防空巡洋艦五十鈴・中山艦
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(1/700自主製作作品・中華民国砲艦・中山艦。1910年、清国政府の依頼で日本にて設計・建造される。その後、中華民国政府に引き渡され“永豊”と命名される。孫文がこの艦に乗り、革命運動を指揮した事から、“中山艦”と改名された。1938年、支那事変の際、日本軍機の攻撃を受け長江中域の武漢にて沈没。1997年に引き上げ後、修復作業を経て現在、武漢にて展示されている。
製作説明・・船体はプラ板を貼り重ねて、カッターナイフ・紙ヤスリで形成した。
写真イメージ・・日本から中国へ向けて回航中の中山艦。
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(タミヤ1/700・防空巡洋艦・五十鈴。長良型軽巡の2番艦として大正12年8月に浦賀造船所で完成。昭和初期、山本五十六も艦長を勤めた。大東亞戦争では南太平洋海戦、第3次ソロモン海戦に参加。昭和19年に防空巡洋艦として改造され、レイテ沖海戦では小沢機動部隊として参加。20年4月、スラバヤ方面にて米潜水艦の雷撃を受け沈没。
製作説明・・タミヤのキットを使用したが、ピットロードの25ミリ単装機銃を取り付け、糸で防弾用ロープも再現した。
写真イメージ・・小沢機動部隊の一艦として作戦行動中の五十鈴。)