南アフリカ・チュニジア&フランス・パリ日記
 

2月8日 名古屋 成田 フランス経由 チュニジア
   9日    チュニスからローマ水道 ケロアン
  10日 ケロアン グランモスク シティー・サハブ廟 スペイトラ
  11日 ドズール タメルザ渓谷 ショト・エル・ジェリド  
12日 ドウーズ サハラ砂漠 マトマタ 
  13日 スファックス エル・ジェム メディナ 
  14日 スース グラン・モスク ナブール ハマメット
  15日 チュニス カルタゴ バルドー博物館 
  16日 パリへ  ルーブル美術館
  17日 ノートルダム寺院 セントチャペル ぱれっと本店 ベロニカさん訪問
  18日 ヴェルサイユ宮殿 シャルトル オペラ座
  19日 帰国

はじめに・・・・・

 

H16年8月14日(土)

一週間ほど 口内炎に悩まされていた。

歯の具合も悪く、行きつけの歯医者さんに出かけた。

私の口の中を覗いた先生は、「何がそんなにストレスなんだね!」と言った。

きづかないうちに、現代人誰もがかかえているストレス、

先生に言われて 口内炎は「ストレス」からだったかも・・・と

再認識。

この十年ほど、三ヶ月から半年に一度ぐらいの割合で 

外国にほんの一週間でも出かけると、気持ちの切り替えができて、

私のストレス解消法となっていた。

ところが、2月に出かけたチュニジア・パリ以降、

外国への“逃亡”はしていない。

町内会長と区の会計とダブルの役で 16年度は雁字搦めとなっている。

2月のチュニジア行きを主人に許可してもらったとき、

「この一年はどこへも行かない!」と約束していた。

・・・なので、“逃亡”は 諦めていたのだが、私の体は知っていた。

もう、半年が過ぎてしまったことを・・・・

諸々の事情で “脱走”はできないけれど、半年前のチュニジア・パリ旅行を

振り返って せめて慰めにしようとパソコンに向かっている。

一年前にカムチャッカ半島に出かけ、「カムチャッカ旅日記」を書いた。

 埃を被って パソコンの私の旅日記コーナーがある。

そろそろ、替えなければ・・・と思っていたところだった。

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JACAのシニア協力隊としてチュニジアに二年間 夫婦で赴任している友人、

 山本眞智さんを「訪ねてみない?彼女が赴任している間に・・・」と

言いだした成田さんと 昨年暮からスケジュールの
調整を始めた。

眞智さんは 「来るなら1,2月がベストよ。」と言っていた。

接骨院を経営する成田さんと、喫茶店をしている私は、 

旅行社は 阪神航空サービスを選び、 出発は2月と決めた。

眞智さんは赴任以来、 メールで現地の様子を知らせてくれていた。

 

3年前にNGOのピースボートで地球を一回りしたおり、

隣国のリビアには入国しており、サハラ砂漠のガダーミスまで出かけていた。

その上、ピースボートのクルーが虫垂炎になり、

急きょ、チュニジア沖で救護の船に病人を運ぶことになり、

チュニジアの海岸に突き出た山並みと紺碧の空を見ながら、

「いつか、この国に上陸することがあるのかしら・・・」

などと、停泊している間 考えていたのを思い出す。

 

 

ツアーが決定できる最小人数を確保するために 3年前のピースボートの

仲間を誘った。

さいたまの辻畑さん{スジャータさんの愛称}と、京都のヒロコチャンが

 二つ返事で参加を表明、東京に住む 娘の冴に声をかけると、

「サハラ砂漠?行ってみたい・・・」

 

シンセサイザーで作曲の仕事をしている娘は 曲のイメージ作りに、

モンゴルのゴビ砂漠にも出かけていた。・・・・というわけで、

チュニジア10日間、2月8日出発、 16名のツアーとなった。

 

首都チュニスでの滞在が初めと終わりにあり 自由時間もとれて、

山本眞智さんと合う時間を作れそうだった。

ところが、出発も近づいた頃、イラク戦争で雲息の怪しさを案じてか

旅行社がトルコ経由をパリ経由に変更してきた。

ヒロコチャンから電話が入った。

「せっかくエールフランスを使うんだから パリで降りようよ!」

私は 10日間抜けるだけでもたいへんなのに、パリで延泊なんて

とんでもない!と即座に断った。

「安ちゃん(私のこと)がだめならスジャータさんを誘ってみる、

彼女もだめだったら 私一人でも降りる!」

ヒロコチャンはスジャータさんとパリで降りることになり、

オペラ座のチケットまで 手配を始めた。

 

刻々と出発が迫ってきた一週間前になって、

「二人はパリで降りるんだって!」と主人に言うと、

「一緒に降りればいいじゃないか」「ウッソー!いいの?」

というわけで、急いで手続き、三人だけ帰りにパリで離脱し 

冴は帰るとライヴの予定があり 成田さんと東京までツアーの

予定通り帰国することになった。

 

添乗員を付けないで 現地ガイドだけで旅行をして アクシデントを

楽しむ私は、 今 振り返ってみると 添乗員任せで旅した10日間よりも、

三人で離脱したパリの方が 印象深い。・・・・なので、

チュニジアは“快速列車”並に、 メモ程度に書いていきたい。

   ・・・とは言っても、ダラダラと書くのがいつもの私、

我慢して 読んでいただきたい。


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