冬のエトランジェ 4
勝手に進められていた奉公まがいの会社の内定を無視して
俺は自分で就職を決めた。
俺ももう子供じゃない、銘柄も権力も元から興味などない。
この家を、この町を出よう。
あの夜、俺達は結ばれた。
解き放たれた互いの愛は堰を切ったように溢れ、
強く抱きしめ、唇を重ねるうちにリカの顔からはいつしか戸惑いの影も薄れ、
細い身体から伝わるリカの温もりが俺の心を満たしていった。
溶けて混ざり合ってしまうような感覚が全身に広がっていった。
愛しいリカ。
背中に廻されたその細い腕、滑るような肌、少女とおとなとの境目のその身体は
きつく抱くと壊れてしまいそうなほどはかなく清い美しさだった。
全身で俺を受け入れようとする姿がいじらしくて
流す涙には暖かささえ感じられて、また強く抱きしめてしまう。
薄闇に佇むマリアは、俺達のその行為を静かに見つめていた。
ユライデユレル恋心ニ 時折雪ガ降リ注グ
リカの頬に柔らかく安堵の色が戻る。
ずっと二人でいられるのであれば、どんな運命にだって逆らってもいいと思った。
俺についてきてくれるか?という言葉に、リカは小さく頷いた。
リカと二人でここを出て暮らす、リカと一緒になろうと思っている、と
有無を言わさぬ勢いで告げた俺に、目を背けたままの親父がポツリと言った。
『・・・お前の本当の父親は俺じゃない、俺の父だ。
お前とリカは・・・兄妹なんだぞ。』
覚悟していた以上の現実は、受け止めるには重過ぎた運命だった。
俺もリカと同じ、生まれてくるはずのない子供だったなんて。
今までの俺という存在をすべて否定されたような気がした。
病弱な母はあまり俺の前に姿を見せたことはなかった。
優しく抱かれた記憶もあまりない。
父親・・・と、呼んでいた俺の兄に、ひどくおびえたように遠慮がちに接していた意味が
ようやく分かった。
祖父、いや、俺の本当の父親の威厳の下で、俺や母へ対する周りの態度にも納得がいった。
同じじゃないか・・・。
闇にしまわれた出生、隠し続けられてきた血、
あまりにもその真実は惨めでやるせなくて、自分がまるで道化師のように思えた。
家に逆らうようにリカをかばう俺の偽善ぶった態度は、周りからみたらさぞ面白いものだっただろう。
馬鹿みたいだ・・・。
だけどもう、これでなにも迷うことはなくなった。
この家では俺も不必要な存在だったということだ。
そして、リカだけが俺を必要としているということだ。
リカだけが 俺の真実・・・。
「悠河さんっ!
大旦那さまとお父様がっ」
突然の死だった。
長雨で地盤が緩んでいた山道での転落事故。
俺とリカがこの家を出ようとしていた矢先の事だった。
向こうの奥座敷では二人の通夜の準備が慌しく進められていて
家の中は雑然とした空気が漂っていた。
「悠河さん・・・
ただひとりここに母を置いて、出て行くなどとはおっしゃらないで下さいね・・・」
久しぶりに見た母は、ひどく痩せた姿で弱弱しく縋るように俺にそう言った。
この人も被害者なんだ・・・
二人が居なくなった今、誰からも守ってもらえないことになるのだろう。
今まで心の片隅に僅かにあった母への愛が胸を刺す。
母の目はすでに焦点があっていないようにうつろで、俺の袖を掴む腕には震えるほど力が込められていた。
「お願い、ここにいてちょうだい・・・
大和家を継いでゆくのはもうあなたしかいないのよ・・・」
「そんなもの、もう俺には関係ないんだよ」
「すぐにでも白羽さんのお嬢さんと籍をいれなければ・・・
おじいさまもお父様もいないこの家は崩れてしまうわ・・・」
「こんなときにそんな形だけの許婚の話なんか持ち出さないでくれ!
俺はここを出てリカと一緒になるんだ!」
「許されないわそんなこと・・・」
「もう俺達にかまわないでくれ!」
「その娘じゃ駄目なのよ・・・」
「!」
「だって」
「言うな!」
「あなたたちは兄妹なんですもの・・・」
振り上げた俺の腕にしがみついて静止しようとしていたリカが
青ざめた表情で俺に尋ねた。
「それ・・・ほんとうなの・・・? 悠河・・・」
言葉が出なかった。
「ふふ・・・ふふふ・・・
ここにいる誰も、幸せになんてなれないのよ・・・
だから、悠河さん、行かないで・・・お母さんと・・・
ふふ・・・ここにいましょうね・・・ふ・・・ふふ・・・」
気がふれたような母の低い笑いが耳に響く。
俺にはこの人を救えない・・・。
震えるリカの身体を抱えるようにして、俺達は家を出た。
行かないでと叫ぶ母の声を振り切って港へと向かった。
内地に着いたのはもう日が沈んだ頃だった。
乗り込んだ夜行列車は北へと延びる線路をなぞるようにして夜の闇の中を走り続けた。
俺達は一言も口をきかないまま、辿りついた初めての土地で朝を迎えた。