「チカちゃんって・・・・・・・ほんと、カワイイ」

 

 

       その一瞬後、ワタシの髪にキスをするコムさんと

       これ以上ないってくらい目を丸く見開いたワタシとが

       稽古場の壁鏡に映っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

       もう誰も残ってないだろう稽古場に、忘れ物をしたのに気付いて戻ってきたのが

       ほんの5分前のこと。

       ドアを開け教室の電気をつけたら

       「わっ!」

       「あ、チカちゃん・・・」

       「びっくりしたー・・・

       どうしたんですかっ、こんな真っ暗な中・・・」

       「・・・ちょっと、考え事。

        してたらいつのまにかぼーっとしてた・・・みたい」

       照れたようにニコっと小さい笑顔をつくってコムさんが答えた。

       「チカちゃんこそ、何?

        まだお稽古するの?」

       「あ、いえその・・・忘れ物しちゃって」

       思い出したかのように教室の奥へ進み、数時間前の稽古中に座っていた場所あたりの床を見回す。

       長椅子の脚の後ろに転がるボールペンを見つけて取り上げた。

       ちらっと視線を上げると、コムさんと目が合った。なんとなーく気まずい空気が漂う中、

       無理矢理笑みを浮かべボールペンを振りながら訳の分からない言い訳を口走る。

       「これじゃないと、どーもダメで・・・」

       くすっっと笑うコムさん、それを見て何故かほっとしてるワタシ。

       「あのー・・・」

       「チカちゃんさあ」

       「あ、ハイっ」

       「こないだのオスカルの役作りの話してたとき、

        私が“もっと可愛く、もっと可愛く“って言ってたの、すっごく真剣な顔で聞いてた」

 

 

       オスカル役をコムさんから引き継ぐカタチになった全国ツアーのベルばら。

       ベルばらイヤーの締めくくり公演。それにプラスされるように押し付けられた責任とか立場とか、

       いろんなプレッシャーが頭の中でぐるぐる渦巻いて、こないだやっとその悩みの頂点を越えて

       まずはとにかく役作りを!と、迷惑承知でしつこくコムさんに指導つけてもらった。

       そのときのことをコムさんが今、とても懐かしむような顔で話し出した。

 

       「すっごく可愛いなって思った」

       「は?」

       「チカちゃんが」

       「あ、あのー それって、ワタシがじゃなくて

        ワタシのオスカルが、ってことですよね?」

       「ううん。チカちゃんが」

       しどろもどろになって聞きなおすワタシに、そう平然と言い切ってまたニコっと笑う。

       「あ、あ、あ、あのですねーコムさん・・・」

       「迷いながらもこだわり貫いて頑張ってるチカちゃんが、すごいなーって」

       吸い込まれそうなコムさんの瞳に見とれていたら

       「だけどちょっと不器用なとこなんか、可愛いなーって」

       いつのまにかすぐ傍でその瞳がワタシを覗き込んでた。

       「いつも思ってたんだよ」

       伸ばされた手、まるで犬にヨシヨシするようにワタシの頭を優しく撫でる。

 

       顔が火照る音が聞こえそうなくらい頬がアツイ。

       こんなふうに優しく励まされることなんてなかった。

       憧れのコムさんにそんなふうに言ってもらえるなんて夢にも思ってなかった。

       きっと涙目。恥ずかしいのと嬉しいのがぐるぐるで、何か言ったら涙溢れそうで、

       言葉詰まらせて戸惑っていたら、悪戯気味にコムさんの瞳が動いた。

 

 

       「チカちゃんって・・・・・・・ほんと、カワイイ」

 

 

       ふざけて交わすキスとは違う

       コムさんの唇に触れられた頭の先から、暖かいものが全身に染み込んでいくような気がした。

       両腕がワタシの肩を包み、その腕に力が込められ、ぎゅっと抱きしめられる。

       「・・・・一緒に頑張ろうね」

       耳元でコムさんが小さく囁いた。

 

       コムさんの両手がゆっくりと離れても、あっという間に起きた出来事に頭がついていかず

       呆然と壁鏡に映る自分の姿から目を離せないでいるワタシに気付いて、

       鏡越しにウインクが飛んできた。

 

       「明日も稽古早いよっ」

       ポンっと軽く肩を叩かれ、ようやく我にかえる。

       声に振り返ると、稽古場のドアの前でひらひらと手を振ってるコムさん。

 

       「好きだよ。チカちゃん」

 

       最上級の妖しげな微笑を残してドアが閉まる。





       憧れの人は、悪戯な天使。

       いつもワタシをその微笑みで戸惑わせる。


       でもいま 再度心に決めた。

       ワタシのすべてをかけて

       最後の日まで あの人の笑顔を守ろうと 決めた。








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