2024年  5月 12日  主の昇天(白)

      聖書 :  使徒言行録          1章 1節~11節
            詩篇               47編
            エフェソの信徒への手紙   1章 15節~23節
            ルカよる福音書        24章 44節~53節

      説教 : 『 キリストの昇天 』
                   信徒のための説教手引き 信徒代読

      教会讃美歌 :  112、 308、 277、 450

今日はイエス・キリストの昇天を記念する日曜日です。十字架に死んで三日目に復活されたイエス・キリス
トは、それから40日間弟子達に、神の国について教えられた、と聖書に書かれています。 そして、よみがえっ
てから40日目に天に昇られました。全世界に、罪の赦しの福音を伝えるようにと命じてから、弟子達の見てい
る前で天に昇ってゆかれたのです。このように、イエス・キリストが昇天された、ということはイエス・キリストが父な
る神のおられるところ、永遠の天の御国に行かれた、ということです。 イエス・キリストが昇られた
「天」 とは、い
ったいどこのことでしょうか。

現在、毎日のニュースを賑わしているロシアで、旧ソビエトという国がなくなった時に、それまでソビエトの英雄
だったレーニンの銅像がクレーンで取り除かれました。でも人類はじめての宇宙飛行士となったガガーリン少佐の
銅像はいまでもモスクワに残っています。そのガガーリンが宇宙に出た時に、「地球は青かった。」
と言って有名
になったのですが、同時に彼は、「宇宙には神はいなかった。」
とも言ったとされています。きっと神が天におられ
る、ということを聞いていたので、そう言ったのだと思います。でも今日、イエス・キリストが天に昇られた、という、
その天はどこかの場所ということではありません。「天」
という言葉は人間をはるかに超えた神聖な世界を意味
しています。確かにイエス・キリストは実際に弟子達の見ている前で天に昇られました。しかし、その姿はやがて
雲に包まれて見えなくなってしまったのです。 この雲は神様の臨在のしるしです。雲が特別にあらわれると、そ
の中に神様がおられることのしるしとなるのです。 ですからイエス・キリストが雲に包まれてそのお姿が見えなくな
ったということは、イエス・キリストが聖なる神様の次元に戻られたということです。イエス様がこのように天に昇られ
たのはイエス様おひとりのためではありませんでした。イエス・キリストはわたしたちを愛してくださり、わたしたちの
ために天から下り、わたしたちの罪のために苦しみと死を引き受けてくださり、そして復活して天に昇られました。
それによってわたしたちに神の祝福の道が開かれ、天の門が開かれたのです。弟子達が最後に見たイエス・キリ
ストの姿は弟子達を祝福しておられる姿です。イエス・キリストは弟子達を祝福し、祝福したまま天に昇られま
した。わたしたちはこの地上にある限りは、不完全で罪と汚れをもっています。自分の弱さや罪に苦しみます。
でもイエス・キリストを信じる人が天を見上げるとき、そこには今も十字架の傷痕のある手を広げてわたしたちを
祝福しておられるイエス・キリストがおられます。わたしたちはどんな時でもこの主を仰ぎ見ることが許されている
のです。地上ではつまずきや失敗があるでしょう。でも天からは変わることのない祝福が注がれているのです。で
すからわたしたちはすべてのことについて気落ちしないで、いつもこのキリストを見上げて喜びと感謝をもって生き
ることができます。イエス・キリストが天に昇られた、ということのもう一つの意味は、イエス・キリストがこの世にある
すべての力、位(くらい)、権威の上に立つ支配者となられた、ということです。 マタイ福音書には、イエス様の
昇天のことは書いて無いのですが、そのかわりに
「わたしは地においても一切の権威を授かっている。」 と語っ
ています。イエス・キリストは天という永遠の世界におられ、歴史を支配しておられる方でもあるのです。この地
上でイエス・キリストに従って生きることには、困難や苦しみ、闘いがあります。ですから、このキリストの支配に従
うことが一番安全で確かな道なのです。

以前、名古屋で中学生の恐喝事件がありました。同級生を脅した中学生たちも、また他の人から脅され
て恐喝を働いたようです。もし彼らが本当の力をもつ、このイエス・キリストを知っていて、このキリストに従うことが
できたら、人を苦しめることはなかったでしょう。また、もし自分の働いている会社が悪いことをするとき、会社の
力が一番だと思っている人は、イエス・キリストに従うことはできません。それで自分も巻き込まれて悪いことをし
てしまいます。その人にとって会社が神様のようなものだからです。私たちがこの地上に生きるとき、いろんな力、
支配がわたしたちを動かし、従わせようとします。でもわたしたちは天におられるイエス・キリストの力と支配を信
じているのです。わたしたちは一番強い本当の支配者を知らなければなりません。

第二次世界大戦の時のことですが、ルーテル教会の牧師で渡辺潔という人がいました。この人は戦時中、
香港の捕虜収容所でイギリス軍捕虜の通訳として働いていました。ところが、日本は捕虜の人権を守るという
ジュネーブ条約に加盟していなかったので、捕虜を大事に扱いませんでした。病気にかかっても十分な手当を
受けられないで死んで行く捕虜が香港にもたくさんいました。それで、渡辺牧師は軍に内緒で薬を捕虜に渡し
たのです。 その結果、大勢の捕虜が命を救われたのです。戦後になって、もとイギリス軍の捕虜たちは渡辺
牧師を訪ねて、涙を流して感謝したということです。戦争が終わって行われた軍事裁判で、戦争で敵を殺した
、という理由で裁かれた人はいませんでした。しかし、人道に反することをした、ということで多くの人が裁かれた
のです。ことに捕虜収容所の人が多く処刑されました。あの時代の人々にとって、一番強い力は日本の軍隊
の力だったのでしょう。でも渡辺牧師にとって、もっと強い力は、イエス・キリストの力だったのです。だから軍隊の
考えよりも
「あなたの敵を愛しなさい。」 というキリストの言葉に従ったのです。

この世の力は目に見えるものだけではありません。わたしたちの知恵や力に勝る、強い悪の霊的な力がわた
したちを脅かしています。 でもイエス・キリストは天から聖霊を送ってくださり、罪の力から守ってくださいます。イ
エス・キリストの昇天を見た弟子達は、大喜びでエルサレムへ帰り、絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえ
ていた、と書かれています。彼らが帰って行ったエルサレムは、イエス・キリストが十字架につけられたところです。
ですから、このエルサレムでは、弟子達に対する敵意がありました。でも弟子達はそのエルサレムの中心である
神殿で、喜びをもっておおやけに神をたたえていたのです。キリストの弟子達は家に閉じこもって周りの人々を
恐れていた、聖霊を受けてからはじめて勇気を与えられた、と考える人もいますが、本当はイエス・キリストの復
活と昇天によって弟子達は喜びと勇気を与えられていたのです。

わたしたちも、昇天されたイエス・キリストを見上げて喜びと勇気をもって生きていきたいと思います。

お祈りいたします。

神様。地上を歩んでいるわたしたちは自分の罪や弱さのために失敗し、また傷つくことがあります。 でもそ
んな時、天で祝福しておられるイエス・キリストを見上げさせてください。またいろんな力がわたしたちを恐れさせ
る時、すべての力に勝って強い力で支配されている主イエス・キリストを仰がせてください。イエス・キリストの御名
によって祈ります。アーメン

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