幕末〜明治維新/歴史年表(其の壱) 〜1850年末まで
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1821.08.07(文政4年12.05) 日本初の実測地図「大日本沿海輿地全図」と「大日本沿海実測録」が完成し、幕府に献上される。
伊能忠敬が作成したわが国最初の実測地図。(伊能図とも呼ばれる)
1822.06.17(文政5年04.28) イギリス船が浦賀に入港する。
1822.06.22( 05.04) 入港したイギリス船に薪と水を与え、交易を禁じる旨を伝える。
1822.06.26( 05.08) 入港したイギリス船が退去する。
1822.10.20( 09.06) ヴェローナ会議が開かれ、オーストリア、フランス、プロイセン、ロシアが、スペイン革命を弾圧する
ことを決める。
1823.04.07(文政6年02.26) フランス軍が、ピレネー山脈を越えてスペインに侵入し、スペイン革命に干渉する。
1823.05.23( 04.13) フランスの軍団がほとんど抵抗らしいものを受けないでマドリードに入城する
1823.06.01( 04.22) 幕府が代官森覚蔵に房総沿岸の警備を命ずる。
1823.08.31( 07.26) リエゴ・イ・ヌニェスのスペイン革命軍が、トロカデロの戦いでフランス軍に敗れ、革命政府が崩壊
する。
1823.09.23( 08.19) 革命政府が崩壊したスペインで、フェルナンド7世が再び王位に就く。
1823.09.24( 08.20) ビルマのアラウン・パヤー朝軍がイギリス軍を攻撃し、ベンガル現地民軍を破る。
1823.11.07( 10.05) リエゴ・イ・ヌニュス(Riego y Nunez)が処刑される。37歳。スペインの革命政府の指導者だった。
1823.12.02( 11.01) アメリカ、モンロー大統領が、モンロー主義を宣言する。
1824.01.21( 12.21) ガーナのボンサソの戦いで、イギリス軍がアシャンティ軍に敗れる。
1824.01.25( 12.25) 江戸が大火となる。
1824.03.05(文政7年02.05) 第1次ビルマ戦争。ベンガル総督アマーストが、ビルマに宣戦布告する。
1824.03.17( 02.17) 英蘭協約が締結され、イギリスがオランダからマラッカを譲り受ける
1824.04.17( 03.18) アメリカとロシアが国境画定のための条約を締結する。
1824.05.11( 04.13) イギリス軍がビルマ王国南部のラングーンを艦船と1万1千人の兵で急襲し占領する。
1824.06.24( 05.28) イギリスの捕鯨船員が大津浜に上陸し、水戸藩に逮捕される。
1824.07.04( 06.08) 常陸国大津浜のイギリス船員が再び上陸する。
1824.07.12( 06.16) 幕府がイギリス船に退去を命じる。
1824.08.03( 07.09) イギリス捕鯨船員が薩摩国宝島に上陸し野牛を略奪する。
1824.08.05( 07.11) 幕府が、水戸藩が逮捕したイギリス人を釈放させる。
1824.08.06( 07.12) ペルーで、シモン・ボリーバルが、首都リマ北東のフニンでフランス軍を破る。
1824.10.04( 閏08.12) メキシコが憲法を制定し、立憲共和国となる。
1824.12.09( 10.19) ペルー、アントニオ・ホセ・デ・スクレが率いるボリーバル軍が、アヤクチョの戦いでスペイン軍を
破る。ラテン・アメリカの独立が確定的になる。
1825.01.05( 11.17) 王党派の牙城だったアルト・ペルーが、ラ・パスでスペインからの独立を宣言する。
独立革命の指導者ボリーバルの名にちなんでボリビアと名付けられることになる。
1825.02.28(文政8年01.11) ロシア領アラスカとイギリス領北アメリカとの境界線が定められる。
1825.04.06( 02.18) 幕府が、諸大名に異国船打ち払い令を出す(無二念打払令)。
1825.07.11( 05.26) イギリス船が九戸沖に来航する。
1825.08.06( 06.22) ボリビアが独立を宣言する。
1825.08.25( 07.12) アルゼンチンの援助でブラジルに反乱していたウルグアイが、独立を宣言する。
1825.08.29( 07.16) ポルトガルとブラジルが、イギリスの仲介でリオ・デ・ジャネイロ条約を結ぶ。
1825.09.27( 08.15) イギリス、ストックトーンとダーリントン間に世界初の蒸気機関車鉄道が開通する。
1826.02.24(文政9年01.18) ヤンダボ条約が締結され、第1次ビルマ戦争が終結する。
ビルマはイギリスに100万ポンドを支払い、アラカン、テナッセリムを割譲する。
1826.04.04( 02.27) ロシアとイギリスが、ギリシア独立戦争の調停のサンクト・ペテルブルク議定書に調印する。
1826.04.23( 03.17) エジプト軍が、ギリシア反乱軍の要塞メソロンギオンを攻略し全滅させる。
1826.05.01( 03.25) オランダ人が将軍家斉に謁見する。シーボルトが随行する。
1826.05.15( 04.09) 天文方の高橋景保がシーボルトを訪問し、輿地図などを示して外国書との交換を約束する。
1827.03.13(文政10年02.16) ブラジルが、イギリスとの間の奴隷貿易停止条約を批准する。
1827.05.31( 05.06) シーボルトの娘で女医となるイネが長崎に誕生。
1827.06.15( 05.21) 頼山陽が江戸で「日本外史」を完成し、松平定信に贈呈する。
