2004年第3回江ノ島スナイプ選手権(2004年7月10日11日)
3レースが成立し、最後にやって来た30m/sの突風が強烈な印象を残して終わった二日間でした。
1日目の7月10日。
一週間前から「吹く」と予想されていた通りに吹いて、きっちりスコールもあり、
10m/sオーバーの強風と不規則な波・・・。全く天気図通りのコンディションでした。
第一レースは「サイドマークを探せ」で、これはノーレースになりました。
そして実質の第一レースとなった2回目のレースは、「OCSや米印をもらわないようにしよう」を合言葉に、
シモ寄りから出ました。右とも左とも思わずに、ひたすらハイクアウトして走り、1上は良い順位で回りましたが、
上サイドの走りが悪く、どうも波に乗り切れません。どんどん抜かれました。大番頭さんは、
ランチャーのブロックがこの時飛んだのではないかと分析しています。Kobantoも、体重移動がいまひとつでした。
フリーのレグで走らないのは、本当にオモシロクありません。
2回目の上りは左に伸ばし、ミートしそうなスタボー艇がほとんどタックして行ってしまうくらい、
レイラインぎりぎりを走りました。いい感じでひたすらハイクアウトして、ちょっと挽回して2上を回り、
結局このレースは「フリーで抜かれてクローズで取り返す」パターンの繰り返しになりました。
第2レースのポイントは「疲れ」でした。
風は少しだけ落ちましたが、もうかなり長時間ハイクアウトをし続けた後でしたので、フリート全体が
ヘトヘトになっていたと思います。
2回目の上りでは、あきらめたようにヒールさせながら走っているフネを随分見かけました。
河内丸も同様で、Kobantoはハイクアウトしながら、「3レース目、あるのかな?・・オッとブロー!・・ないでしょう?
あ、あったら・・ワッ!波に突っ込みそう!・・どうしよう。・・・帰る時は本部船にセールナンバー言うのかな。」
などと考えていましたが、大番頭さんも同じだったそうです。
タックの時に体が動かず、クリートがはずせなくて、もう少しで沈しそうになった事もありました。
この日は沈しているフネを3杯ぐらい見かけました。スナイプのレースにしては多い方なのではないでしょうか。
陸に上がってから、「今日は3杯ぐらい沈してたね。」などと話題に上ったりしましたが、
翌日の、しかもアフターレースで、その10倍以上が沈する事になるなんて・・・。
7月11日。
ケモノのようにハイクアウトし続けた前日とは打って変わって、休める・・・というか「知的なレース展開を
競う」はずの二日目でした。
午前8時、晴天。ハーバーへ向かっていたKobantoは、江ノ島の後ろにめずらしい形の入道雲を見つけて、
持っていたデジカメでそれを撮影しました。後ろから歩いて来ていた知り合いのスナイパー達に「今さら江ノ島の
写真を撮るなんて」とからかわれながら、四方山話をしてのん気に歩いて行きました。
今から思えば、あの入道雲がその日の天候の予兆だったのかもしれません。
何といっても二日目の主役は「雲」でした。
第3レース(この日の第1レース)は、午前11時過ぎ、青い空と青い海と7m/s前後の南東の風の中で
スタートしました。
河内丸はシモ寄りから出て、諸般の事情でやむなくタックし、そのまま右へ行きました。風は左へ行ったうえ、
走りが悪く、スタボーになって上マークが近づくにつれて、続々とポート艇が前を横切って行きます。
1上を回った時には、後ろからシングルでした。
ところが、失うものが何も無くなった大番頭さんが走りに没頭したせいか、フリーでは昨日より
良く波に乗り、先行集団との距離をかなり縮めました。上サイドの途中で風が東に振れてウィスカーを降ろし、
下マークを回って即タックして、そのまま左へ行きました。
またしてもスタボー艇が寄り付かないくらい伸ばしましたので、2上付近ではオーバーセールになって
しまいましたが、この時はセールに手ごたえがあり、ぐいぐい走る感じがして、順位も上げたようでした。
最後の上りは、右への振れ戻しを読んでいたわけではなく、「タックする理由が無い」というだけでそのまま走り、
良さそうだから伸ばしてみたら右への振れをつかまえてしまった、という成り行きでした。この時フィニッシュ付近で
オーバーセールになってしまったくらい風は西に振れていて、この振れが実はこの日の主役の登場を告げていたのです・・・。
フィニッシュ直後の12時23分(お腹が空いて時計を見たらこの時刻でしたので、よく憶えています。)には、
まだまだ平和な「青い空、青い海」が続いていました。
河内丸チームはおにぎりを食べながら江ノ島方向へ向かい、そばにいたフネの乗組員(なんだか自然と海洋小説
