旧約聖書を正典の一つに加えているルーテル教会ですので、旧約のイスラエルとその歴史には親近
感を持っている者としても、正直なところ、強い嫌悪感を禁じ得ません。
本日の聖書を見てみましょう。
マタ 2:1 イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星
術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、
2:2 言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは
東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」
2:3 これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。
この聖書個所で、嬰児イエスの誕生はすでに、民族性を超えた、宇宙的な出来事であることが示唆さ
れております。複数の天文学者たちが、星の運行を読み解いて、その予測の結果を確かめるために、
遠路を旅したのです。ただ一人の思い込みではなくて複数の天文学者たちによって観測された天体現
象であったのです。彼らの科学的知見と世界観に則って天体が示す真実の意味を求めて、探求してい
る姿勢が読み取れます。
他方、ヘロデ王は熾烈な親族間の争いと政治的な策謀によって、手にした王の特権でありましたので、
「新たに誕生した王」の情報に不安になったのです。周りの高官たちも新しい王政の成立によって自分
たちの身分が脅かされることを恐れました。
総督のピラトも、真理についての関心はあったはずなのですが、政治的な治安の安定を最優先に選ん
だのでした。
ヨハ18:36 イエスはお答えになった。「わたしの国は、この世には属していない。もし、わたしの
国がこの世に属していれば、わたしがユダヤ人に引き渡されないように、部下が戦ったことだろ
う。しかし、実際、わたしの国はこの世には属していない。」
イエスが宣べ伝えた国とは、民族と民族が、国家と国家とが利害関係によって対立する「この世
に属する国の王ではないのだ・・・・覇権に寄らず、真理によって人々が生きて行く世界の王であ
るのだ」と語るのですが、ピラトは「真理とは何か」(18:38)と一瞥しただけであったのです。
ピラトにはただ群衆の暴動を避けるためと、治安を平穏に維持するためには、一人の犠牲者
があって当然だと考えたのでしょう。最終的には、死刑判決の権限を持っていた彼がイエスを十
字架刑に引き渡したのでした。
結局のところ、ヘロデ王も総督ピラトも、その取り巻きの高官たちと群衆も 嬰児イエスの真の神聖
と地上に誕生した意味は全く理解できませんでした。しかしながら、
旧ユダヤ教社会とは全く関係のなかった東方の天文学者たちには、その真の意味を理解し、宇宙を
支配し保護する神の子としてひれ伏して礼拝し自分の大事な品物を捧げて惜しまなかったのでした。
嬰児イエスの存在の神秘性と人間をその根源から慈しむ神の思いに打たれたのでした。そして、今こ
こで出会っている事の不思議さと神秘性は尊い命の出来事であると受け取って、自分が生きて行く国
に帰還したのでした。
私共は様々な違いを抱え、喜怒哀楽に振り回されて日々をおくっておりますが、一人一人に全能者
である神の慈しみの御心が、東方の天文学者と貧しい羊飼いの喜びを通して、私どものところにも
嬰児イエスが与えられたことをしみじみと感動的に伝えられました。
人生の終わりの旅路にある私どもではありますが、与えられた2025年が託された嬰児を己の内で大
切に育みながら、皆さん方と一緒に歩んでまいたいと願っております。
イエスは宣いました。「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」と アーメン