冬のエトランジェ 5
目の前に広がる景色は一面雪に覆われていた。
俺達は慣れない雪道に足をとられながら、ゆっくりと歩き出した。
「宿、探さないとな・・・」
サクサクと雪を割る音、きんと冷えた空気が身体の芯まで響くけれど
俺の中でまだくすぶっているやるせない感情を冷やしてはくれなかった。
リカはずっとうつむいたままで俺の手に引かれていた。
三軒目の宿屋もやんわりと断られた。家出か何かと間違われているのだろうか。
背を向けて、また歩き始める。
サクサクと雪を割る音がついてくる。
また雪が降り出した。
朝からずっと歩き通しで、そろそろ足の感覚がなくなってきた。
どこか休める場所はないかと、吹雪き出した視界の先に目を凝らし探す。
遠くから見えた十字架に吸い寄せられるようにしてこの建物の前まで来た。
「それは大変でしたね。
狭いところですが、どうぞゆっくりと休んで行きなさい」
なにか用があったら向かいの家に私達居ますから、と
この教会の管理をまかされているという老夫婦が、その中にある小さな部屋を貸してくれた。
リカの容姿が、信仰心の厚いと聴いたこの土地の人に受け入れられたのだろうか。
ここまで来るのにずいぶんと歩いてきた。やっとの安息を得られたような気がした。
一息ついてゆっくりと室内を見渡してみる。
部屋のすぐ隣が、小さな祭壇のある礼拝堂になっていた。
古めかしいけれど大事に使われていると感じられる物が並ぶ。
暗くなりつつある窓の外に目をやる。雪ばかりで海こそ見えないけれど、
どことなく俺達が育ったあの町に似た感じがした。
懐かしいというにはまだそう遠くない記憶に、また胸が焼け付くような感覚に襲われる。
ずっと見てきたあの島の礼拝堂にあったものと同じ微笑をたたえたマリア像。
その前に跪き、手を組み瞳を閉じるリカ。
今更、何を祈るのか?
目を逸らし、苛立ちを隠しながらストーブに火を入れた。
降る雪は激しくなるばかりで、夜が迫る頃にはもう外へは出られない程に荒れた天気となった。
明日は動けるだろうか。
目指す土地まではまだだいぶ遠い。
身体が重い。なんだか疲れてしまった。なにもかもに。
鈍い頭痛を感じる。その頭の隅に母の声がまだこびりついているようで、吐き気を覚えた。
誰も彼も身勝手で、残され家を飛び出した自分もその一人なのだと思うと苦い笑いしか浮かばない。
眉間に手をやり溜息をつく俺の顔を少し離れた場所からリカが心配そうに覗きこむ。
吐き捨てられた母の言葉に、まだショックを引きずっているようなその暗い顔が見ていて辛くなる。
風の音に、寒そうに肩をぢぢめたリカに手を伸ばす。
「おいで、リカ」
恐々差し出されたリカの手を取る。そのまま引き寄せ包み込むような仕草でリカの肩を抱いた。
と、同時に部屋の電気が消え、リカが小さな悲鳴をあげて俺にしがみついた。
停電か・・・?雪の影響だろうか。
目を凝らして窓に張り付いて見たけれど外の明かりは確認出来ない。
足元にあるストーブの炎が、暗闇の中での俺達の存在をかろうじて浮き上がらせていた。
押し付けるようにリカがその身を俺の身体に寄せる。服を掴む細い指に力が込められる。
とっさに強く抱いた腕をふっと緩めた。その手で子供をあやすように軽く背中を撫でてから、
リカの身体をゆっくりと離した。
手探りのようにして輪郭をなぞり、リカの頬に顔を寄せた。
鼻先が触れたとき、リカの身体がぴくんと反応して固まった。
「・・・まだ・・・悠河の傍にいても・・・いいの・・・?」
声の震えが空気に乗って伝わる。
「わたしと悠河は・・・きょうだい・・・なんでしょう・・・?」
消せない真実。許されない想い。
「でも、わたし・・・悠河が・・・好きなの・・・」
けれども求め、惹かれ合う心。
「ずっと、一緒に・・・いたい・・・の・・・」
離したくない、たとえ罪と分かっていても。
「悠河が・・・好きなの・・・っ」
リカを愛している。
言葉をさえぎるように俺はリカに口づけた。
深イ闇ニ浮カブマリア 罪ヲ凍ラス
アナタハ肩ゴシニ降リタ運命ヲ揺ラス
許サレルナド 望ムハズモ無イ
ウタカタノ愛 ドウカ泣カナイデ
叶わぬ想いだと、わかっていました。
通じてはならない愛だということも、気付いていました。
だけど、わたしは欲しかったのです。
あなたの愛を欲しかったのです。
それが、たとえどんな愛のかたちでもかまわなかった。
ただ、あなたの温もりを感じていたかった
ただ、あなたの傍に居させて欲しかった
あなただけのわたしでありたいと
すっと、祈っていたのです。
けれども
わたしとあなたが結ばれてはならないと知ってしまったときに
わたしはとても大きな絶望を感じました。
いつのまにか多くの望みを抱いていたのです。
恥ずかしくて、苦しくて、このままこの身が消えてなくなってしまえばいいのにと思いました。
それでもあなたは、わたしの手をひいてくれたのです。
どんなに深い罪だとわかっていても、
この手を
離したくないと思ったのです。