかった。

 さらに、将来への希望の見通しを鮮明にして、弟子の群れを導いておられるのです。霊性の深く高い
人、または質の高い「かむさび人」が未来を描き得たと言われますが、祈祷・祈願・冥想・沈思する修
練の中で、神の領域=「ゼロ・ポイント・フィールド」にコンタクトが出来ることによってそれらが見えてく
ると言われております。

復活された主イエスは肉体の制約を超越したΑアルファでありΩオメガとして、まさに神の領域=「
ゼロ・ポイント・フィールド」からの視座によって、弟子集団のゆく先々の備えを見通した上で、「平安、
汝らにあれ!!」
と宣われたのでした。

 教会と教職集団が模範とする行動パターンは何処から来るかと言えば、我らが主であり、師であるイ
エスから受けたものでございました。その第1は、「わたしは良い羊飼いである。」と宣言された主イ
エスのお言葉とその生き方から受けるのです。

主イエスは最後まで、「良い羊飼いは羊の為に命を捨てる。」とのお言葉どおりに、実践されて、
十字架を担って、ゴルゴダの刑場へと進まれたのでした。

条件や状況が変わっても、羊飼いの役割を放棄なさることはございませんでした。主イエスを見捨て
て逃げ、恐れて隠れている弟子たちの真ん中に現れて、「平和があるように」と告げられたのでした。
そのうえで聖霊を吹き込んで、派遣の使命を与えられました。

 徹底して、ご自分の羊を助け、励まし、霊の力をお与えになられました。
 十字架上で息絶えた、二日後に、復活したその日の夕刻には、「良い羊飼」として、ご自分を弟子た
ちに顕されたのでした。

さらに、私どもがこの世の命が絶えて、死後の世に逝く時にも、その道行きを導き、主イエスがお備
えくださった住む場へと導いてくださるのです。そして一緒にいてくださるのです。

その主イエスを模範にして、教会を支え、教会の内と外の羊にとって、良い羊飼いとして、仕え・良き
訪れの宣教者として、生き続けるとは、どのような姿勢であり行動・実践をすることなのでしょうか。

 主イエスを「わが牧者」と受け留めつつ、自分はまだまだ、その「良い羊飼い」からは程遠い牧者
であるとイエスに告白し、赦しを乞いながら、み足の跡を歩んでゆきたいと願っております。アーメン。

10年ほど前に、友人が翻訳した書籍の「謹呈」を受けました。
本日は、その書籍から、一部を紹介しながら、説教原稿に纏めております。

ロドニ・スターク著 秋田信子訳 「キリスト教とローマ帝国」小さなメシア運動が帝国に広がっ
た理由―   
新教出版社 Pp306 2014101日一刷り発行


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