1827.07.06( 06.13) ロンドンで、イギリス、フランス、ロシアが、ギリシア問題についてオスマン帝国に調停案を
提案する(ロンドン協定)。
1827.10.20( 08.30) ギリシア独立を支援するイギリス・フランス・ロシアの3国の連合艦隊が、ペロポネソス半島南端の
ナバリノ湾で、トルコ(オスマン帝国)・エジプト連合艦隊を撃破する。
1828.04.26(文政11年03.13) ギリシア独立戦争にからみ、オスマン帝国とロシアが戦争状態に入る。
1828.04.28( 03.15) ポルトガルに侵攻していたイギリス軍が撤退する。
1828.06.23( 05.12) ポルトガルの摂政ドン・ミゲルが、マリア2世を王位から追い、自ら王位に就く。
マリア2世はイギリスに逃げる。
1828.08.04( 06.24) オランダが、ニューギニア島西部の併合を宣言する。
1828.08.06( 06.26) エジプト総督ムハンマド・アリーが、イギリスと協定を結び、エジプト軍のギリシアからの
撤退を決定する。
1828.09.18( 08.10) 長崎奉行所が、ドイツ人医師シーボルトの帰国時の所持品の中に、日本地図などの禁制品を
発見する (シーボルト事件)。
1828.11.16( 10.10) 天文方兼書物奉行高橋景保らが、密かに地図などをシーボルトに与えていた罪で捕らえられる。
1829.04.13(文政12年03.10) イギリス議会が、カトリック教徒に対する制限や社会的差別をなくす内容のカトリック教徒
解放法を制定する
1829.04.24( 03.21) 江戸の己丑の大火(佐久間火事)。
江戸神田佐久間町の尾張屋徳右衛門の材木小屋から出火し、日本橋から芝一帯までの下町の
中心部が延焼する。死者2800人。
1829.06.18( 05.17) 西オーストラリア植民地が設立される。
1829.09.14( 08.17) ギリシア解放戦争をめぐって始まったオスマン帝国とロシアの戦争が、エディルネ
(旧アドリアノープル)で講和条約が結ばれて終結する。
1829.10.22( 09.25) シーボルトが国外退去処分になる。
1830.02.03(文政13年01.10) ロンドン議定書によって、ギリシアがオスマン帝国から独立することが承認される。
1830.02.09( 01.16) 水戸第9代藩主徳川斉昭が藩政改革に着手する。
しかし、挙藩一致の支持は得られず、やがて藩内に対立・抗争が起る。
1830.04.18( 03.26) 幕府がシーボルト事件の関係者を厳しく処罰する。
1830.05.28( 04.07) アメリカ連邦議会で、インディアン強制移住法が可決される。
1830.07.05( 05.15) フランスがアルジェを占領する
1830.07.27( 06.08) フランス、七月革命(栄光の3日間)がはじまる。民衆がパリの実権を握る。
1830.07.30( 06.11) フランス、シャルル10世がパリから逃亡する。
1830.08.02( 06.14) シャルル10世が退位を宣言してイギリスに渡る。
1830.08.07( 06.19) ルイ・フィリップがフランス人の王と宣言される。梨に似ているので梨王と呼ばれる
1830.08.25( 07.08) ベルギーで、オランダ支配に対して、ブリュッセル市民が反乱を起こす。
1830.09.15( 07.29) リバプールとマンチェスター間の鉄道が正式に開通する。
1830.10.04( 08.18) ベルギーが独立を宣言する。
1830.10.27( 09.11) ベルギーのアントウェルベン市民がオランダの支配に対して蜂起し、要塞のオランダ軍が
市街を砲撃する。
1830.11.04( 09.19) イギリス、フランス、オーストリア、プロイセン、ロシアによるロンドン会議が開催される。
1830.11.10( 09.25) ブリュッセルでベルギー国民議会が開催される。
1830.11.29( 10.15) ポーランドで独立反乱が起る。
1830.12.20( 11.06) ロンドン会議でベルギーの独立と中立が承認される。
1831.01.23(天保元年12.10) 「天保」に改元する。
1831.01.25( 12.12) ポーランド議会が、ポーランド国王となっているロシア皇帝ニコライ1世の廃位とロシアからの
独立を宣言する。
1831.02.07( 12.25) ベルギー国民議会がベルギー憲法を公布する。
1831.02.26(天保2年01.14) イタリアで無血革命が行われ、解放された地方の代表がボローニャに集り、教皇の世俗権の
消滅・イタリア諸州連合の形成を宣言する。
1831.06.04( 04.24) ベルギー初代国王として、ザクセン・コーブルク公レオポルド1世即位する。
1831.08.02( 06.25) オランダ軍がベルギーに進軍してベルギー軍を破る。
1831.09.02( 07.26) 長州藩領内で、大規模な一揆が発生する。一揆は更に拡大し全藩を巻き込む騒動となる
(防長一揆)。
1831.09.08( 08.03) ロシア軍がワルシャワを占領し、ポーランド革命が失敗する
1831.11.15( 10.12) ロンドン会議でベルギー・オランダ分離協定が調印される。
1832.02.26(天保3年01.25) ポーランド憲法が廃止され、ポーランドがロシアに併合される。
1832.05.27( 04.27) バイエルンのハーンバッハで急進派の集会が開かれ、ドイツの統一、自由、ヨーロッパ連邦建設が
決議される。エジプト軍がオスマン帝国のアッカー要塞を占領する。
