千山鳥飛絶    万径人蹤滅   孤舟蓑笠)翁  独釣寒江雪
  柳宋元「江雪」
せんざんとりとぶことたえ    ばんけいじんしょうめっす    こしゅうさりゅうのおう    ひとりつるかんこうのゆき


吾は今宵 吾が竹籬茅舎に游客を迎え 月を肴に酩酊す 興にのりて琴をとり 嗚呼、懐かしき国風の詩 吟ずれば 月ますます冴えわたりて 快酔の夕べここに極まれり
清涼な瀬音の響きに誘われまして 渓水の流れの淵にたたずめば 川の流れの勢いは急なれども 水面に浮かぶ月は流れず ・ ・ ・                     

                                                                                                酒聖堂小松屋快哉亭々主 ・ 梅滴軒 松永 輝久



究極の味は“水”     開高 健

 振りかえって見ると、わたしも世界中のうまい物を食べ、うまい酒を飲んできた。行きたいところへも行った。
見たいところも見てきた。本来なら、もうこの世ともおさらばしていいのだが、まだ書き残しているテーマがひ
とつ、ふたつあるので、いましばらくは死ぬわけにはいかないのである。そう思うから、これもコヤシになると
考えて、モンゴルへ行ったり、カナダへ飛んで行ったりもしているのだが、やはりこれも年のせいでか、昨今は
外国へ出かける直前になると、急に、ハモのしゃぶしゃぶとか、ママカリの酢すしとかが食べたくなったりする
。もはや世界の珍味などというのはどうでもよくて、日本の海の幸、山の幸が恋しいのである。

「だったら、出掛ける前に食べていきましょうよ」と、担当プロデューサーがいったりするが、わたしは申し出
を両手で押しとどめ、「いや、帰ってきてからのお楽しみ〜ってことにしとくよ」と答えることにしている。
釣りという遊びは楽しくもあるが、釣れないときはまたじつに切なく辛いものであって、そういうときに思いを
はせて〜よう、帰ったら瀬戸内へ行って、ハモを食ってやるゾ。と自分にいい聞かせてやるわけである。釣れな
いときの落ち込みに、これほどの特効薬はないのだ。精神のユンケル黄帝液みたいなものなのである。

「でも、先生、だんだん嗜好が淡白になっていって、そのうち究極の味は水だ〜なんてことになりやしませんか
」という奴がいる。

ご明察である。究極の味は水なのだ。わたしにいわせると、もっとも難しい料理は一杯の水である。深い、澄ん
だ、冷たい、まろやかで艶のある、何日たっても思いだすことができ、しかも毎日飲んでも飲み飽きない水〜。
月や火星へ重量物を飛翔させることのできる時代になったところで、選びぬかれた場所の、春さきの渓谷が惜し
みなくおし流してくる一杯の水は、やっはり、人工ではつくりだすことのできないうまさなのである。

しかし、この深い単純に到達するためには、無数の段階と領域を巡暦しなければならないであろう。中国人は辛
、酸、苦、甘、鹹を称して“五味”と呼び、それらを駆使してできあがった料理の性格そのものについては、鮮
、美、淡、清、爽、滑、甘、脆、肥、濃、軟、嫩、などの語を考えだしたが、一杯の水はこれらの語を組合わせ
ても形容しきれない味をもっているのである。



至福の時間   <極上の酒>     中野孝次

 近頃日本酒は実によくなってきて、各地の中小酒造(大酒造はダメ)がいい酒をつくるようになったから酒のみに
はこたえられない。わたしの住む地域に全国のそういう中小酒造の酒ばかりとり扱う酒屋があるので、わたしはその
酒屋から毎回四本ずつあまり注文もせず酒屋のみたてで届けさせているが、これはダメというのはめったにない。ダ
メというのは味に癖があってツンとくるものである。のんで水の如しというのをもってわたしは極上の酒としている
が、ほとんどそがそういう酒になってきたのはありがたいことだ。

 先日知人が元禄創業という九州福岡県の酒を送ってくれたが、これがまたわたしの理想どおりの極上の酒であった。

 酒のみは酒の味にはやかましく、ちょっとでも味が落ちるとすぐソッポを向く。わたしなども何度か苦い目にあっ
ていて、愛していた酒が、その会社が営業方針を変えて大量生産に桶買いなどはじめたために、まるで味が一変し
てのめなくなるなんて目にしばしばあっている。近年も越後の酒にそういうのがあり、とたんにまるでダメになって
しまった。酒は食いものと同じで、つくる人間の志が味を決める。志が落ちればたちまち下品な味になってしまう。

