3月11日付のThe New York Times のサイトで、面白い記事を見つけました。
題して「A Def Ear to the Rules of Grammar」。筆者はClyde Habermanさんです。
「文法のルールに聞く耳持たぬやから」とは?
「わ、私のこと?」と思ってしまったKobantoのような人は、案外多いのではないかと思いますが、ご安心ください、この記事の筆者Habermanさんが言っているのはラッパーのことです。
(「え?らっぱー??・・・」という方のための注:ラッパーというのはラップ・ミュージックの作者や歌手のことです。ラップはヒップホップとも呼ばれ、以下の記事の中に出てくる英語の固有名詞は、そういうラップのグループ名または人名です。)
これはその記事の、「kobantoの、オジサマ語訳・抄訳」です。
(*)の中には、オリジナルの「補足」を入れました。
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最近みんながラップ界の悪口を言っている。一体どうしたというのだろうか?
暴力、女性蔑視、人種差別を賞賛する歌詞などといった、そんな些細な事のためなのだろうか。それとも一部のラッパーたちの、お互いに鉛で風通しをよくしてあげたがるクセのためなのか・・・。
私は一番ヒップホップに「熱中」すべきなのは、文法学者だと思っている。
しかしこれまでのところ、彼らは傍で見ているだけだ。
あのLil' Kim の勝手気ままなアポストロフィーや、50 Cent's の複数形への敵意、恐ろしいまでのスペリングと言ったものに対して、彼らはまだ何ら抗議の声をあげていない。
文法に関する著作のあるT. O'Connerはこう言っている。
「あのテの歌詞は、マトモな人間の神経を逆なでする。
人によっては、あれは聞くものであって読むわけではないから、スペリングや句読点の打ち方の間違いは問題ではないと言うかもしれないが、そんな事はない。ヒップホップの歌詞は目に付くし、そのスペリングや句読点の打ち方は、全くのでたらめとしか言いようのないシロモノだ。」
しかし、言語の保護者を持って任ずるほどの人々は「ラッパーに自粛させろ!」といったセンで、すぐにプロテスト集団を結成するような事はしないものだ。
それどころか、「ラップの歌詞は、文法の観点から見て面白いではないか。」という人もいるのだ。Jesse Sheidlowerなどは「あれはでたらめではないし、そんなにずさんなものでもない。」とまで言っている。(*!!!???)
しかし、子供がまねをしたらどうするのだ。
かの Sheidlower も、「それは大変危険な事だ。」と言っている。しかし同時に彼は、「純粋に言語という側面からだけ考えれば、ラッパーの詩における新奇な試みには見るべきものがある。」とも言っているのだ。(*ほめ過ぎではないか?)
「わざととしか思えないようなスペリングの間違いというものは、今に始まった事ではない。19世紀にはどうだったかを考えてみたまえ。」こう言っているのは語源学者の Barry Popik だ。(*それはそうかもしれないが・・・・・)
そして「Grammar for Smart People」の著者、Barry Tarshis は、「文法の誤りは、ラップにとってたいした問題ではないようだ。」とまで言っている。(*冗談ではないのか?) 「聞く人は言葉の意味を推測することができるし、なによりラップは、言語による表現が全くできない子供たちを励まして、表現させるという効果がある。」と言うのだ。
フム、「台無しにされた文法」程度の事では、だれの目も覚まさせるわけにはいかないらしい。
それならば、今度は最近のラッパー同士の「戦争」に目を向けてみようではないか。これはちょっと目には、プロレスのような面白さがあると言えなくもない。
ほとんどの事件はSoHoのヒップホップ・ステーション、「Hot 97」の周りで起きている。今年の1月には、ここで何人かの「天才」が、不潔な言葉と民族への中傷が至る所に撒き散らされた、アジアの津波の犠牲者を中傷する歌を放送した。
またこのHudson StreetにあるHot 97 は、ラッパー達が相手に風穴を開けたくなった時に、訪れる場所になっている。
先週またしても、やつら同士の銃撃事件があった。 それは、50 Cent と the Game の争いだった・・・・・。
(Kobanto注 : さてここから先が、この記事のハイライト。今まではラップの「革新性」に対して、一定の理解を示していた、あるいは示そうと無理をしていたおじさまが、怒りの噴出を抑えきれなくなるとともに、文章の調子が何だかハードボイルド調になってきています。面白いので、原文を一部ご紹介します。)
You know how temperamental artists can be. That is especially true when they walk around with bullet wounds from old shoot-'em-ups. Fortunately for Mr. Cent, wounded nine times but going strong, some in the rap world don't shoot any better than they spell.
「芸術家」といわれる連中は、とかく興奮しやすいものと相場が決まっているが、特にやつらが昔の銃撃戦の名残を、どてっ腹にかかえてうろつき回っている時はなおさらだ。
9回もキズを受けてだいぶ丈夫になってしまっているらしいCent氏はツイていた。ラップ界の連中は、あのひどいスペリングより、さらに射撃がヘタなようだ。
いちばん最近のハデな撃ち合いはかなり評判が悪く、Hot97が入っているビルの大家が、一部のラッパーの出入り禁止を要求する騒ぎにまでなった。
さすがにプレッシャーを感じたのか、撃ち合いの張本人である50 Cent氏と Game氏は水曜日、二人そろって和解の記者会見を行い、それに対する報道メディアの扱いは、イスラエル・パレスチナ和平会談並み(*もしくはそれ以上)だった。
Mr. Game said he was "almost ashamed" of the latest nastiness. Almost. For his part, Mr. Cent had trouble reading a prepared statement. Maybe it was because the words were spelled right.
その会見でGame氏は、最近の良からぬ行いを「ほとんど恥じてさえいる。」と言った。・・・・「ほとんど」、なのか・・・。
一方の 50 Cent氏の場合、彼は用意された原稿を読み上げるのになぜか非常に苦労していた。
私の推測はこうだ、
その原稿は・・・・・・・・・・正しいスペリングで書かれていたのだ。
いかがでしたか?おじさまも相当腹に据えかねていらっしゃるようですね。
Kobantoのフェイバレットは、「some in the rap world don't shoot any better than they spell.」ですね、なんといっても。
見出し絵の中の英文は、この記事の一部です。翻訳不可能だけどおもしろいダジャレなので、入れてみました。
実はこの記事を書いたご本人が、こういうダジャレを差し挟んだりしながら、「怒りを抑えきれなくなっていくオジサマ」をわざと演出しています。好きだなあ、こういうセンス。
Clyde Habermanさん、名前おぼえておこう。
*後記*
見落としていたダジャレに気がつきました。
「A Def Ear・・・・」の「Def」は、「耳が聞こえない」という意味なら「Deaf」と「a」が入らなければならないのに、わざと「Def」になっています。辞書によれば、これはアメリカのスラングで「かっこいい」という意味なのだそうです。
表題の訳は間違ってはいないのですが、そういう「しかけ」が施されているという事を付け加えなければなりません。
きのう電車の中で気がつきました。これからも翻訳をする時には気をつけなくちゃ。