1832.06.28( 06.01) ドイツ連邦議会が急進派に対抗して、ドイツ連邦国家を侵す請願を拒否する6ケ条を議決する。
1832.07.09( 06.12) ポルトガル、ブラジルからドン・ペドロが帰国し、マリア2世から王位を奪ったドン・ミゲルとの
抗争が始まる
1832.07.**( 06.**) この月、イギリス船アマースト号が清国に来て通商を要求する。
1832.08.22( 07.27) 琉球にイギリス船が漂着する
1833.04.12(天保4年02.23) 幕府が、ロシア人と密貿易を企てた疑いで蝦夷地場所請負商の高田屋金兵衛を処罰する。
1833.05.21( 04.03) ベルギーとオランダが休戦条約を締結する。
1833.07.08( 05.21) ヒュンキャル・スケレッシ条約により、オスマン帝国とロシアが軍事同盟関係に入る。
1833.08.23( 07.09) イギリスで、植民地奴隷制度を廃止する法案が議会を通過する。
1833.09.26( 08.13) 幕府が、米商人の囲米(非常用貯蔵米)を禁止する。
1833.09.30( 08.17) 幕府が、米商人に、米の廉売を命令する。
1833.10.01( 08.18) 9月29日に死亡したスペイン国王フェルナド7世の弟が、カルロス5世として王位就任を宣言する。
以後、王位をめぐる内戦が始まる。
1833.10.23( 09.11) 幕府が市中の窮民32万人に施米を施す。
1834.03.16(天保5年02.07) 神田佐久間町から出火し、東神田から日本橋・京橋・芝まで延焼し、死者が2800人に及ぶ
1834.03.25( 02.16) 幕府が全国の人口調査を実施する。
1834.04.09( 03.01) 西の丸老中、水野忠邦が、本丸老中に就任する。
1834.07.15( 06.09) イギリスの初代中国貿易首席監督官ネーピアがマカオに到着する。
1834.08.01( 06.26) イギリスで、奴隷廃止法が施行され、イギリス帝国内のすべての奴隷が解放される
1834.08.15( 07.11) 大坂の堂島新地で大火があり、7560戸が焼失する。
1835.02.03(天保6年01.06) 国友藤兵衛が、自作の望遠鏡で太陽の黒点を観測する。
1835.04.11( 03.14) 清、両広総督盧坤(ろこん)が、外国商人を取締る貿易洋人防範酌増章程8箇条を上奉する。
1835.12.07( 10.18) ニュルンベルクからフルトまでのドイツで初めての鉄道が開通する。
1835.12.20( 11.01) メキシコ領テキサスのアメリカ人入植者が、メキシコからの分離と自治の権利を主張し、
テキサス独立戦争が始まる。
1836.03.02(天保7年01.15) メキシコ領テキサスの住民が、メキシコからの独立宣言を採択し、テキサス共和国となる。
1836.03.06( 01.19)
デイビー・クロケット(Crockett,Davy)に率いられたわずか182名の装備の貧弱な烏合の衆の
フロンティアたちが、アラモ砦で3000人のメキシコ正規軍を相手に戦う。
全滅するが、敵にも大打撃を与える(アラモ砦の戦い)。
1836.04.21( 03.06) サン・ジャシントの戦いで、メキシコのサンタ・アナ大統領の軍がヒューストン率いるテキサス軍に
敗れて大統領が捕虜となり、テキサスの独立を承認する
1836.07.28( 06.15) ネイサン・ロスチャイルド(Rothschild,Nathan Meyer)没。58歳。イギリスの資産家。
1836.10.30( 09.21) ルイ・ナポレオンが、7月王政に対する反乱を起こすが、失敗してアメリカに逃亡する。
1837.03.25(天保8年02.19) 大塩平八郎の乱が起る。大塩平八郎と養子格之助、門人80人が決起する。
(大塩平八郎の乱)
砲火のため大坂が大火に見舞われ、焼失町数112町、
焼失家屋3389軒、焼失武家屋敷169軒。
1837.05.01( 03.27) 大塩平八郎が大坂市中の隠れ家にいるところを発見され、自害して果てる。45歳
1837.07.03( 06.01) 越後柏崎で国学者、生田万らが農民救済のため陣屋を襲撃するが、敗死する(生田万の乱)。
1837.07.30( 06.28) アメリカの商船モリソン号が浦賀に来航する。浦賀奉行が砲撃する(モリソン号事件)。
1837.08.10( 07.10) モリソン号が、薩摩の山川沖に碇泊する。
1837.08.12( 07.12) 薩摩の山川沖に碇泊したモリソン号が薩摩藩に砲撃されて退去する。
1837.10.01( 09.02) 徳川家慶が第12代の征夷大将軍に任ぜられる。
1837.11.23( 10.26) ケベックで、ルイ・ジョゼフ・パピノー率いるフランス系カナダ人グループが、民主化を要求して
反乱を起こす。
1838.05.29(天保9年04.06) 英領北アメリカ植民地総督に任命されたダラム伯ジョン・ラムトン(46)が、反乱調査のため
ケベックに到着する。
1838.06.02( 04.10) 清、黄爵滋が、アヘン厳禁の上奉を行う。
1838.06.28( 05.07) イギリス、ヴィクトリア女王の戴冠式がウエストミンスター寺院で行われる。
1838.07.12( 05.21) フランスがメキシコに宣戦布告する。
1838.07.15( 05.24) 佐渡の幕府領の250余村の農民が蜂起し、8月にかけて各地の名主・問屋・豪商宅を
打ち壊す(佐渡一国騒動)。
1838.10.01( 08.13) アフガニスタンに侵入していたイギリス軍がアフガニスタンに宣戦布告する。
