Side-k
曇りかけたガラスにため息が重なる。
そのままコツンと頭をつけて窓の外に目を凝らす。
街灯が濡れた木々の葉を照らしだしている。もう人影もない歩道。
ああ、やっぱり雨になったなあ。
2月にしては何だか空気が温かったもんなあ、と
ぼんやりと思いながらかすかに聞こえる雨音に耳を傾けている。
まるで春の雨みたい・・・。
一人だけになったロッカールーム
細長い窓に魂抜けたような自分の姿が映っている。
「きゃっ」
フッ と予告なしに部屋の電気が消えたので、びっくりして声を出してしまった。
「ごめんごめん!
誰かいたのー?」
中央ロッカーの向こうから声がした。
「あ、タニじゃん」
「もー、リカさん
驚かさないで下さいよー」
ガラにもなく可愛い声を聴かれてしまって顔が熱くなる。
「入り口からみえないんだもんこの位置はー。
何?一人?まだ帰らないの?」
「いえ、今から帰るところです
ちょっと外、見てたんで」
「なんかあるの?」
「雨、降ってるなーって」
「え!?ホント?」
そう言って近付いて来たリカさんがあたしの肩ごしに窓の外を見る。
肩に置かれた手、背中にあたる胸と
あたしの顔のすぐ横に寄せられたリカさんの顔に、心拍数が上がる。
「なんかそんな気がしたのよねー。
タニ、迎えあるの?送ってあげようか?」
「え?いいんですか?」
「・・・敬語、いらないって」
チュッと小さな音があたしの頬に乗った。
実はリカさん待ってたんだ
なんて言えないけど。
楽屋口から外に出ると、少し温かい春の雨の匂い。
リカさんの後ろを早足で歩く。
リカさんの車に乗るのは初めてだ。
雨足は弱まることなく、ワイパーは忙しく動いている。
聴いたことのある洋楽が流れる車内、バックミラーに映るリカさんの顔。
遠くを見つめる目、ちょっと真剣。だけど物憂気。
やっぱ好きだな、あたし、リカさんが。
なんて思いながら見てた。
このまま
ずっと雨の中リカさんとドライブ出来たら
「いいのに」
「えっ?」
「あっ 何でもないですっ」
「変なタニ」
クスっと笑うリカさんにまた見とれる。
雨音が外の音を消してくれるから
こんなふうに狭い空間にいると、この世界に二人だけみたいな気分になれる。
「今の季節の雨って、私好きだな」
「え?」
「優しい感じがするから」
「優しい?」
「うん、降るたびに暖かくなるじゃない?春の雨って。
だから好き」
好きといわれた雨になりたいと一瞬、思った。
「そう感じられたら、雨でもヤダなって思わないでしょ」
最近私、雨女だから、と
ミラーの中のリカさんがあたしに気付いて、悪戯っぽい目でふふっと微笑んだ。
ドキッとしてさりげなく視線を窓の外に移したけど、ずっと見てたのバレちゃったかな。
「見とれる程、イイオンナ?」
リカさんの声が嬉しそう。
「・・・はい」
素直に言ってみる。
「・・・ばぁか
もう、嬉しいじゃないの・・・」
振っておいて照れてる。
「タニってほんと、可愛いヤツ」
そんな事言われて今度はあたしが照れる。
お互いにくすぐったい気分。
「あ、この辺でいいです。ありがとうございました」
「いーよ、危ないからマンションまで送るよ」
「ここから歩いた方が、車で迂回するより早いんです」
「思いっきりアッシー君じゃない、ここでハイ、サヨナラだったら」
「えっ!あ、あのっでもっ」
「ジョーダンよ。気ぃ使ってくれてアリガト」
くすくす笑うリカさんを横目におずおずと荷物を抱え込む。
助手席のドアを開けて外に出たら、雨はさっきよりも小降りになっていた。
「お疲れさまでした。ありがとうございましたっ」
「あ、タニっ」
助手席のシートに手をついてリカさんがあたしを呼んだ。
「何か、壁、ぶちあたってるみたいだけど、
アンタならやれるから」
あっ・・・
「は、はい!」
「ちゃんと見てんだからね」
ダメだ、泣きそう
「間違いとかって、ないから」
「はい・・・っ」
返事するだけで必死。
「あ、ホラ!傘!忘れてる」
折り畳み傘を足下に見つけたリカさんがドアに近い位置にあるそれを
うん、と手を伸ばして取ろうとしていたので
あわててドアを開けて傘を取らなきゃと身をかがめた。
目のふちでこらえていた涙がちょっとだけこぼれたのを気付かないフリして
顔を少し上げたら、やっぱりリカさんと目が合って
まあるい大きなその瞳に、吸い込まれるよに
ううん、
傘を持ったままリカさんの手があたしの肩を引き寄せるから
そのまま身をまかせてしまった。
こつんと触れたおでこと
そっと触れた唇が
すごく優しくて・・・
「お疲れさん、また明日ね」
車が見えなくなっても
暖かい雨と
リカさんの残り香があたしを包んでいた。
そんな
何年か前の淡い思い出を蘇らせていた。
まだ2月下旬の、ある雨の夜。
東京も雨だろうか・・・
リカさんもこの雨を見ているだろうか・・・
切ないというのとはちょっと違う
ほのかに暖かい想い。