2024年  5月 26日  三位一体(白)

      聖書 :  イザヤ書            6章 1節~8節
            詩篇              29編
            ローマの信徒への手紙   8章 12節~17節
            ヨハネによる福音書     3章 1節~17節

      説教 : 『 霊によって生まれる 』
                  信徒のための説教手引き 信徒代読

      教会讃美歌 :  132、 131、 285、 406

ニコデモという人がいました。ニコデモは「ファリサイ派」に属する人であったと言われています。ファリサイ派と言
いますと、イエスがいつも名指しで手厳しく批判しているグループです。しかしここを見ますと、ファリサイ派の中に
も立派な人がいたようです。またニコデモは「ユダヤ人の議員」でした。これは「ユダヤ人最高議会の議員」のこと
で、当時70人しかいませんでした。その一人ですから、社会的な地位も高く、知識も教養もあり、人々からも
尊敬されていたと思います。

そのニコデモが、「夜」こっそりとイエスのもとへ訪れてきました。なぜ「夜」だったかと言いますと、社会的な地位
も高く一目をはばかったのでしょう。

ニコデモは、イエスがカナの婚礼の席で水をぶどう酒に変えられた奇跡について聞いたり、また神殿で商人た
ちを追い出されたことなどを知っていたのでしょう。そこで、イエスに興味を持ち、イエスがどんな人物か知りたくて
尋ねてきたと思われます。

ニコデモは、イエスに「先生」と呼び掛けます。普段律法学者たちが「先生」と呼ばれていました。そこでニコデ
モは、イエスを新進の律法学者と考えていたのでしょうか。しかし、それ以上の気持ちも感じていたに違いありま
せん。

そこで、イエスに対して「わたしどもは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神がとも
におられるのでなければ、あなたのなさっていたようなしるしを、だれも行うことはできないからです」と、最大の賛
辞をしました。

しかし、イエスはそのニコデモに意表を突かれることを語られました。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれ
なければ、神の国を見ることはできない」、「神の国を見る」というのは、5節の「神の国に入る」と同じ意味を持
っている言葉です。ユダヤ人であればだれでも、「神の国に入りたい」と願っていました。ですから、イエスはユダヤ
人にとって最も関心のある問題をニコデモに話されました。しかし、ニコデモはイエスの言葉を正しく理解すること
ができませんでした。

それで「年をとった者が、どうして、母の胎内に入って生まれることができるでしょうか」と答えました。確かに、
人はもう一度母の胎内に入って生まれ変わることはできません。そんなことは不可能です。

いかぶるニコデモに、イエスはこう話されました。「だれでも水と霊によって生まれなければ、神の国に入ること
はできない」。つまりイエスは、母の胎内にもう一度入って肉体的に生まれ変わることではなく、「水と霊によって
生まれ変わる」ことをお話になったのです。

母の胎内から肉体をもって生まれることが第一の誕生なら、人はだれでも第二の誕生をしなければならない
ことを教えられたのです。それは「肉から生まれたものは肉である」と言われているように、母の胎内から生まれた
第一の誕生は「肉」のままであって、そのままでは「神の国に入る」ことはできないのです。

「神の国に入る」ためには、もう一度「水と霊によって新しく生まれ」なければなりません。「水」とは、洗礼の「
水」のことであり、「霊」とは聖霊のことであります。洗礼と聖霊によって、人は初めて霊的な誕生をすることがで
きるのです。

ではどうして、水と霊が人を新たに生まれ変わらせることができるのでしょうか。イエスは、その聖霊の働きを「
風」にたとえられました。「風」という言葉は「霊」と同じ言葉です。イエスは「風は思いのままに吹く。あなたはそ
の音を聞いても、それがどこから来て、どこに行くかを知らない」と語られました。

風は、いつもどこかで吹いています。私たちはその風の音を聞くことができますが、しかし風そのものを見ること
はできません。私たちは、木の枝や葉が揺れたり、また雲が流れたりするのを見て、風がそこにあることが分かり
ます。しかし、風そのものの実体は、目で確かめることはできません。

聖霊も同じです。聖霊も私たちがここにある、あそこにあると言えるようなものではありません。「目に見えない
ものは存在しない」という考え方があります。それは人間の目を絶対視する危険な考え方です。空には多くの
星がありますが、人間の目に見える星だけが存在するのではありません。人間の目に見えない星の方が、はる
かに多いのです。また、小さい微生物も人間の目に見えませんが、無数に存在します。

聖霊も目に見えませんが、確かに存在しています。では、その存在をどこで確かめることができるのかといいま
すと、人が「新しく生まれる」という事実の中で確かめることができるのです。「水と霊から生まれる者がある」という
ことの中に、聖霊が働いていることを信じることができます。

風の存在とその働きを、木の枝や葉が揺れたり、雲が流れたり、また音を聞いたりして確かめることができる
ように、教会でイエスを信じて洗礼を受け、救われる人があることの中に、聖霊の存在とその働きを確かめること
ができるのです。その聖霊は風が思いのままに吹くように、自由に働くのだと教えられました。

しかしニコデモは、それでもまだイエスの言葉を理解することができませんでした。そこでイエスは、「あなたはイ
スラエルの教師でありながら、こんなことが分からないのか。はっきり言っておく。わたしたちの知っていることを語り
、見たことを話しているのに、あなたがたはわたしたちの証しを受け入れない。わたしが地上のことを話しても信
じないとすれば、天上のことを話したところで、どうして信じるだろう」と言われました。

風の存在とその働きという地上のことを話しながら、イエスは天上のことである聖霊のことを話されました。風
の存在とその働きを見て、霊の存在とその働きを信じることができなければ、だれも「水と霊によって生まれる」と
いう、神の働きを信じることはできません。

今日は、「三位一体主日」です。人が新しく生まれる時、そこには父なる神と、子なる神であるキリストと、み
霊なる神である聖霊が働いてくださっているからです。これらは三つがバラバラの「三人の神」ではなく、父と子と
聖霊が一体となって、私たちに臨んでくださり、働いてくださって、罪深い私たちを「新しく生まれ変わらせて」くだ
さいました。肉から生まれた私たちを霊から生まれさせてくださいました。

今日登場したニコデモは、表立ってはイエスのまわりには登場してきません。しかしヨハネによる福音書19
38
節以下によりますと、イエスの死体を葬るために、没薬と沈香(じんこう)を混ぜた物を持って来て、イエスの
埋葬に立ち会ったと記されています。かつては「夜」イエスを尋ねたニコデモは、ここでは人目をはばからず、ユダ
ヤ人の目も恐れず、イエスの埋葬に立ち会いました。

このニコデモの変化の中に、父と子と聖霊の神がはたらかれていることを信じることができます。また、ニコデモ
の勇気ある行為の中に、彼自身が「新しく生まれる者」となるために、三位一体の神が働いていることをみるこ
とができます。

<祈り>
 父なる神様。イエス・キリストは、ニコデモに、「だれでも水と霊によって生まれなければ、神の国に入ることはで
きない」と言われました。水と霊によって、私たちを新しく生まれ変わらせてくださったあなたの恵みを感謝いたし
ます。どうか私たちに清い霊を注ぎ、私たちを神の国に導いてください。
 あなたと聖霊と共にただひとりの神であり、永遠に生きて治められるみ子、主イエス・キリストによって祈ります。
アーメン

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