1838.10.11( 08.23) 下総の農民指導者、大原幽学が香取郡長部村で、子孫が後世困窮しないように先祖株組合の
結成を指導する
1838.11.04( 09.18) 塩漬けにされていた大塩平八郎の遺体が引回しのうえ、磔とされる。
1838.12.31( 11.15) 清の道光帝がアヘン厳禁を決定する。
1839.01.**( 12.**) この月、イギリスがイエメンのアデンを占領する。
1839.02.11( 12.28) 英領北アメリカ植民地総督ダラム伯が、アッパー・カナダとロワー・カナダの統合と、カナダ人に
対する自治権の付与を勧告する。
1839.03.18(天保10年02.04) 林則徐が外国人商人所有のアヘンの引き渡しを要求する。
1839.04.26( 03.13) イギリス軍が、アフガニスタンのカンダハールを占領する。
1839.06.03( 04.22) 広東に派遣された林則徐が、イギリス商館からアヘン2万箱を没収し破棄する。
1839.06.24( 05.14) 蛮社の獄の始まり。渡辺華山らが幕政批判などの罪で逮捕される。
(蛮社の獄 )
1839.06.24( 05.14) 第2次エジプト・トルコ戦争が勃発する。
1839.06.27( 05.17) 小関三英が、渡辺華山らの逮捕を知って、赤坂の岸和田藩岡部公の江戸屋敷の2階で手首の
動脈をランセッタ(三稜針)で切って自殺する。 53歳。渡辺華山らと尚歯会を組織した蘭医学者。
江戸青山竜岩寺に葬られる。
1839.06.28( 05.18) 蛮社の獄。渡辺華山の逮捕で、高野長英が自首する。
1839.07.06( 05.26) 幕府が、農民が武芸を学ぶことを禁止する。
1839.09.18( 08.11) 幕府が、100目以上の重さの鉄砲新鋳の届け出を義務とする。
1839.11.03( 09.28) 広東の川鼻で清軍とイギリス軍が衝突する。
1840.01.10( 12.06) 水野忠邦が老中首座に就任する。
1840.02.06(天保11年01.04) イギリスが、マオリ族の族長たちとワイタンギ条約を結び、ニュージーランドが
イギリス直轄地となる。
1840.04.01( 02.29) 幕府が全国の人口を調査する。
1840.04.04( 03.02) 遠山金四郎景元(遠山の金さん)、江戸北町奉行になる。
1840.06.04( 05.05) 清の広東水帥提督関天培が磨刀洋のイギリス軍を襲撃する(アヘン戦争の発端)。
1840.06.26( 05.27) 幕府が、西洋翻訳書の出版・販売を制限する。
幕府が、売薬の看板にオランダ文字の使用を禁止する。
1840.06.28( 05.29) イギリス軍が広州を封鎖する。アヘン戦争が本格化する。
1840.07.05( 06.07) イギリス軍が舟山群島を占領する。
1840.07.15( 06.17) イギリス、オーストリア、プロイセン、ロシアが、エジプト総督ムハンマド・アリーに対抗してオスマン
帝国と同盟を結ぶ。
1840.07.23( 06.25) イギリス議会がカナダ連合法を通過させ、女王の裁可を得る。
1840.08.06( 07.09) 亡命下にあるルイ・ナポレオンがブローニュで再び反乱を企て、王位継承権を主張するが、
失敗する。
1840.09.09( 08.14) イギリス、オーストリア、オスマン帝国が、エジプトが支配していたベイルートを砲撃する。
1840.11.27( 11.04) エジプト総督ムハンマド・アリーが、イギリス海軍と協定を結び、第2次エジプト・トルコ戦争が
終結する。
1840.12.12( 11.19) アヘン戦争で優位に立っているイギリスが、清の欽差大臣に賠償金の支払いや開港場の増設
などを要求する。
1841.01.20( 12.28) 中国とイギリスの間で川鼻仮条約が結ばれるが、清朝はこれを否認する
1841.02.27(天保12年01.07) 江戸幕府第11代将軍家斉、没。12代将軍に家慶
1841.03.24( 02.02) エジプト総督ムハンマド・アリーが、オスマン帝国との間の協定に調印し、シリアの放棄などを
承認する。
1841.05.03( 03.13) ニュージーランドがイギリス植民地であることが正式に宣言される(首都はオークランド)。
1841.05.30( 04.10) アヘン戦争で広州を占領したイギリス軍が和義の成立で撤兵途中、平英団と称する武装民兵に
包囲され攻撃される。
1841.06.06( 04.17) 老中首座の水野忠邦が、権勢を思うままにしてきたとして若年寄林肥後守忠英、御側御用取次
水野美濃守忠篤に対して役職の罷免を、小納戸頭取美濃部筑前守茂育に甲府勤番への降格を
申し渡す。
1841.06.27( 05.09) 徳丸ケ原(東京都板橋区高島平)の幕府練兵場で、高島秋帆(しゅうはん)をリーダーとして
砲術・銃隊など西洋式鉄砲隊の総合演習が行われる。
幕府は、この鉄砲を全て買上げ、江川太郎左衛門に秋帆の弟子となって術を学ぶように命じる。
1841.07.03( 05.15) 老中首座の水野忠邦が改革断行の宣言を行う(天保の改革)
1841.07.24( 06.07) 12代将軍徳川家慶が水野忠邦を召し出し、庄内藩領民たちの猛烈な反対を無視できないとして、
三方領地替えの令を撤回することを指示する。
1841.07.27( 06.10) 将軍家慶の三方領地替えの撤回表明に対し、水野忠邦が反対の建白書を提出する。
1841.08.28( 07.12) 幕府の閣議が、水野忠邦の欠席のもと庄内・長岡・川越藩の三方領地替の取り止めを決定する。
1841.08.29( 07.13) 三方領地替えを撤回された水野忠邦が辞表を提出するが、将軍家慶は水野に責任はないとして