 わたしは酒はその土地の酒をのむのが一番と考えている者で、外国へ行くとその国の酒しかのまない。アイルラン
ドに行けばギネス・ビールと、
eの一つよけいについたアイリッシュ・ウィスキー。メキシコに行けばテキーラ、ドイ
ツではビールとワインという具合に。同じ理由で日本にいるかぎりのむのは日本酒ばかりで、日本の気候風土にはこ
れが一番合うように思う。
だから、のむに値する日本酒があり、毎日のむことができるほどに健康でありさえすれば、
これ以上この世になんの望むことがあろうぞ、という気分なのである。



五斗先生ノ伝(陶淵明・五柳先生伝の系譜をうける。)王籍(558〜644)

 五斗先生と呼ばれた人間がいた。酒のおかげで、この世に生きていたようなものだ。誰かが酒がありますと言えば、
その人の身分に頓着なく、どこへでも出かけ、出かければ必ず酔いつぶれずまで飲み、酔いつぶれると、所かまわず
高いびき。酔いがさめると、性こりもなく起き上がって、また酒を飲む。いちど飲み始めると、五斗は飲まぬと気が
すまぬ。そこで号(よびな)ができたのだ。

 先生はぐずぐず考えることなど、だい嫌い、ろくに口もきかぬ。世の中で言う仁義などはくそくらい。いつのまに
か居なくなり、とんでもない時に、やってくる。まるで天のように動き、地のように静かだった。だからなんの心配
もなかったのだろう。

 先生はこんなことを言った。「世の中のことなんて、そんなに難しいもんやおまへん。〜中略〜 人が通る道など、
どこでも行こうと思えば行けるのに、阮籍は『行き止まりや』と言うては、ワァワァ泣きよった。そんなことをする
より、昏昏黙黙、視ること無く、聴くこと無し、が、なんぼええかわからん。それが聖人の態度と言うもんや」と。
そんなわけで、先生はしたい放題のことをして、どこかへ行ってしまった。



酒と雪と病い    高橋和巳

 中国語に<酒悲>という言葉がある。酒に悲しみをまぎらわそうとし、かえって酒に悲しみを倍加させてしまうと
いう意味にもちいられる。たとえば、中唐の詩人・白居易の詩に、
誰か料(はか)らんや 平生 狂酒の客 如今 
却って 酒悲の人となるを 
と歌われるのがその一例である。

 もちろん中国にかぎらず、人のいるところにはかならず、葛藤と悲哀はあり、酒のあるところにはまたかならず、
忘我と、それに背反する酒の悲しみというものがある。ドストエフスキーの『罪と罰』に、ソーニャが売春によって
得た金をまきあげた父のマルメラードフが、居酒屋でとぐろをまきながら、「わしは人よりも二倍くるしみたいから
こそ酒をのむんだ」呟く場面がある。これなどは魯迅の「孔乙己」(クンイチ)のいたましい結末とならんで、救い
がたい酒悲のかたちの双璧というべきところだろう。

印度のソーマ神にせよ、ギリシャのバッカスにせよ、酒に関する神格は、ほんらい、悪魔的な躍動や歓喜、あるい
はぼ忘憂を意味するものである。その酒精が、逆に悲哀の伴侶となるのは、おおむね人生のなかばをすごした中年期
より以後のことだろうが、社会が複雑化すれば、知らずともよい感情に年わかくしてなずむということにもなる。

 そして酒精のもつ魔性は、この<酒精>の感情がわかりだすころに、加速的に膨張する。一宵の宴席に酔いしれ、
床の間を便所とまちがえたり、高歌放吟、その酒量の多さをほこったりしているあいだは、まだ無邪気な階段なので
あって、まかりまちがえても、翌日、保護所の門をでるころには正常に復している。いやこうした<狂酒>の段階で
は、酒はむしろ誇大妄想的にはたらくものであって、有名な「酒徳の頌」をかいた晋の劉伶などはかっこうの例であ
って、人がおとずれて裸でねていた彼の失礼さを難詰すると、「宇宙はわしのふんどしのようなものだ。のこのこと
わしのふんどしの中にはいってくるな」と言ったという。

