11月 18日 夕刻 セントレア出発
台北、香港経由
19日 メルボルン着
市内観光
夕刻、タスマニア、ロンセストン着
20日 グレイドルマウンテン国立公園へ
ハイキング4時間 資料館 宿泊はグレイドルマウンテン・ロッジ
21日 午後 再びロンセストンへ 昼食は素晴らしい景観のVILARETT カタラクト渓谷
序
2002年の5月、ピースボート104日間、地球一周の船旅をした。
4人部屋の同室となった神戸在住の由紀子さんとは 下船後も交流が続いている。
彼女は、ただいま地球3周目の最中だ。
3月末には 神戸港へ着岸の予定である。
その彼女に「貴方が帰ってくるまでに タスマニアの旅行記を完成しておくね!」と
言って昨年12月に送りだした。
ところがこの通り、未だ白紙・・・・自慢したがりの私としては、これから2週間で
遠ざかった記憶と向き合うことにした。
タスマニア行きは、チックトラベルという旅行社から舞い込んだ
一枚の葉書から始まった。
ワイングラスベイの美しい曲線を見て、地球の裏側には こんなに美しい景色が存在するのか・・・・と思っていた。
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1年がかりで 暖めていく中で、 前年の中国「黄龍の旅」でお世話になった
野鳥の写真家である志賀ご夫妻のみ参加表明。しかし、その志賀さんのご努力などもあって、
12名のグループとなって行った。
その中に、前記の由紀ちゃんも誘いに応じてくれていた。
主人の叔母が一年間の闘病の末、昨年11月11日に他界した。胃がんであることは
本人に知らせないでいた。
枕元で、「叔母さん、頑張って!!」と叫びながら、 ・・・・もし、お葬式と重なって
しまったら・・・・もしも出発直前であったら・・・“言い出しっぺ”の私がキャンセルと
なると、添乗員も省いたので 皆さんに迷惑がかかってしまう・・・などと
一ヶ月ほどは心中、穏やかではなかった。
病院に寝泊り、通夜、葬式とめまぐるしい一週間の間、
院内感染か過労か、熱が高くなり、胃がねじれるような激痛となった。
めったに病院にかからない私であるが、さすがに辛くて、
「2日後にタスマニアへ行きますが・・・」というと、医師は目を丸くして、診察をした。
膵炎を疑った医師は血液検査を特別急便で送ってくれた。
11月18日
疑いが晴れてセントレア、名古屋空港へ着いた時は、節々が痛く、立っているのが
やっと・・・・
志賀さんからのご紹介の方など、面識のない方もあり11名が挨拶をしあった。
タスマニア旅日記