引続きの出仕を命じる。
1841.11.02( 09.19) アフガニスタンのカブールで、イギリスに対して反乱を起こしたアフガン人がインド公使の
アレクサンダー・バーンズを殺害する。
1841.11.23( 10.11) 渡辺崋山が田原藩の蟄居先で自殺する。49歳
1841.12.18( 11.06) 幕府が、神事祭礼での芝居・見世物などの興行を禁止する
1842.01.06( 11.25) アフガニスタンに侵攻していたイギリス軍が、首都カブールから撤退途中に、アフガニスタン軍の
奇襲を受けて全滅する。
1842.01.24( 12.13) 天保の改革で株仲間の解散令が布告される。
1842.02.09( 12.29) 幕府が人情本を取り締まり、版木などを没収する
1842.06.16(天保13年05.08) イギリス軍が上海を攻略する。
1842.08.14( 07.09) アヘン戦争、清がイギリスに降伏する。
1842.08.28( 07.23) 幕府が、異国船打払令を改め薪水給与令に戻し、薪・水・食料の供給を許可する。
アヘン戦争での清国の敗北が原因。 (天保の薪水給与令)
1842.08.29( 07.24) アヘン戦争で清が降伏した結果、南京条約が締結され、清が5港を開き香港をイギリスに譲る。
(南京条約)
1842.09.09( 08.05) フランス太平洋艦隊の司令官デュプチ・トゥアルが、タヒチ島の女王ポマレに対し、タヒチをフランスの
保護領とする条約を強制する。
1842.11.04( 10.02) 前年幕府の依頼で砲術演習を行った高島秋帆が、鳥居耀蔵のでっちあげで謀反と密貿易の疑いを
かけられ投獄される。
1842.11.08( 10.06) 二宮尊徳が、老中水野忠邦に登用されて幕府御普請役格となる。
1842.12.07( 11.06) 反英運動が高まっている広州で、イギリス商館が焼き討ちされる。
1842.12.17( 11.16) 幕府が、九段坂に天文台を設置する。
1843.01.03( 12.03) 清の魏源が、世界情勢の解説書の「海国図志」50巻を完成する。
1843.05.04(天保14年04.05) 南アフリカのボーア人の国ナタールがイギリスの植民地となる
1843.06.26( 05.29) 香港政府が正式に発足する。イギリス全権ヘンリ・ポティンジャーが初代香港総督となる。
1843.07.07( 06.10) 清の、洪秀全が、馮雲山ら数人の青年とキリスト教宗教結社の拝上帝会を創設して布教活動を
始める。太平天国の乱へとつながる。
1843.07.07( 06.10) 幕府が庄内藩など5藩に普請役を命じ、鳥居耀蔵らに管理させ印旛沼開拓に着手する。
しかしこの工事も1724年・1783年と同様、失敗に終わることになる。原因は、技術の未熟さにあった。
1843.07.14( 06.17) 幕府が、新潟を直轄地とし、新潟奉行を置く。
1843.07.27( 07.01) 清の広州が再び開港する。イギリスとの貿易も復活する。
1843.10.07( 09.14) 幕府が、江戸周辺10里四方の上知(あげち−豊かな土地と幕府領を交換)、下総国印旛郡内と
新潟の上知につづいて、大坂周辺の上知を命じる。この命令は反対が強く実現できず。
(上知令失敗)
1843.11.02( 閏09.11) 阿部伊勢守正弘が老中となる。
1843.11.04( 閏09.13) 将軍家慶が、水野忠邦の老中職を罷免する。水野忠邦が失脚し、天保の改革が失敗に終わる
天保の改革が挫折する。直接の原因は上知令の失敗
1843.12.01( 10.10) イギリス艦サマラン号が琉球の八重山諸島に上陸し、測量を行う。
1844.06.21(天保15年05.06) 幕府が改革政治失敗の罪で徳川斉昭、藤田東湖に謹慎を命じる。
1844.06.25( 05.10) 江戸城本丸が炎上する。
1844.07.03( 05.18) 清朝とアメリカが修好通商条約を結ぶ。
1844.08.04( 06.21) 国際情勢に対処するため水野忠邦が再び老中首座に就任する。
1844.08.14( 07.01) アルジェリアの国境地帯のイスリィ川の戦いで、フランス軍がモロッコ軍に大勝利を収める。
1844.09.10( 07.28) タンジール条約が結ばれ、モロッコとフランスの戦争が終結する。
1844.09.18( 08.07) 幕府が諸大名に、各沿岸の警備を厳重にし、水深の状況を報告するように命じる
1844.10.24( 09.13) 清国とフランスとの間に、清国にとって有利とはいえない修好通商条約(黄埔条約)が締結される。
1844.10.30( 09.19) 肥前藩主鍋島直正が、長崎でオランダ艦内を見学する。
1844.11.02( 09.22) オランダ国王ウィリアム2世が将軍に送った開国を忠告する国書が、長崎到着から80日もかかって
やっと江戸に届く。(オランダ国王が開国を進言 )
1844.11.11( 10.02) 清国の開港地でのキリスト教に対する禁令が緩和される。
1845.01.04( 11.26) 幕府が徳川斉昭の謹慎を解く。
1845.01.09(弘化元年12.02) 「弘化」に改元する。
1845.03.02(弘化2年01.24) 青山火事。江戸・青山西権田原西丸先手の久須美六左衛門同心伊藤専蔵宅から出火し、
青山から麻布、白金、高輪へと延焼し、武家屋敷400軒、寺院187軒、町屋126町が焼失する。
1845.03.04( 01.26) 東京初のマッチ工場が開設する。
