2005年11月18日〜26日

 日程表
 11月 18日 夕刻 セントレア出発
          台北、香港経由

     19日 メルボルン着
          市内観光 
          夕刻、タスマニア、ロンセストン着

     20日 グレイドルマウンテン国立公園へ
         ハイキング4時間   資料館  宿泊はグレイドルマウンテン・ロッジ

     21日 午後 再びロンセストンへ  昼食は素晴らしい景観のVILARETT   カタラクト渓谷     

     22日 ロスの街へ立ち寄り、フレシネ国立公園へ  ワイングラスベイ展望台までハイキング
         潮吹き岩、ハネムーンベイ 

         ビジュノー着 夜、フェアリーペンギン保護区へ

     23日 リッチモンド 昼食は野外で誕生日パーティー
         ホバーットのタスマニア博物館  ブルーニー島へフェリーで  宿泊はMORELLA
     
     24日 ケイプ・ブルーニー・ライトハウス ザ・ネックビーチ アドベンチャー・ベイ 昼食はペンギンカフェ
         ホバートに戻り マウントネルソン展望台  サラマンカプレイス

     25日 タスマニアからシドニーへ 
         昼食はホリデーインでバイキング ブルーマウンテンズ国立公園 ジャミソン渓谷
         夕食は チャイナタウン 

     26日 香港、台北経由 セントレア名古屋空港    

          

           序

 

2002年の5月、ピースボート104日間、地球一周の船旅をした。

4人部屋の同室となった神戸在住の由紀子さんとは 下船後も交流が続いている。

彼女は、ただいま地球3周目の最中だ。

3月末には 神戸港へ着岸の予定である。

その彼女に「貴方が帰ってくるまでに タスマニアの旅行記を完成しておくね!」と

言って昨年12月に送りだした。

ところがこの通り、未だ白紙・・・・自慢したがりの私としては、これから2週間で

遠ざかった記憶と向き合うことにした。

 

タスマニア行きは、チックトラベルという旅行社から舞い込んだ

一枚の葉書から始まった。


ワイングラスベイの美しい曲線を見て、地球の裏側には こんなに美しい景色が存在するのか・・・・と思っていた。



1年がかりで 暖めていく中で
 前年の中国「黄龍の旅」でお世話になった

野鳥の写真家である志賀ご夫妻
のみ参加表明。しかし、その志賀さんのご努力などもあって、

12名のグループとなって行った。

その中に、前記の由紀ちゃんも誘いに応じてくれていた。

 

主人の叔母が一年間の闘病の末、昨年11月11日に他界した。胃がんであることは

本人に知らせないでいた。

枕元で、「叔母さん、頑張って!!」と叫びながら、 ・・・・もし、お葬式と重なって

しまったら・・・・もしも出発直前であったら・・・“言い出しっぺ”の私がキャンセルと

なると、添乗員も省いたので 皆さんに迷惑がかかってしまう・・・などと 

一ヶ月ほどは心中、穏やかではなかった。

 

病院に寝泊り、通夜、葬式とめまぐるしい一週間の間、

院内感染か過労か、熱が高くなり、胃がねじれるような激痛となった。

めったに病院にかからない私であるが、さすがに辛くて、

「2日後にタスマニアへ行きますが・・・」というと、医師は目を丸くして、診察をした。

膵炎を疑った医師は血液検査を特別急便で送ってくれた。

 

11月18日

疑いが晴れてセントレア、名古屋空港へ着いた時は、節々が痛く、立っているのが

やっと・・・・

志賀さんからのご紹介の方など、面識のない方もあり11名が挨拶をしあった。

{由紀ちゃんは関空から乗って、香港で合流することになっていた}






タスマニア旅日記

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