 だが<狂酒>から<酒悲>の段階に移行すると、こんどは自分が無限に小さな存在にかんじられはじめる。つまり
酒によって己れみずからを知ってしまうのだ。そして一人でなめるように酒をのみ、茫然と虚空に目をそそいで、な
にかひとり言をしたりするようになりだすと、もう軽犯罪法ではいかんともしがたい状態になっているとみてよろ
しい。「いいお酒ですな」と人に感心されるようなのみかたが、あんがい静かな絶望の表現であったりする。

 酒歴はそうとうに古いせいもあって、幸か不幸か、私はさいきん<酒悲>の段階にたっしつつあったようだった。
特定のいらだちの原因があるわけでもなく、また現在の自分の状態がはなはだしく不満であるというわけでもない。
にもかかわらず、二六時中、胸中に木枯しが吹き、眼前の一杯の酒によってそのうそ寒さを忘れさせようとする。し
かもかえって滲みとおるような寂寞感のなかに埋没してしまうのである。医学的にいえば、一種のノイローゼなのだ
ろうが、芳醇な酒というものが一役かっているだけに、酒の味がそうであるようにその悲哀の味もまた複雑なのだ。
ざんねんなが
らそれは、芸術家きどりの軽薄男子が複雑そうにみえて、しばしば内容は空虚であるという状態にはな
はだにている。

 ひとたびその状態にたちいると、しかし無限に悪循環するのであって、自分ひとりの意思力ではその循環をたちき
れないから困るのである。なにか突発的な事故がおこるか、でなければなかば強制的に自分をべつな環境にほうりこ
んでしまうかでもせぬかぎり、容易にはぬけだせない。

「旅は愚者の天国」という言葉もあって、ものぐさな私も、人里をはなれ、砂丘か岩礁にでもたって、二、三日海に
面してたてば・・・・と考え、旅行にでたものである。

 ちょうどはげしく雪がふっていた。列車が表日本と裏日本の分水嶺をこえるころから、窓外はいちめんの雪景色で
あった。鉛色にながれる川をのこして、山も田地も人家も銀一色におおわれていた。

 旅とはいっても、いささか環境のちがった温泉地でゆったりと風呂にはいり、その近辺を散策するという程度にす
ぎなかった。しかしその雪景色は気分転換にはそうとうに有効だったようである。旅館の窓にまじかにせまってくる
丘陵の松にも雪はつもっていて、微風がふくとぱらぱらと散る。除雪されなげこまれた雪の塊りが、川をゆっくりと
ながれていく。自動車のチェーン・タイヤの跡のうえに、浴槽にかよう湯治客の下駄のあとが重なって、道路を色ど
っている。その温泉場にちかい海岸はまた、陸の雪と海の波とのみごとな対照だった。

 旅にもまたそれが長びいて漂泊の状態になれば、べつの憂愁というものがあるのだろうけれども、わずかな時間の
余裕と嚢中のとぼしさが、かえって旅の効果をあげたようだった。

 しかし本当に<酒悲>の状態からぬけだせたのは、旅さきでふれた雪のしろさや風の音のせいではなかった。ひと
ときの静養が、おさえられていた肉体の衰弱にかえって拍車をかけ、帰ってきてから一ヶ月ばかり私は病床にふせね
ばならなかったのである。手術をともなったその一ヶ月間の苦痛が、私をいやおうなしに酒からきりはなした。

 私は苦痛いがいのいっさいのことに関心をうしない、旅の記憶もすぐにうすれて、苦痛に顔をゆがめながら病院に
かよった。

 そしていま私は、あの<酒悲>のほかに、すぐ手のとどくところに一升瓶があり、あの特有の色彩を懐手してなが
めることができながら、それをのむことを禁止されているという悲哀のかたちのあることに気づかねばならなかった
のである。酒ずきの人がのみたいと思いつつ、のむことを肉体的にゆるされない状態を、中国語でなんというのかを
私はしらない。



至福の時間  <三合半で出来上り>  中野孝次
        

 わたしは今年(1995年)七十になったが、別にいばるわけでもないけれども、いまだに一日とて酒を欠かした
ことがないのが自慢である。大体三日で一升という割合で、二時間ぐらいかけてゆっくりとのみ、三合半のむとちょ
うどいい按配が出来上って、そのまま寝てしまう。この晩のひとときがわたしにとっての至福の時間なのである。

