2024年  7月 7日  聖霊降臨後第7主日(緑)

      聖書 :  エゼキエル書         2章 1節~5節
            詩篇               123編
            コリントの信徒への手紙Ⅱ  12章 2節~10節
            マルコによる福音書      6章 1節~13節

      説教 : 『 人の子よ、自分の足で立て 』
                             木下海龍牧師

      教会讃美歌 :  318、 285、 372、 470

予言者は自分の足でしっかりと立っていなければならない。

さもないと、それは口寄せ または、憑依(狐付き)の類になって終えるからである。口寄せ・憑依には、そ
れとしての役割があります。しかしながら、国の行方を示して、動かし、国と世界情勢に関わる働きには到らな
いものです。

預言者は神からの啓示を明確に受け取りつつ、自分自身が預言者の責務と志を強固に抱いて、神のみ
心に沿った生き方を推し進める存在でなければならないのです。

その意味で、主イエスは、神のみ心を示され、受け入れながら、御自身もまた神のみ心に従う十字架の道
へと自らも選んで進まれたのでした。

当時のユダや社会の指導者層の意図に妥協して、十字架への道から逃れることも出来たのですが、主イエ
スが決意した道は「『父よ、わたしが飲まないかぎりこの杯が過ぎ去らないのでしたら、あなたの御心が行
われますように。』
と三度目も同じ言葉で祈られた。」マタイ26:42

主イエスが選ばれたその生き方は、まさに「預言者」としての生き方でございました。

預言者とは、為政者に対峙して発言を行い、民衆を神へと向かう悔い改めを迫る存在でございました。

指導者層の自己保存的で、市民から高く評価されることばかりを期待した生き方にこだわっていました。主
イエスは祭司・律法学者らの自己保存優先性に、痛烈に批判を浴びせました。

マタ23:23 律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。薄荷、いのんど、茴
香の十分の一は献げるが、律法の中で最も重要な正義、慈悲、誠実はないがしろにしているからだ。
これこそ行うべきことである。もとより、十分の一の献げ物もないがしろにしてはならないが。」

マタ 23:25 律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。杯や皿の外側はき
れいにするが、内側は強欲と放縦で満ちているからだ

マタ23:27 律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。白く塗った墓に似て
いるからだ。外側は美しく見えるが、内側は死者の骨やあらゆる汚れで満ちている。

マタ 23:28 このようにあなたたちも、外側は人に正しいように見えながら、内側は偽善と不法で満
ちている。

イエスの神の国宣教の意義

     マタイ10:12「その家に入ったら、『平和があるように』と挨拶しなさい。
     宣教者自身も神の支配への信頼を態度で表さねばならない。彼らの知らせるメッセージが信
頼に足る知らせであることを身をもって証しするために、パンも袋もお金も持たずに宣教に出た。

     人びとに驚きを与える。「『 安息日になったので、イエスは会堂で教え始められた。多くの
人々はそれを聞いて、驚いて言った。『この人は、このようなことをどこから得たのだろう。この人が
授かった知恵と、その手で行われるこのような奇跡はいったい何か。』」

主イエスは旧知の人々の中でメッセージを端的に語ることを躊躇しませんでした。

     イエスは自分の足で立つために、自分自身の家族や人間関係、既得権、それまでの
居心地の良さからの決別を辞さなかったのです。

3:31 イエスの母と兄弟たちが来て外に立ち、人をやってイエスを呼ばせた。」

「しかし、イエスはその人にお答えになった。「わたしの母とはだれか。わたしの兄弟とはだれか。」
  そして、弟子たちの方を指して言われた。「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる
。 だれでも、わたしの天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、また母である。」 マタイ
12:46-50

ルカ「さて、イエスのところに母と兄弟たちが来たが、群衆のために近づくことができなかった。

そこでイエスに、「母上と御兄弟たちが、お会いしたいと外に立っておられます」との知らせがあった。 
するとイエスは、「わたしの母、わたしの兄弟とは、神の言葉を聞いて行う人たちのことである」とお答え
になった。 (ルカ8:19~21

パウロのフィリピの手紙 「わたしは、既に完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕ら
えようと努めているのです。自分がキリスト・イエスに捕らえられているからです。

 3:13 兄弟たち、わたし自身は既に捕らえたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろの
ものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、

 3:14 神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひ
たすら走ることです。(3:12-14

私は80代から目指していた90歳になったのですが、完成には今だに遠く及ばず、未熟なままである と
…痛感せざるをえません。ただ自分なりに、置かれた場所で、最大の努力をしているばかりです。私は未だに、
ズーット道半ばにいて、前に向かって進んでいるだけです。それでも・・・・!!

主イエスは私共のために、十字架と復活によって、メシアの使命を完全に成し遂げられました。

われわれは、主イエスのまことを受け取って、誠実に、前に向かって霊と理性と身体の全てをもって、歩み
続ける他はございません。主イエスのご加護がいつも其の処には働いているのです。アーメン。

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