のような言葉使いになってきています。)と、おしゃべりしていましたが、ふと北の空がダークグレーになっている
事に気がつきました。
Kobantoは大番頭さんに、「ワタシは雷が鳴ったらリタイアします。雷だけは練習になりませんから。」
などと話していましたが、その練習にならない雷がゴロゴロと鳴り始め、稲光がピカピカし始めると、いつの間にか
黒い雲が頭上にまで広がって来ていました。
本部船にN旗とH旗が揚がり、40数杯のスナイプは、急いでハーバーへ戻り始めました。
空はほぼ真っ黒で、藤沢市上空あたりにくっきりと太い稲妻が走り、でも南東方向の沖合いには相変わらずの
青い空青い海が見えています。
この時江ノ島の上空に覆いかぶさるように広がった雲は、今まで見たこともないような奇怪な雲でした。
何かを掴み取ろうとする手のような形なのです。長い爪の生えた指のように見えるいく筋もの雲が
上から下へ垂れ下がっていて、恐ろしいけれど美しく、正直言ってかなり興奮してしまいました。
でも空はどんどん暗くなり、北の方から墨色の雲が湧いて来ます。途中でウィスカーを降ろすと、じきに風は
クローズホールドまで振れました。北風になったのです。
「今、北の海面が黒くなったら間に合いませんね。」などと話しながら、間に合うだろうと思っていましたが、
間に合いませんでした。
最初に「来た!」と思った時には、風速15mぐらいだったでしょうか。大西の吹き始めのような感じで、
ここまでだったらレーザーで経験したことのある風でした。北の海面は真っ黒で、白波がくっきりと映えています。
あっという間にその白波があたり一面に広がったかと思うと、未体験のブローがやって来ました。
後から聞いたところによると、瞬間最大で30mを超えていたそうです。
それは、とても空気でできているとは思えないような何かでした。セールにぶつかり、ハルにぶつかり、
本当に「襲いかかって」来たのです。そして、シュルシュルシュルーッという風の音と、
セールがシバーするバタバタバタバタッという音と、リグがぶつかり合う音だけが世界の全てになってしまいました。
とにかくフネを止めてしまわないように、セールを張ってはシバーさせる事を繰り返しながら、河内丸は
少しずつ岸の方へ向かって行きました。
時々雨雲の切れ間から陽が射して、もう少しで嵐が収まりそうな明るさになって来ますが、むしろそういう
時の方が風は強まります。岸から沖へ向かって波が立ち始めました。1m近い高さがあって、角度も急な風波です。
回りでは次々とレース艇がなぎ倒されて、ボトムばかりが海面に浮かんでいます。
ついさっきまでフルハイクで先を走っていたフネも、とうとう倒れてしまいました。
河内丸はスタボーでハーバーに入れる位置までたどり着いて、なんとかタックしましたが、「助かった!」と
思う間もなく、サイドステイのピンが外れている事に気がつきました。すぐにもう一度タックし、そして完沈。
激しくシバーしていたセールのバタバタバタッという音がピタリと止んで、全世界が突然静かになってしまい、
河内丸はボトムを上にして浮かび、大番頭小番頭はその上に乗ってあたりを見回していました。
「もうすぐ収まるから、無理して起こさないでこのまま待っていよう。」という大番頭さんの判断で、
しばらくそのまま浮かんでいることに決めました。
そこにもここにもスナイプのボトムが浮かび、湾内では470がすごい勢いでひっくり返っているのが見えます。
本部船やレスキュー艇が、様子を見に近づいて来て、声をかけてくれました。
この時はまだ「サイドステイのトラブルさえなければ、自力で帰れたかもしれないのに。」と思っていましたが、
後でよく考えてみると、無理矢理セーリングしていたら、マストを折ったりセールを破いたりしたかも知れません。
ハーバーに対してオンショアの強風でしたので、スロープに入る前にセールを降ろさなければならず、
その時にひどいトラブルが起きた可能性もかなり高かったと思います。
大番頭さんは、フネがセーリングできる状態だったら、腰越のブランケに入ってセールを降ろす
つもりだったそうですが、サイドステイがダメになったので「第2希望」の「沈して待つ」を選び、
結局これが最善の対処法でした。
だんだん風が弱まってきて、レスキュー艇が忙しく行き交い、ボートを曳航し始めました。
河内丸は、斉藤愛子さんのレスキュー艇に曳航されて、無事ハーバーに帰ることができました。
斉藤さん、ありがとうございました。
そして運営スタッフの皆様、レスキューの皆様、本当にありがとうございました。
あんなに圧倒的な力を持った自然の中でセーリングしているという事を、絶対に忘れないでいようと思います。
© 2004 Kobanto