 どうしてこう毎日のんで倦きないのかと思うが、酔いが次第に深まってゆくあのみちたりた幸福感は酒をのまぬ人
には伝えることができない。最初の一合はどこへ入ったかはわからぬほどだが、これがつまり下地づくりで、酒の肴
などをつまみながら満遍なくからだ全体に酒をゆきわたらせる。二合目になると酒の入ったことがわかる。ほかほか
とからだが熱くなりだし、気分が高揚しだしてきたのが感じられる。が、まだ中途半端で、こんなとき急に用事がで
きたりして酒を中断するともうその日はダメだ。あとでのみ直すときはあの次第に上り坂に酔いの深まってゆく幸福
感は得られず、酒が荒っぽくなる。

 三合目が一番大事なときで、早すぎてもいけないし、のろすぎてもいけない。わたしは酒量が正確にわかるように
錫の正一合入りの徳利を使っていて、お燗はむろん自分でする。露伴の孫、幸田文の娘、青木玉さんの『小石川の家』
を読むと、露伴は徳利に酒を一杯入れないで浮き徳利
という燗の仕方を好んだとあるが、とういうものなのだろう。
わたしはやはり正確にわかった方がよく、三本目の燗は少し熱燗にしてちびちびやるのがいいようだ。

 酔いがもはや上り坂でなく高原状態に平均してきて、満足感がゆきわたり、このときがあるがために毎日酒をのむ
ようなものである。この状態になるともう肴はほとんどいらなくなる。酔いが低まりもせず高まりもせず、とろりと
した酔心地を持続させるために杯を口にはこぶとうな具合だだから、ときとするとこれが三本目なのかまだ二本目な
のかさえわからなくなる。このときが一番いい。

 あとの半合は、それこそ最後のお宝の一しずくであって、惜しみ惜しみ、それこそ舐めるようにして味わっておつ
もりにする。
おつもりにする時期も大切であって、酒のみは意地汚いからいつだってもう少しのみたい気がしている
ものだけれど、その誘惑に駆られていつものみすぎているようではいい酒のみとは言えないのだ。翌朝目ざめたとき
は酒っ気などまったくなく、きれいな状態に戻っていなければ毎日酒をたのしむことはできないのである。


岩清水の圧倒的うまさ   開高 健

 これまでの私の半生で、もっとも美味であった水 ― といえば、記憶に残っていまだに鮮やかである。もう二
十年近くも前、新潟県の奥只見は銀山湖のほとりで、春から秋まで暮していたことがある。例によって原稿のほう
はさっぱり進まず、仕方がないから釣り竿をかついでイワナを釣りに出掛けて行くことになる。 春さきのこと。
山道を歩いていると、片側が谷底に深く落ちこんで、片側が岩壁という場所へさしかかったら、岩壁を森の奥から
沢水がしぶきをあげて流れ落ちていた。よく見ると、岩壁の裾のあたりで、小さな虹がふるえながらかかってい
る。 ― 虹を飲む。 そんな思いが走って、わたしは両手をさしのべ、水を掬って口をはこんだ。「・・・・・
!!」 このときの感動は、圧倒的だった。先ほどのどの語を組合わせても形容できず、古厚の日本語でただ“甘
露”というのが一番近いのかもしれない。あのときは特にのどが渇いていた記憶もなかったが、それでも虹のふる
えている岩清水の清冽で、引きしまっていて、輝いていて、甘くて、奥行きのある味は見事だった。

 それから、わたしはどこの沢の水がうまいかと、一掬いずつ、ハシゴをして歩いた。酒場のハシゴはどれだけや
ったかわからないほどだが、水のハシゴをしたのは、このシーズンが最初で最後である。毎日、同じ山道を歩いて
、同じ沢水を飲んでみる。次々と渡り歩いているうちに、春から夏へと季節が移っていくにしたがって、水の味が
どんどん変わっていくの気がついた。小さな虹はいつも同じ場所に同じようにふるえながらかかっているのだが、
水そのものは日ごと、週ごとに変わっていくのである。

 やっぱり春さきの水が一番だった。夏になると、味にいささかたるみがくる。腐った木の葉や、泥や、いろいろ
なものを連想させられるような味が混じりこんでくるようになるのである。岩清水がうまいからといって、年中、
同じ味というわけではないことを、わたしは奥只見で教えられたのだった。


誤字・誤句ありし場合の文責は私(小松屋の親仁)にあります。


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