豊漫34号 97.11

編集後記

 本号(34号)から季刊になり、安心してしまったのか、今井英夫編集長が八月二十二日肝臓癌のため他界いたしました。

 治療のため入退院を繰り返してはいたのですが、その度に何事もなかったかのように戻って来たものですから、安心しておりました。今度の入院のときもいつもの事と思っていたのに誠に残念です。

 今井と私は二十九年前に、Tという人を同時に好きになりました(私の方が少し早い三角関係というのでしょうか)。

 その浮気者のTが、もう一人恋人を作ろうとした事があり、そのとき二人で阻止しようとしました。結果は失敗して二人とも捨てられるはめになったのですが。

 その頃の今井は、全学連でゲバ棒を持って走り回っていた名残があり、精悍な容貌としなやかな身体を持っておりました(晩年の今井からは考えられないでしょうが)。

「この世界では、なかなか本当の友達は出来ない」と良く言われますが、お互い忸怩たる思いを持ちながら、友人として付き合って貰いました。

 何の取り柄もない私に比べて、才色兼備、頭脳明晰、品行方正(でもないか)の今井は、この業界に入って、水を得た魚の如く実力を発揮し始めました。

 本誌6号(87年6月)から25号(94年9月)まで、20回に渡って連載された「人間発見的感傷旅日記」は茶屋壮一の名前で発表されて居りましたが、実は今井が書いたものです。私共男の性の喜びや悲しみ、又人間性の追求を全国に旅して書いたもので、我々仲間の胸にせまる秀文です。

 53歳で逝ってしまうには惜しい文章家であり、まだまだ書かせたかったし、書いて欲しかったと思います。

 ご冥福を祈ります。

 さて、私こと中野は才能もなく、編集の経験もなく(あちらの経験は沢山ある)、ずぶの素人でありながら、図々しく豊漫作りに参加する事になりました。せめて津田の足手まといにならなければ良いがと思いつつ、猫の手も借りたい状況を考えての事です。よろしくお願い申し上げます。 (中野)
                                               
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