1845.03.29( 02.22) 復帰したばかりの老中首座の水野忠邦が鎖国主義者に敗れ、再度罷免される。
1845.03.**( 02.**) 阿部正弘、老中首座に就任
1845.04.04( 02.28) 前年焼けた江戸城本丸が落成する。
1845.04.21( 03.15) 町奉行に大目付けであった遠山金四郎景元を再任する。
1845.05.03( 03.27) 大火で伝馬町牢獄が焼失し、非難のため釈放された高野長英はそのまま逃走する。
1845.06.19( 05.15) イギリス船が琉球に来航し、貿易を強要する。
1845.06.21( 05.17) 琉球に来航したイギリス船が退去する。
1845.07.05( 06.01) 幕府がオランダ国王に返書を送り、開国の忠告を拒否する。
1845.08.07( 07.05) 幕府が海防掛を設置し、老中阿部正弘・牧野忠雄らを任命する。
1845.10.02( 09.02) 水野忠邦らが蟄居を命じられ、減封となる。
1845.11.02( 10.03) 天保の改革を推進した御金改役の後藤三右衛門が死罪となり、元町奉行鳥居耀蔵が
讃岐丸亀藩に預けられる。
1846.02.10(弘化3年01.15) 江戸で大火がある。
1846.02.21( 01.26) 仁孝天皇、崩御。47歳。120代天皇。
1846.02.22( 01.27) イギリス東インド会社が、ラホールを占拠する。
1846.03.09( 02.12) ラホール条約が締結され、第1次シク戦争がイギリス軍の勝利で終結する。
1846.03.09( 02.13) 孝明天皇践祚。121代天皇。
1846.04.30( 04.05) イギリス船が琉球に渡来する。
1846.05.02( 04.07) 琉球にフランス軍艦が来港する。
1846.05.08( 04.13) アメリカ軍とメキシコ軍が、テキサス州南東部のパルアルトで衝突し、
アメリカ=メキシコ戦争が始まる。
1846.05.13( 04.18) 合衆国議会がメキシコに宣戦布告し、メキシコ戦争が勃発する。
1846.05.22( 04.27) 松平容保が会津松平忠恭の養子となる
1846.06.04( 05.11) 択捉島にアメリカの捕鯨船が漂着する。
1846.06.04( 05.11) 同日、フランス船2隻が琉球に来て通商を要請する。
1846.06.15( 05.22) アメリカとイギリスの間にオレゴン協定が締結される。アメリカとカナダの国境線が画定する。
1846.07.08( 閏05.15) 広州で、中国人とイギリス人の間で衝突事件が起こる。
1846.07.12( 閏05.19) 異国船が紀伊海に出没する。
1846.07.17( 05.24) フランス船が琉球を退去する。
1846.07.20( 05.27) アメリカの海軍提督ビッドルが、開国を求めて軍艦2隻を率いて浦賀に来航し、
国交開始・通商を要求する。
1846.07.23( 06.01) 幕府が薩摩に、琉球と諸外国との通商黙認を伝える。
1846.07.29( 06.07) 浦賀に来航したアメリカの海軍提督ビッドルが、開国を拒否され、諦めて浦賀を退去する。
1846.08.19( 06.28) デンマーク船が浦賀に渡来する。
1846.08.22( 07.01) アメリカが、ニューメキシコを併合する。
1846.08.31( 07.10) アメリカ軍がカリフォルニアを占領する。
1846.10.13( 08.23) イギリス軍艦が那覇に入港し、国王に面会を求める。
1846.10.19( 08.29) 朝廷が幕府に対し、海防の強化を求める。
1847.01.04( 11.18) 清国人留学生3人がアメリカ人宣教師に伴われて留学生として渡米する。中国初の留学生となる。
1847.02.13( 12.28) 幕府が、水戸藩士藤田東湖らの蟄居を赦免する
1847.04.03(弘化4年02.18) イギリスが広東省の虎門砲台を占領する。
1847.05.03( 03.19) 幕府が相模千駄ケ崎・猿島や安房大房崎に砲台を築くことを決める(11月16日に完成)。
1847.05.17( 04.03) 箱館・択捉島に外国船出没との知らせが、松前・津軽・南部の各藩に届く。
1847.08.06( 06.26) オランダ船が長崎に来てイギリス人来航の事を告知する。
1847.09.14( 08.05) アメリカ・メキシコ戦争、アメリカ軍がメキシコシティーを占領する。
1848.01.19( 12.14) 徳川斉昭が、老中阿部正弘に異国船打ち払いの復活と外国人追放の意見書を提出する。
1848.02.02( 12.28) グァダルー・イダルゴで、アメリカとメキシコの間の講和条約が締結され、
アメリカ・メキシコ戦争が終結する。 メキシコはアメリカにカリフォルニア、
ニューメキシコ地方を割譲する。
1848.02.13(弘化5年01.09) フランス、テュイリーの北のマドレーヌ広場のレストランに107名の議員が会合して2月22日の
改革宴会を決定する。
1848.02.22( 01.18) フランス、二月革命起る。パリの抗議デモ、バリケード、市街戦開始。
(仏、二月革命)
1848.02.24( 01.20) フランス、労働者がパリの支配権をにぎる。ルイ・フィリップが退位する。
1848.02.25( 01.21) フランスで共和国宣言が出される。
1848.02.27( 01.23) ドイツ、バーデン大侯国でマンハイムの市民の集会が開かれ、国民の自由、出版の自由、
ドイツ国民議会の開催が要求される。
1848.03.04( 01.29) フランスで普通選挙法が成立する。
