「レーザー」という名前の1人乗りヨットのレースに出場するため、「あの」松島に行ってきました。
 大漁節の、芭蕉の、伊達政宗の、仙台市の松島です。
 レースの前日に現地に行って、午後の数時間ちゃーんと観光もして来ましたので、「小番頭旅日記・その2・あの松島」を書いてしまう事にします。
 11月2日木曜日、文化の日の前日、午前10時54分東京発の「はやて」に乗り込みました。
 「えっ?東北新幹線の駅は、大宮の次が仙台?・・・・ということは埼玉の次が宮城・・・・。福島県は・・・いいのかな〜?」・・・・と思うまもなく白川の関を越えてしまいました。(いくら何でも福島県に新幹線の駅がないわけではなく、「はやて」が止まらなかっただけでした。)
 木々の緑に鮮やかな赤や黄色が混ざり始めたのを見て、反射的に「だいぶ空気も冷たくなった」ような気がしましたが、新幹線の車内でしたので、ク−ラーが入ったのだと思います。
 12時37分に仙台着でしたので、今回は駅弁はなし。ちょっと残念です。
 仙台からは優先席を3人分占領して松島へ。(ヨット用品が多くてすごい荷物でしたので、シツレイですけどどっこいしょと・・・・)
 塩釜と松島の間あたりで、電車の窓から絵のように美しい入り江を見ました。鏡のように穏やかな海面に松の生い茂った小島が浮ぶ夢のような景色・・・。ちょうど上空に薄雲がなく、太陽光の角度も良かったようです。絵葉書そのままの海と空と松の色でした。
 さて、これが「国宝・瑞巌寺」の入り口です。大型トラックの通行量が多いのが意外でしたので、わざとこういうタイミングで撮ってみました。
 (地元の学生さんの話によると、大型トラックは主に海産物を運んでいるのだそうです。湘南の大型トラックとは大分雰囲気が違います。134号線を走っているトラックの積荷は建築資材とかクルマとか様々で、特にコレが多いというものはないと思います。)
 ところが、その産業道路を渡って一歩中に入ってみると・・・・・・
 瑞巌寺はこれこの通り、「国宝」の名に恥ない本当に古くて独特の史跡でした。
 山門をくぐると右手の山肌にはたくさんの洞窟が並んでいて、それらの洞窟の壁には石仏や灯籠や卒塔婆のような形のレリーフが彫り付けられています。洞窟は西向きで、前面に杉の巨木の並木(本堂への大参道)があり、夕方になると杉木立を通り抜けた夕陽が、木洩れ日となって苔むした洞窟の壁のそこここをボーっと照らし出します。
 ・・・・・マジカル・ズイガンジ。
 私はこれだけでもすっかり感心してしまったのですが、本当の「国宝・瑞巌寺」はそれら石仏群の向うの大伽藍でした。入場料700円です。「4時15分までに戻ってください」と言われて時計を見ると3時40分。一度は帰りかけましたが、やっぱり「えいっ!」と(言うほどの金額ではありませんが)見る事にしてよかったー!
 本堂正面の部屋の中には、びっしりとゴールドの地にグリーンを多用した屏風絵が張り巡らされていて、正面の「お白州」みたいな庭から見ると、建物のチャコールグレーを背景に、そのゴールドが強烈に目を射るような感じです。「伊達政宗が心血をそそいで作った」という観光パンフレットの言葉が100%納得できます。
 伊達政宗という人は、きっと天才的な美術プロデューサーだったんだろうな〜。
 ただ、昔の人が美的な満足のためだけに大伽藍をつくるはずはないので、「何のために作ったのか」「シブ〜い石仏群と絢爛豪華な屏風の対比は何を表現しているのか」等々はナゾです。(・・・・というか、私が史実を知らないだけです。) 
 それにしてもこの辺り一帯は、石仏と石碑が多いです。雄島(おじま)という島にも渡ってみたのですが、あまりにも夥しい数の石仏と石碑にあ然としてしまいました。
 雄島には座禅堂という1メートル四方のお寺のミニチュアのような建物があって、有名な禅僧が座禅を組んだ場所だということでした。「長時間座り続ける場所なら、そこからの眺めはきっと素晴らしいに違いない」と、その前に立って海のほうを見てみましたが、松の木にさえぎられて特にどうということもない望めです。
 「いい景色を眺めながら座禅を組むヤツがいるわけないだろー」という事に気がつきました。
 自然の美しさを愛でるのも、ボンノーのうちなんでしょうネ。やっぱり観念的で抽象的なんだな〜仏教って・・・・。(あ、あたりまえか・・・・。)殺生を禁じたりしてるけど、「自然を大切に」とか「自然と親しむ」とかいう事とは性質が違う感じです。

 あの石仏とレリーフがずっと北上していって恐山に到る・・・・その途中にイーハートボがある・・・・。「やっぱりいつかは岩手にも行かなければ。」と思いました。

 5時を回ると急に冷え込んで来たので、宿泊先の民宿に戻ることにしました。途中、郵便局に寄って「何か記念切手はありますか?」と聞くと、県花の萩の切手が7枚だけ残っているということでしたのでそれを買い、コンビニで「河北新報」を買い、「旅情」にひたって大満足。だからKobantoの「おみやげ」は、売れ残りの切手と古新聞です。


 翌日から2日間のレースについては、センモン用語満載でないと書けませんので、例によって省略します。その代わりに、「ならでは」の位置から撮った写真を何枚か・・・・・

 やっぱりきれいですね〜、松島。
 レースのレセプションのために全員で泊まった桂島内のペンション「スターボード」で食べた牡蠣は、牡蠣棚から数十メートル運ばれただけでテーブルの上に来てしまうので、「伝説」の通りの美味でした。

 私は「レース遠征ビギナー」ですが、病みつきになりそうな気配です。今回も地元仙台フリートの方々がとても親切にお世話をしてくださって、難しい微風の中で5レースを成立させるという運営手腕を発揮してくださいました。江ノ島とは全然違う風の振れ、変化・・・・、前回の津の海の風と三角波も、めずらしくて面白かったですし、そういう海の性質の違いを体験できるのもレース遠征の醍醐味です。

 人の親切は身に沁みるし、海はやっぱり面白いし、シアワセな3日間でした。
 *参加賞としていただいた特製タンブラーです。
 これでやっと、おみやげらしいおみやげが・・・・
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