坂本龍馬暗殺の背後に大英帝国あり!? 2004年3月2日:ken1 『一外交官の見た明治維新』上・下巻アーネスト・サトウ著 坂田精一 訳(岩波文庫)書籍がある。 この本は幕末・明治維新に興味がある人は必読書だと思います。 (そんなのとっくに読んでるよ!というツッコミも聞こえてきそうですが・・・) 原書『A Diplomat in Japan』Sir Ernest Satow は1921年にロンドンで出版された。日本が敗戦する 1945年以前は事実上の禁書扱いで、昭和13年に文部省維新資料編纂事務局で「はばかる箇所を 削除して」翻訳したものが、非売品として一部の少数研究者に出回っていたらしいのと、昭和18年に 一部抄訳が出版されたらしいが、「全訳」はこの昭和35年出版の岩波文庫版である。 「全訳(完訳)」というのは、わたしからみればどうも疑わしい。何故なら、原書にはある写真7枚と、 1863年の下関砲撃(英・仏・米・蘭の長州攻撃)の陣形図と鹿児島砲撃(薩英戦争)の陣形図の2枚 が割愛されている。とても重要な資料だと思うのだが、翻訳者は何故か省略している。 だから、本文に関しても完全な翻訳とはいえないのでは?との疑問が残る。原書を取り寄せて参照す べきであるが、そこまでやる暇も労力(能力)もないので、とりあえず岩波文庫版にたよるしかない。 内容は著者のアーネスト・サトウが英国の書記官(通訳官)として日本に赴任した、1862年から1869 年の約7年間に起きた出来事を内容を綴っている。 英国人だから、当然日本、日本人に何の気兼ねもないとみえて、ベラベラとあけすけな!箇所が散見 される。 例えば、長州の伊藤博文と井上馨とかなり通じ合っているし、薩摩の西郷隆盛や大久保利通とも親密 に通じている。土佐の後藤象二郎も西郷に次ぐ大人物であるなどと絶賛している。 一方で幕府方の役人とも通じ会っていて、勝海舟とはかなり頻繁に情報交換している。 イギリス公使館が、ある時点から、幕府を打倒し薩長を中心とした新政府側に肩入れし、その戦略が 大勝利してゆく様が刻々とよくわかる。 対するフランス公使館が幕府側に最後まで肩入れし失敗していく様が、嘲笑的に書かれている。 あからさまな、当時の二大帝国、英国とフランスにおける極東地域の代理戦争(利権争い)である。 ちなみにフランス公使のロッシュはこの失敗により、本国送還となる。 当時、イギリス公使官員で日本語を操れた、この人物はかなり稀有な存在で、日本側からも重宝されて いたようだ。イギリス外交官という立場から、藩主クラスの人物とも会っているし、将軍慶喜ともパークス 公使の通訳官という立場で会っている。 なんてったっておかしいのは、大政奉還の前後に主要人物(幕府・薩摩・長州・土佐)と頻繁に会合して いる。 鳥羽伏見の戦いの時も、両敵対勢力と会談している。将軍慶喜が大阪城から、撤退したのは イギリスの差し金か?とすら思わせるフシがある。 今もあまり変わらないが、どうも当時から日本人は外国人に対してはベラベラと本音を喋ってしまって いるようだ。 両方の勢力から情報がもらえる立場にいるのだから、状況判断は容易である。 というより、簡単に操(あやつ)ることが出来る。 1863年当時、横浜の居留外国人数が約450名で、そのうち英国人が140名であったようだ。 (巻末解説による)英国は数の上でも他国を圧倒していた。 当時の英国公使館(まだ大使館は置いていない)は、現在のアメリカ大使館(虎ノ門)+CIA極東支部 (横田基地)のようなイメージで捉えればいいと思う。 さて、表題の坂本龍馬暗殺!についてだが、これはまったくの想像です。トンデモ珍説!と一蹴してか まわない代物です(笑)。 この本の中で、坂本龍馬の記述はたった2箇所しかなく、最初は土佐の浪士として1行紹介程度。 次は暗殺された事が後藤象二郎との会話で出てくるのみ。しかし1行紹介では、坂本龍馬とは何度も 会っていて親しいかのような書き方がされている。にもかかわらず、この少ない記述はかなり不自然に 感じる。。。伊藤や西郷、大久保、後藤、勝は頻繁に記述されているのと対照的である。 (英国や自分に不都合な何かがあるからなのか?と勘繰りたくなる。。。) 一般に龍馬殺害は「見廻組」説や、元新撰組の伊藤甲子太郎説、、、etc...諸説あり最近では、背後に 薩摩藩がいて黒幕は大久保と西郷である、といった説も有力になっている!?? (確か、去年NHKの番組では、龍馬と中岡慎太郎が襲撃された「近江屋」の部屋を再現して血痕から、 刀の方向などを科学的に分析して、実行犯は座ったまま、短い刀で瞬時に抜刀できる居合(いあい) の達人であろうとの推理をしていた。 ) ところで歴史の流れを見ていくと、1867年、新暦12月10日(和暦11月15日)に、龍馬と中岡が同時 に暗殺されたのは、非常に重要な局面であったという事が理解できる。 両者とも公武合体派であり、大政奉還によって有力諸般の合議政体を目指していた。彼らの元いた! 土佐藩はこれを支持していた。 ところが、公武合体だと徳川の力がいまだ最大であり(フランスの影がある幕府を排除したい)、イギ リスとしては都合が悪い。だから、倒幕派の薩長を援助して、新政府を樹立し、新生日本の利権を独占 するという戦略が立案され実行された。そう考えるとすんなり腑に落ちる。 土佐藩浪士の龍馬と中岡は、土佐藩のエージェントであり、薩長秘密同盟の立役者である。 彼らは薩摩・長州とも繋がっており、武器購入の接点でイギリス系商会とのつながりもある。 すなわち彼らは、二重三重のエージェント(スパイ)であり、そのあたりの、裏の内情に通じていた。 やがて倒幕の英国・薩摩・長州にとって邪魔な存在となってしまった。だから・・・ まっ、つまらないミステリーです。笑ってください。。。 (了) 2004年3月2日脱稿 ken1 |