1848.03.05( 02.01) 南ドイツ諸国の51名の自由主義の連邦議会議員がハイデルベルクに集合し、
国民議会の開設を決議する。
1848.03.11( 02.07) チェク人がプラーハで立ち上がる
1848.03.12( 02.08) ウィーン大学で学生大会が開かれ、皇帝に対する印刷・教育・信仰の自由に対する請願書が
作られる。
1848.03.13( 02.09) ウィーンに暴動が起る。メッテルニヒが退陣する。
1848.03.14( 02.10) ウィーンの宰相メッテルニヒがロンドンに逃亡する。
1848.03.15( 02.11) ハンガリーのペシュトで、独立内閣を求めて市民と農民が反乱を起こす。
1848.03.15( 02.11)
ローマに議会制が成立する。
1848.03.16( 02.12) フランス、ブランキが選挙延期のために10万を越える大示威運動を組織して期日を4月23日に
延期させる。
1848.03.18( 02.14) ベルリンで暴動、市街戦となる。
1848.03.18( 02.14) ミラノにオーストリアの支配者に対して革命が起る(墺、三月革命
「ミラノの五日間」)。
1848.03.19( 02.15) ベルリンの市街戦の結果、国王が降伏する。
(独、三月革命)
1848.03.21( 02.17) デンマーク国王フレデリック7世が、絶対王政の終焉を宣言する
1848.04.01(嘉永元年02.28) 「嘉永」に改元する。
1848.04.07( 03.04) 外国船が対馬海を通航する。
1848.04.23( 03.20) 普通選挙によるフランス総選挙でブルジョア共和派が大勝する。
1848.04.25( 03.22) オーストリアで欽定憲法が発布される。
1848.04.28( 03.25) 外国船5隻の乗員が津軽沿岸藤島村に上陸し、食料を乞い退去する。
1848.05.04( 04.02) 潜伏中の蘭学者高野長英が、宇和島藩に招かれて蘭書の翻訳を行う。
1848.05.04( 04.02) 異国船が松前沿岸を測量する。
1848.05.18( 04.16) 佐渡近海で外国船が堺の商船を襲い、雑穀を強奪する。
1848.05.18( 04.16) フランクフルト・アム・マインのパウル教会でドイツ統一を議すべきフランクフルト国民議会が
開会する。
1848.05.19( 04.17) 異国船が庄内藩の飛島沖に現れて大砲を放つ。藩はあわてて足軽組2組と砲手数人を飛島
に派遣する。
1848.05.20( 04.18)
庄内藩が、異国船の来襲に備えて吹浦、浜中、加茂、三瀬、五十川、鼠ケ関の海岸に物頭と
砲手を配備する。
1848.06.07( 05.07) アメリカ人が松前に漂着し、幕府がこれを長崎に護送する。
1848.08.27( 07.29) フランス船が琉球に来て上陸する。
1848.09.01( 08.04) 幕府が調練のための空鉄砲の打ち放しを許可する。
1848.09.07( 08.10) 松代藩沓野村(志賀高原附近)で、佐久間象山の山林開発事業に反対して百数十人の農民が
強訴する。
1848.09.18( 08.21) フランクフルト市民が市街戦を展開するが、オーストリア・プロイセン軍に粉砕される。
1848.10.06( 09.10) ウィーン十月革命が勃発する。暴徒と化した民衆が陸軍省に押し掛け、ラトゥール伯爵(68)を殺害する。
1848.10.14( 09.18) ウィーン十月革命でウィーンを逃れたハプスブルク家の一行がオルミュッツに到着する。
1848.10.19( 09.23) ヴィンディシュ=グレーツ侯の反革命軍隊がウィーンに迫る。
1848.10.31( 10.05) 反革命軍がウィーンを占領する。
1848.11.01( 10.06) プロイセンで反動内閣が成立する。
1848.11.04( 10.09) フランス、第二共和国憲法が制定される。
1848.11.15( 10.20) プロイセンで新内閣不信任案を表明した制憲議会を軍隊が閉鎖する。
1848.11.24( 10.29) ローマで志士たちの騒乱が続発したため、教皇ピウス9世がガエーダに難を避ける。
1848.12.02( 11.07) オーストリア皇帝フェルディナント1世が退位し、フランツ・ヨーゼフ1世が即位する。
1848.12.05( 11.10) プロイセンで欽定憲法が発布される。
1848.12.10( 11.15) フランス、第二共和国大統領選挙が行われ、ルイ・ナポレオンが75%を取り圧勝する。
1848.12.20( 11.25) ルイ・ナポレオンがフランス第二共和国大統領に就任する。
1849.01.12( 12.18) 薩摩藩家老、調所広郷が、琉球密貿易発覚の責任をとって服毒自殺する。
1849.01.29(嘉永2年01.06) ルイ・ナポレオンが、軍事力で憲法制定議会を解散させる。
1849.02.09( 01.17) ジュゼッペ・マッツィーニがローマ共和国の成立を宣言する。
1849.02.11( 01.19) 外国船が対馬沿岸を通航する。
1849.02.18( 01.26) フィレンツェに共和国が樹立される。逃亡したトスカーナ大公は罷免される。
1849.03.03( 02.09) 広州の住民がイギリス人の広州の入城拒否を決議する。
1849.03.12( 02.18) 外国船が隠岐沿岸に出没する。
1849.03.**( 02.**) 諸藩に海防強化を命令
1849.03.27( 03.04) フランクフルト国民会議が、ドイツ国憲法の制定と、帝国選挙法を議決する。
