故今井英夫様への追悼文 
          (「豊漫」97年11月 第34号)
   
          不倒翁 甚平 

 十月に入ったばかりなのに、朝から小雨が降っています。じっと耳を澄ましますと何故か、深い悲しみがこみ上げて参ります。あなたがお亡くなりになられて丁度四十日が過ぎました。きっと黄泉の国でも今日は同じような雨が降っているような気がします。その小雨の音を聞きながらあなたは、一体どのようなことをお考えでしょうか。

 それにしても小雨の降る日は、何故人間をこれほど人恋しくするのでしょう。貴方と知りあってから十四年という年月は、私の一生のなかで最も密度の濃い時期でした。それなのにあなたは自分の体調を秘して、突然、お亡くなりになった。とても残念に思います。

 そんな二人が一度だけスナックの椅子に腰掛けたまま、心のなかのもやもやを吐きだすように喋ったことがありました。知りあってから四、五年が経った早春の夜でした。私が六十三歳で、あなたはやっと四十二歳。二人ともまだ非常に若くて元気でした。

 スナックでの気持ち良い適度な酩酊。それはこの世界の最高に贅沢な時間ですが、そんな時間が何時までも続けばよいと思いながら、私はあなたに馬鹿なことを訊ねました。

「最近、巷では死者の散骨が流行っていますが、今井さんはこれをどう考えますか」

 あなたは即座に私の意を飲み込み、カップを両手で包みこみ答えました。

「不倒翁さんはきっと、そうすることをお嫌いだと思いますが、私は散骨に大賛成です」

 私はあなたのその言葉を聞いて、こんな話題を出したことを後悔しました。暫く沈黙が続いたのですが、あなたはグラスを体の正面に持ち、祈るような恰好で言いました。

「不倒翁さんには不倒翁さんの人生がありますが、私には私の人生があるのです。だから死んだ後なんて、土に埋められようが海に撒かれようが、私は一向にかまいません」

 あなたは何時もと全く違った声と気力で、はっきりとそう言いました。それで散骨の話はそれ以上に進めなくなりました。私はその話を締めくくるつもりで言ったのです。

「私は死後も孫の成長を見たいし、肉親と語りあいたい。私もそうしてきましたから」

 するとあなたは別の話題に変えました。しかしそれはやはり死に関するものでした。

「私の周囲を見ますと、五十三歳くらいから上の男たちが、まるで死に急ぐように死ぬのです。それも立派な男から順に死ぬので、後には馬鹿の男だけが生き残ります」

 さらにあなたは少し興奮して言いました。その夜、あなたは非常に能弁でした。

「私もどうせ長くは生きられない気がしますが、どうにもならないことを男がつべこべ言うのは愚痴です。愚痴は嫌です。しかし私は普通の男に比べると大きなハンデを背負っています。だからもっと強く生きねば落伍してしまいます。頑張りますよ」

 十四、五年間の付き合いのうち、二人がこれほど胸襟を開いて議論したことはありませんでした。そしてあなたは僅か五十三歳で、私に黙って亡くなりました。それはあなたが予言した通りの結末でした。あなたは信念の人でした。男が愚痴ることの醜さを殊更に嫌う正統派の男でした。だからあなたはきっと黄泉の国でも、強く生きているような気がします。

 後九日経てばあなたの四十九日法要の日が参ります。あなたは正式に黄泉の国に旅立ちます。私はその日笑ってあなたをお見送りしなければと思いながら、たぶん一日中泣き明かすことになりそうです。私も既に老齢、近い将来あなたの暮らす黄泉の国に参ります。そのときこそ四方山話を笑って話し合えたらと思えば、また涙が溢れます。

 最後になりますが今井さん、素直な気持ちで仏様に抱かれ安らかにお眠りください。そして時にはあなたの楽しい夢でも見させてください。さようなら。