1849.03.28( 03.05) フランクフルト国民議会が、プロイセン王フリードリッヒ・ヴィルヘルム4世をドイツ皇帝に選出する。
1849.04.01( 03.09) 清の両広総督がイギリス人の入城を拒絶する。
1849.04.06( 03.14) 上海にフランス租界が設立される。
1849.04.14( 03.22) ハンガリーの独立運動の指導者のコッシュート・ラヨシュが首班となる臨時革命政府が
樹立される。ハンガリー議会がオーストリアからの独立を宣言する。
1849.04.25( 04.03) フランス軍が、ローマ教皇領に進撃する。
1849.04.27( 04.05) フランクフルト議会の代表が国王フリードリッヒ・ヴィルヘルム4世にドイツ皇帝冠を捧げようとするが、
国王は拒否する。
1849.05.07( 04.15) オーストリア軍が、ローマ共和国に侵攻する。
1849.05.15( 04.23) ナポリ軍が、シチリア島のバレルモを占領する。
1849.05.16( 04.24) オーストリア軍がボローニャを陥落させる。
1849.05.25( 04.04)
オーストリア軍がフィレンツェに侵攻する。
1849.05.26( 04.05) プロイセン、ザクセン、ハノーファーの三王同盟が成立する。
1849.05.27( 04.06) ジュゼッペ・ガリバルディの共和国軍がナポリに侵入する。
1849.05.29( 04.08) イギリス軍艦マリナー号が松輪崎沖に現れ、すぐに浦賀に入港する。この日のうちに更に
下田に入港し、17日まで滞在する。
1849.06.06( 04.16) フランクフルト国民議会がシュトゥットガルトに移る(残骸議会)。
1849.06.18( 04.28) ヴェルテンベルク政府が、「残骸議会」を武力で解散させる。
1849.07.03( 05.14) ローマ教皇の要請で、フランス軍がローマに入城する。
1849.07.13( 05.24) ローマ共和国が崩壊する。
1849.07.16( 05.27) フランス、新出版法が制定され、検閲が復活する。
1849.08.11( 06.23) ハンガリーのコッシュート・ラヨシュが臨時革命政府を辞任しオスマン帝国へ亡命する。
1849.08.13( 06.25) ハンガリー軍がオーストリアに無条件降伏する。
1849.10.06( 08.20) オーストリアのハイナウ将軍が皇帝フランツ・ヨーゼフの名のもとにハンガリー反乱の首謀者たち
10人を処刑する。
1849.10.25( 09.10) この日までに、ラヨシュ・バチャーニュ首相らマジャール人要人100人以上が処刑される。
ハンガリー人はこの後、フランツ・ヨーゼフを恨むようになる。
1849.11.24( 10.10) 吉田松陰が門弟を率いて城東羽賀台で演習を行う。
1849.12.21( 11.07) 医師緒方洪庵が、古手町に除痘館を設立する。
1849.12.22( 11.08) ニコライ1世に死刑を宣告されたドストエフスキーら20名が首都ペテルブルグのセミョーノフ広場に引出される。
銃殺の直前に恩赦となる。
1850.01.15( 12.03) アテネでイギリス人が襲撃された事件の賠償を要求して、イギリスがピレウス港を封鎖する。
1850.02.06( 12.25) プロイセン王フリードリッヒ・ヴィルヘルム4世が欽定憲法に宣誓する
1850.03.18(嘉永3年02.05) 江戸に大火がある。
1850.06.09( 04.29) フランス、政治的結社の集会が禁止され、共和政支持者が弾圧される。
1850.06.28( 05.19) 幕府が、沿岸の警備に関する流言の取締りを命じる。
1850.07.16( 06.08) フランスで新出版法が施行され検閲が復活し、出版の自由が制限される。
1850.08.02( 06.25) ロンドンで、イギリス、フランス、ロシア、スウェーデン、デンマークがシュレスウィヒ・ホルシュタイン
問題に関する条約が結ばれ、デンマークが領土保全の保障を得る。
1850.09.09( 08.04) アメリカ、カリフォルニア州が合衆国に加盟する(31番目)。
1850.09.09( 08.04) アメリカ、奴隷州と自由州に関する妥協法案が議会を通過する。
1850.09.12( 08.07) 豊後の別府町で米屋のうちこわしが起こる。
1850.09.18( 08.13) アメリカ、妥協法案の成立で自由州へ逃亡する奴隷を取り締まる逃亡奴隷取締法が成立する。
1850.10.03( 08.28) イギリス軍艦レナード号が那覇に寄港する。
1850.12.03( 10.30) 高野長英が潜伏中の江戸青山で捕方に包囲されて自害する。47歳
1850.12.22( 11.19) 将軍家慶が、琉球使節と会見する。
主に参照・参考にした年表:
・歴史データベースon the Web
http://macao.softvision.co.jp/dbpwww/index.html
・『一外交官の見た明治維新』下巻アーネスト・サトウ著 坂田精一 訳(岩波文庫)の巻末年表
・幕末年表http://www.eonet.ne.jp/~kazusin/
・竜馬の遺伝子http://members.jcom.home.ne.jp/ryoumadna/index.htm
他、多数。
※ 幕末から明治維新までの年表の多くは、旧暦(和暦)で表示されているものが多く、閏(うるう)月など、
複雑?で不明な場合が多くあります。新暦(西暦)に引き直して並列表記してますが、正確さは保証できません。
※ 資料年表によって、日付が異なる場合もあり、こちらの判断で表記したものがあります。間違いも多々あると思います。